菅発言はフロイト的失言?

一条真也です。
今日は、1月17日。1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災から、丸26年を迎えました。発生時刻の午前5時46分に合わせ、神戸市中央区の東遊園地など各地で追悼行事がありました。兵庫県にも緊急事態宣言が発令されており、新型コロナウイルス禍の中で「密」を避けながらも、「この日だけは」と多くの人が手を合わせました。犠牲者の方々の御冥福を心よりお祈りいたします。

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本日の追悼行事のようす

 

わたしは阪神・淡路大震災の追悼行事には参加したことがありませんが、2011年3月11日に起きた東日本大震災の追悼行事には参加したことがあります。ブログ「東日本大震災八周年追悼式」で紹介した2019年3月11日に開催された国家行事です。式典そのものは荘厳で、儀式人として勉強になりましたが、「開式の辞」で菅官房長官(当時)が「ただ今より、東日本大震災記念式典を行います」と宣言したのには仰天しました。「追悼式典」を「記念式典」と言い間違えたわけで、あってはならないことでした。



厳粛なセレモニーの冒頭で痛恨のミスでしたが、わたしは「八周年」という表現にも違和感をおぼえました。「周年」という言葉には創業とか結婚とか、お祝いのイメージがあるように思えます。ですから、「原爆の日」や「終戦の日」に「周年」を使うのも違和感を感じます。悲劇の場合は「〇周年」ではなく「〇年」がふさわしいように思います。だから、わたしはブログ「東日本大震災8年」のように、「東日本大震災〇年」と表現しています。もしかしたら菅官房長官は「記念」ではなく「祈念」と言いたかったのかもしれませんが、これも「祈念」だけでは意味が通りません。「平和祈念」とか「治癒祈念」といったように祈念する対象を明らかにすることが必要です。



その後、菅官房長官は首相になられました。わたしは菅新首相に大いに期待し、ブログ「GoToウエディングの実施を!」にも書いたようにが、日本人が結婚式を挙げる政策を立てていただきたいと願いました。残念ながら、その願いは叶いませんでした。そして、菅首相はコロナ対策に失敗したとして、内閣支持率を下げ続けています。「信頼回復への転機」(政府筋)となるはずだった13日の記者会見では、すでに決まった首都4都県に、関西や中部など7府県を緊急事態宣言の対象にすることを決めた13日の同対策本部で、追加の可否が注目された福岡を静岡と言い間違える「致命的ミス」(立憲民主幹部)を犯しました。



菅首相は官僚が良いしたメモを棒読みすることが指摘されていますが、読み間違い、言い間違いも多いです。「内容が頭に入っていないからだ」と批判する人もいますが、言い間違いにはその人の本心が反映されているという説もあります。その説を唱えたのは、「精神分析学の父」であるジークムント・フロイトです。「フロイト的失言」(Freudian slip)という言葉があるのですが、言い間違いによって人間は思わずその本心や、無意識の願望などを表現してしまっているというのです。ある人が、誰かのお葬式に行き、遺族の方に「ご愁傷様です」と言うはずが、「おめでとうございます」と言ってしまったとします。それは「おめでとう」と言った人の心の中に、その人が死んで良かったという本心があるからだというのです。もっとも、言った本人さえ気づいていない無意識レベルの問題なのですが。



このフロイト的失言からすると、菅首相が「福岡県」を「静岡県」と言い間違えたのも本心が潜んでいたという見方もできます。静岡県は神奈川県と愛知県に挟まれており、飛び地である福岡県などより、ずっと緊急事態宣言を発令すべき都道府県だったのかもしれません。あと、日本学術会議の新会員候補6人の任命拒否問題を巡って、静岡県川勝平太知事は「菅義偉首相の教養レベルが図らずも露見した」など発言しました。その後、「学歴差別のように取られたのは本当に残念。申し訳なく思う」と述べ、発言を撤回して陳謝しましたが、今回の言い間違えには川勝知事への無意識レベルでのリベンジもあったのでしょうか? 

 

2021年1月17日 一条真也