『鬼滅の刃』の新しい解釈書

一条真也です。ハッピーバレンタイン!
大きな地震がありましたね。新たな災害が心配です。
さて、拙著『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)がおかげさまで好評ですが、同書の書評がJ‐CASTニュースをはじめ、LINEニュース、スマートニュース、MSNなど合計15以上のサイトに掲載されました。ヤフー・ニュースにも転載されるようです。執筆者は、コラムニストで、明治大学サービス創新研究所客員研究員の尾藤克之氏です。

f:id:shins2m:20210214100536j:plainJ‐CASTニュース」より

 

記事は、「『鬼滅の刃』を現代人の精神性から検討した新しい解釈書【尾藤克之のオススメ】」のタイトルで、リード文は以下のようになっています。
「社会現象となっている『鬼滅の刃』。筆者は、最初は正義感の強い主人公が成長とともに鬼を対峙するありきたりなストーリーと考えていました。しかし、コロナ禍における自粛ムードにも関わらず作品は空前の大ヒットを記録します。そこには、何か秘密があるに違いないと、誰もが思っていたのではないでしょうか。今回紹介する一冊は、博覧強記の哲人経営者として、ネット界で知られる著者が『鬼滅の刃』ブームに切り込んで、社会現象になった大ブームのメカニズムを完全に解き明かします。『鬼滅の刃』論の決定版といえるでしょう」

 

尾藤氏は、また、「『鬼滅の刃』が描く魂のルールとは」として、「みなさんは『盆踊り』のルーツをご存知でしょうか――。『盆踊り』は祖先などの霊魂や神を迎え、また送り出す様式として用いられていたものです。民俗学柳田國男は長野県下伊那郡阿南町の『新野の盆踊り』がもっとも原形を留めていると評しています」と述べ、わたしの「この例では初盆の切子灯籠を先頭にして堂や祠を回った後、村境で踊り神送りと言われる神の送り出しが行われます。この様な例から、盆踊りが踊りをもって祖先などの神を迎え、そして送り出すことに重点が置かれた行事であったことが理解できましょう」「『阿波おどり』は盆踊りの大衆化した事例ですが、その起源は詳らかではありません。しかし、精霊踊りや念仏踊りが原形である点や、開催される時期を考えれば、盆踊りと同じ観念に基づいて形成されているとみても良いでしょう」という言葉を紹介されています。

 

さらに尾藤氏は、「『精霊流し』という、長崎県熊本県佐賀県でお盆に行われる死者の魂を弔って送る行事があります。初盆を迎えた故人の家族らが、盆提灯や造花などで飾られた精霊船に故人の霊を乗せて、『流し場』と呼ばれる終着点まで運ぶものです。この行事は、爆竹の破裂音、鉦(かね)の音、掛け声が交錯する喧騒の中で進行します」と述べ、わたしの「特に長崎市のものが有名ですが、佐賀や熊本など北部九州でみられる行事です。盆の15日もしくは16日に、盆の供え物を川や海に流して仏を送り出すものです。長崎市のものは鉦や爆竹が伴い、大変な賑わいを見せます。この行事は送り出す方面が主として注目されますが、本来は盆に先祖を迎える行事と対になっていたことが指摘されており、そうした風習が残る地域もあるといいます」という言葉を紹介されています。

 

そして、尾藤氏は「年中行事の意義とはなにか」として、「ほかにも、日本における祭礼はたくさんありますが、新型コロナウイルスはあらゆる祭礼に何らかの影響を与えていると、一条さんは指摘します。さらに、コロナ禍における祭礼のあり方は、日本人の『こころ』を安定させるためにも、今後早急に検討されなければいけない課題だともいいます」と述べ、わたしの「冠婚葬祭、年中行事、そして祭礼は広く『儀式文化』としてとらえることができます。そして、それらは『かたち』の文化です。それが何のために存在するのかというと、人間の『こころ』を安定させるためです」「コロナ禍では、卒業式も入学式も結婚式も自粛を求められ、通夜や葬式さえ危険と認識されました。しかしながら、儀式は人間が人間であるためにあるものです。儀式なくして人生はありえません。人間の『こころ』はいつの時代も不安定ですが、だから安定させるための『かたち』すなわち儀式が必要なのです」という言葉を紹介されるのでした。

 

最後に、尾藤氏は「本書は、現代人の精神性を検討したうえで『鬼滅の刃』のヒットした要因を解説しています。さらに、日本人の性質を踏まえた上で『儀式』に帰結させている点が興味深いといえます。『鬼滅の刃』の新たな解釈を知りたい人には一読の価値があるといえるでしょう。と書いて下さいました。達意の文章で、わたしのメッセージをわかりやすく要約して下さった尾藤氏に心より感謝申し上げます。

 

 

2021年2月14日 一条真也