節分・合同厄除祈願祭  

一条真也です。
2日の17時半より、わが社の松柏園ホテルの顕斎殿で、「節分・合同厄除祈願祭」が行われました。わが社は儀式を重んじる「礼の社」ですので、年中行事は必ず行うのです。もちろん、ソーシャルディスタンスには最大限の配慮をしました。

f:id:shins2m:20210202173416j:plain「節分・合同厄除祈願祭」のようす

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最初は、もちろん一同礼! 

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神事はwithコロナ・スタイルで

f:id:shins2m:20210202173618j:plain「節分・合同厄除祈願祭」のようす

 

今回の対象者は6名で、還暦者が小倉紫雲閣の片峯支配人の1人、厄除け者は5人でした。皇産霊神社の代表役員である佐久間進サンレーグループ会長に続いて、わたしは玉串奉奠を行いました。

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柏手を打つ佐久間会長

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わたしも柏手を打ちました

 

厄年の「厄」とは、災厄の「厄」ではなく、役員の「役」です。つまり、共同体の中で一定の役割を果たすという意味での「厄」年だそうです。厄年が災いの年になることがあるのは、年齢に応じて与えられた役割を果たすことができない、つまりさまざまな難題課題を解決することができず、それに振り回されてしばしば失敗してしまうからだ、という考え方によるようですね。

f:id:shins2m:20210202174520j:plain一列に並んだ還暦者・厄除け者 

 

男性の42歳というのは、たしかに重要な時期です。というのも、50代、60代といった老年期にある者と、10代、20代にある若者や青年たちとのあいだを責任をもってつなぎ、文化を伝達し、集団の中で中心的な、また中堅的な役割を果たさなければならないからです。このとき、その年齢に達した人たちは、集団の中での主要な役割を振り分けられます。その役割を果たすためには、それ相応の覚悟や能力や集中力が必要です。その集中力を発揮することによって、つつがなく課題を達成し務めを果たしたときに、その人は集団の中で認められ、評価され、次のステップに向かって進んでいくことができるのです。

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玉串奉奠する還暦者・厄除け者

f:id:shins2m:20210202174752j:plain佐久間会長より破魔矢の授与

 

このような役割を振りあてられ、その役割を果たすことができるかどうかという試練を受けることが、厄年の根本的な意味です。それを災いとするのも、人生のよき糧、養分とするのも、すべてはその人次第です。どのような困難が降りかかってこようとも、積極的に前向きに取り組み、課題を解決し、能力を高め、周りからも評価を受けることによって、さらに大きな人格として成長を遂げていく。その時期が厄年なのです。還暦者および厄除け者のみなさんは、佐久間会長から破魔矢とお守りを貰いました。

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挨拶する佐久間会長

基本的に厄年というのは、村落共同体や町の共同体の中で、一定の年齢に達した者が受けるネガティブ・イメージです。その負のイメージがなぜできたかというと、それが大変な時期だからです。災難が起こってくると考られるようになる以前は、この年齢になると、いろんなことをしなければいけないので神頼みをします。その時期になると神様に頼んで、この役割がちゃんと果たせますようにと祈る。それをいつしか災いと見るような「厄年」の漢字をあて、厄年信仰が確立していきました。ふだんは神仏など信じない人でも、厄年を迎えるとどうも不安になり、神社で厄除け祈願をすると安心します。それから、佐久間会長による挨拶がありました。

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わたしも挨拶しました 

 

続いて、わたしが挨拶をしました。わたしは、「節分は鬼を払う行事です。現在、『鬼滅の刃』が社会現象と呼べる大ブームを起こしていますが、「疫病と鬼は古くからの深いつながりがあり、『鬼滅の刃』もまた鬼=疫病とする描写が多く見られます。夏に高温多湿となり、冬に低温低湿になる日本ではしばしば疫病が流行しました。このため日本の伝統行事には、疫病を祓うためのものが多いのですが、最も有名なものが2月の節分の豆まきです」と述べました。

f:id:shins2m:20210202190412j:plain節分は鬼滅の年中行事です!

 

続けて、「疫病は鬼がもたらすものと考えられ、節分=『季節を分ける日』、つまり季節の変わり目に鬼を祓って健康を祈願しました。この節分の豆まきは宮中行事追儺式が起源とされますが、大きな流行をもたらす疫病の多くは外国からもたらされた疫病でした。このことから『鬼は外』は外国からもたらされた疫病を国外へと追い出すことを表しているとする説もあるそうです。緊急事態宣言まで出ているコロナ禍の中にある今こそ、コロナ終息の願いを叶えるために節分祭を執り行うことには大きな意味があります。本日は、誠におめでとうございました!」と述べました。

f:id:shins2m:20210202175228j:plain記念品を贈呈しました

f:id:shins2m:20210202175320j:plain対象者を代表して挨拶する片峯支配人

 

それから、わたしから対象者の6人の方々に記念品贈呈を贈呈しました。記念品は、超高級万年筆と松柏園特製の恵方巻です。それから、対象者代表挨拶として片峯支配人から御礼の挨拶がありました。

f:id:shins2m:20210202191546j:plain「福豆撒麻」のようす

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鬼は外!

f:id:shins2m:20210202175423j:plain福は内!

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これぞ豆まき鬼滅の祭り!

 

その後は、佐久間会長とわたしの2人でメインイベントの「福豆撒麻」です。例年は式場に溢れんばかりの大人数に向かって豆を撒くのですが、今年は袋に入った少量の豆を少人数に向かってチョロリンと撒きました。ウイズ・コロナの豆まきではありますが、これも立派な鬼滅の儀式であります。

f:id:shins2m:20210202191244j:plain還暦者・厄除け者との記念撮影

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松柏園の「恵方巻」をいただきました

そして写場へ移動し、参加者全員で記念写真を撮影してから解散となりました。いつものように豆まきができず、神事の後の厄除け祝賀会もできなかったのは残念ですが、このような大変な時期にあっても神事だけは行うことができて良かったです。改めて、わが社は「礼の社」であるということを再認識しました。帰りに松柏園の「恵方巻」を貰いました。恵方巻は言葉を発せずに一気に食べるのが作法です。まさにウイズ・コロナ時代にぴったりの食べ物ではありませんか!

 

 

2021年2月2日 一条真也