『葬式は必要!』 

一条真也です。
昨日発売された『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)を20日間で書いたことが話題になっているようですが、わたしはかつて14日間で本を書き上げたことがあります。その本は、45冊目の「一条真也による一条本」で取り上げる『葬式は必要!』(双葉新書)。サブタイトルは「最期の儀式に迷う日本人のために」で、2010年4月25日に刊行されました。その後のわたしの方向性を決定づけた一冊です。 

f:id:shins2m:20210125161111j:plain葬式は必要!』(2010年4月25日刊行) 

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本書の帯

 

帯には、「日本人は人が亡くなると『不幸があった』と言いますが、どんな素晴らしい生き方をしようが、すべての人が最後に不幸になることは絶対におかしいと思います。人生を負け戦にしてはなりません。(本文より)」「大切な人を心やすらかに送るための本」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には「葬式は人生の卒業式」と大書され、以下のような言葉が並んでいます。
●「葬式無用論」への反論
●死は決して不幸ではない
●人はなぜ葬式をするのか
●親の葬式を出すのは子の務め
無縁社会の中で変貌する葬式
●葬式にはこんな不満がある
●自分らしい葬式をあげるために
●墓も変わりつつある
●最後に遺るのは
  残されたひとびとの記憶

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
まえがき「葬式は人生の卒業式」
 序章 「葬式無用論」への反論
葬式は死者を弔うものになってない?
ブッダは葬式無用?
死は決して不幸ではない
ブッダの最期は?
ホモ・フューネラル
後年、誇張されたブッダの教え
第1章  人はなぜ葬式をするのか
「葬式」とは何か
葬式は死者を描いたドラマ
成仏が日本人の死生観
葬式とは「死者を弔う心」のあらわれ
昔は共同葬だった
葬式は変化してもかまわない
「夕焼け小焼け」の合唱
第2章  死は最大の平等
死の際に感じる幸福感
葬儀もまた平等
御巣鷹山の墜落遺体
葬式とは「こころ」に関するもの
「子供の骨も残してください」
親の葬儀を出すのは子の務め
孔孟の葬儀観
葬礼とは「人の道」である
ヘーゲル説いた「埋葬の倫理」
第3章  葬式にはこんな不満がある
無縁社会の中で変貌する葬式
葬儀への不満・ベスト1は?
どんなトラブルが多いのか
葬儀でお金のかかるサービスとは
お金を払わない?
葬式の価値をお金で見ている?
エンディングノートという解決策
残された人たちが迷わないために
第4章 自分らしい葬式を
    あげるために
葬式について考えることは基本的に2つ
自然葬という選択
手元葬という需要
“自分らしさ”は表現できる
モノではなく、中身にこだわる
多様化する「葬」のスタイル
石原裕次郎の散骨
人気が高い樹木葬
「地球」に目を向けたローテク葬法
月面葬という提案
自らの手で死装束をつくる
魂のターミナルを目指して
第5章 墓も変わりつつある
お墓も要らない?
増える納骨堂
墓地の種類は3つ
複数の墓を統合する選択
新しい骨壷「解器」
第6章 葬式に迷う人たち
自由葬の中での迷い
家族葬の意味を考える
家族葬にする理由
喪主の立場で考える
葬祭業者選びの基本
何を基準に選べばいいか
葬式の費用は贅沢?
日本で行われる葬儀の半数以上は互助会
第7章 葬式と宗教の関係
論語』にも葬式のことが書かれている
人生の最大事は親の葬礼
社葬に込められた意味
社葬は対外的なセレモニー
人と会社の「死と再生」
一種のリスク・マネジメント
「かたち」を繰り返すことが大切
第8章 仏式葬儀は制度疲労
    起こしている
日本人が仏式葬儀に飽きてきている?
寺の息子の意見
宗教家としてのオーラがない
お経はテープで十分
お寺には「学び」「癒し」「楽しみ」の3つがある
現役僧侶の貴重な発言
玄侑宗久氏の葬式有用論
第9章 葬式の必要性を説く人たち
日本ほど葬式に関する本や映画の多い国はない
納棺夫日記
『悼む人』
『弔いの日々』
質問に真摯に答える担当者
『葬式は、要らない』
葬式は贅沢で構わない
贅沢、大いに結構
映画「裸の島」
描かれる息子の葬式
人間に欠かせない水と葬式
戒名には、残された者の愛があふれている
『おひとりさまの老後』
最後に遺るのは、残されたひとびとの記憶
『街場の教育論』
『現代霊性論』
起源が言えないのが儀礼の本質
 終章  「葬」から「送」へ
    ――魂のエコロジー
あとがき「葬式やめますか、そして人類やめますか」
「参考文献」

 

葬式は、要らない (幻冬舎新書)

葬式は、要らない (幻冬舎新書)

  • 作者:島田 裕巳
  • 発売日: 2010/01/28
  • メディア: 新書
 

 

本書は島田裕巳氏のベストセラー『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)の反論の書として生まれました。本書を書くにあたり、「葬式は必要なことは、だれもがわかっているから、あえて『葬式は必要』などという本はいらないのでは」という声を聞きました。(2010年から)数年前なら、たしかにそうだったでしょう。わたしは冠婚葬祭業を営んでいますが、結婚式も葬式も、ここ数年の変化は驚くほどでした。

 

結婚式においては「個人」や「自由」をキーワードとして結納も仲人もなくなりつつあります。一方、葬式においても従来のスタイルにとらわれず、自由な発想で自分や故人を送りたい、という人が増えてきています。また、「葬式などする必要がない」「何のために、あんなことをするのかわからない」と言われる方さえいました。実際、わたしたちも団塊の世代を中心に、新しい葬式のスタイルを提案かつ実施し、また新たなスタイルを考案しています。葬儀は今、従来の告別式をアレンジした「お別れ会」などが定着しつつあります。やがて通夜や葬式そのものにも、目がむけられていくにちがいありません。葬式はなくなるどころか、これからは一人の人間にとって、究極の「自己表現」となっていくことだろう、と書きました。

 

人生最期のセレモニーである「葬式」を考えることは、あなたの人生のフィナーレの幕引きをどうするのか、という本当に大切な問題です。フランスの箴言ラ・ロシュフーコーは「死と太陽は直視できない」との言葉を残していますが、葬式を考えることで、人は死を考え、生の大切さを思うのではないでしょうか。「葬式は必要!」――葬式には人類の英知が込められています。

 

わたしは、まえがき「葬式は人生の卒業式」の最後に、「葬式という儀礼には変えてはいけない部分と変えてもいい部分とがあります。やわらかな発想で新しい葬式の時代が開かれ、『あの人らしかったね』といわれるような素敵な人生の卒業式を実現するとともに、いつの日か日本人が死を『不幸』と呼ばなくなることを心から願っています」と書きました。

 

わたしは、本書で、「葬式がいかに必要かということ、そしてその準備のための心構え」を書きました。あらゆる生命体は必ず死にます。もちろん人間も必ず死にます。親しい人や愛する人が亡くなることは悲しいことです。でも決して不幸なことではありません。残された者は、死を現実として受け止め、残された者同士で、新しい人間関係をつくっていかなければなりません。葬式は故人の人となりを確認すると同時に、そのことに気がつく場になりえます。

 

葬式は旅立つ側から考えれば、最高の自己実現であり、最大の自己表現の場ではないでしょうか。「葬式をしない」という選択は、その意味で自分を表現していないことになります。「死んだときのことを口にするのは、バチがあたる」と、忌み嫌う人もいます。果たしてそうでしょうか。わたしは葬式を考えることは、いかに今を生きるかを考えることだと思います。

 

また、葬式は時代に合わせ、変わっていくべきです。実際、長い歴史の中で葬式は変わってきました。2009年に生誕100周年を迎えたピーター・ドラッカーは「マネジメントの父」と呼ばれます。ドラッカーは企業が繁栄するための条件として、「継続」と「革新」の2つが必要であるとしました。これは、企業だけでなく、業界や文化にも当てはまることではないでしょうか。良いものはきちんと継続してゆく。時代の変化にあわせて変えるべきところは革新する。葬式という文化にも、「継続」と「革新」が欠かせないと思うのです。

 

そして、いくらその形が変化したとしても、葬式が要らないということは絶対にありません。葬式は人類の存在基盤です。昔、「覚醒剤やめますか、人間やめますか」というポスターの標語がありましたが、わたしは、「葬式やめますか、そして人類やめますか」と言いたいくらいです。つまるところ、「葬式は必要!」なのです。どうか、「あの人らしかったね」と言われる、あなたらしい葬式をご用意ください。そして、見事な「人生最後の檜舞台」「有終の美」「グランド・フィナーレ」を飾られることを心より願っています。


大型書店にはナイス・コピーのPOPが!

 

本書誕生の経緯は「一条真也のハートフル・ブログ」で随時紹介してきました。2月19日のブログで、初めて『葬式は、要らない』を読んだ感想を書きました。そこで、『葬式は必要!』というアンサーブックを書かねばと思い立ちました。3月4日のブログで、出版が決定したことを報告しました。3月14日のブログで、脱稿を報告。4月17日のブログでは、見本が完成したことをお伝えしました。そして4月20日のブログで、本書の発売をお知らせしました。


中外日報」2010年6月22日号

 

わたしは、『葬式は、要らない』という本がベストセラーになったことが気になって仕方がありませんでした。「気になって」というのは、わたしが冠婚葬祭会社を経営しているから気になったのではありません。断じて、営業の妨害になるといった低次元の話ではありません。わたしが『葬式は必要!』を書いたのは会社のためでも業界のためでもありません。天地神明に誓って、わたしは日本人のために書きました。「葬式は、要らない」などと日本中が本気で思いはじめたら、確実に人間の「いのち」は軽くなり、その尊厳はなくなってゆきます。個人の倫理観は崩壊し、社会の無縁化はいっそう進行します。さらには、葬式をあげない民族も国家もないわけですから、日本人は「人の道」から外れて世界中の笑いものになるでしょう。


「FLASH」2010年8月3日号

「週刊 東洋経済」2010年12/25-1/1号

 

そのような最悪の事態だけは、絶対に防がなければならないと思いました。わたしは、最期の儀式に迷う日本人のために書いたのです。『葬式は必要!』を上梓した当時、盛んに『葬式は、要らない』とセットでマスコミに登場しました。それぞれ「葬式無用論」と「葬式必要論」の代表的論者として、島田さんとわたしは多くのメディアに揃って取り上げられ、ついに、ブログ「NHK収録」に書いたように、テレビの討論番組でも意見を激突させました。


NHKの討論番組に出演

NHKの討論番組収録後、互いの著書を持って

 

単純な販売部数での勝敗なら、わたしは島田氏に完敗したことを素直に認めます。しかしネットのキーワード検索において、『『葬式は必要!』の刊行以来、大きな変化が出ていました。「葬式は、要らない」の約20倍も「葬式は必要!」がヒットしていた時期があったのです。もちろん、この数字がそのまま葬儀の無用論者および必要論者の数に直結するわけではありません。それは、わたしもよく理解しています。しかしながら、日本人の無意識を象徴している側面があるように思えてなりません。


「読売新聞」2010年10月4日夕刊

 

葬式は必要!』は本そのものを売ったというより、「人間にとって葬儀は必要である」という考え方を世に広めることができたのではないかと思います。そして、その考えは、同書の続編である『永遠葬』(現代書林)、そして、わが二大代表作というべき『唯葬論』(三五館、サンガ文庫)、『儀式論』(弘文堂)へとつながっていくのでした。

 

葬式は必要! (双葉新書)

葬式は必要! (双葉新書)

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2010/04/20
  • メディア: 新書
 

 

 

2021年1月29日 一条真也