『鬼滅の刃』にみる供養のあり方

一条真也です。
みなさま、お正月withコロナはいかがお過ごしでしょうか? 1月1日、産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第30回目がアップされました。今回のタイトルは、「『鬼滅の刃』にみる供養のあり方」です。 

f:id:shins2m:20201228164022j:plain「『鬼滅の刃』にみる供養のあり方」

 

あけまして、おめでとうございます。年が明けても、世間では新型コロナウィルスと『鬼滅の刃』の話題で持ちきりですね。『鬼滅の刃』とは、吾峠呼世晴氏の漫画ですが、アニメ化・映画化され大ヒットし、もはや社会現象にまでなっています。本当は、『鬼滅の刃』のように、あまりにも流行になったものはスルーしたいと思っていました。

 

しかし、インサイト代表の桶谷功氏が「このようにブームを巻き起こしているものがあったら、たとえ自分の趣味ではなかろうが、軽薄なはやりもの好きと思われようが、必ず一度は見ておくべきです。社会現象にまでなるものには、どこか優れたものがあるし、『時代の気分』に応えている何かがある。それが何なのかを考えるための練習材料に最適なのです」と述べているのを知り、「その通りだな」と思いました。実際、大当たりでした。

 

まず、この物語のテーマは、わたしが研究・実践している「グリーフケア」ではありませんか! 鬼というのは人を殺す存在であり、悲嘆(グリーフ)の源です。そもそも冒頭から、主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)が家族を鬼に惨殺されるという巨大なグリーフから物語が始まります。

 

また、大切な人を鬼によって亡き者にされる「愛する人を亡くした人」が次から次に登場します。それに対して、鬼殺隊に入って鬼狩りをする一部の人々は、復讐という(負の)グリーフケアを自ら行います。しかし、鬼狩りなどできない人々がほとんどであり、彼らに対して炭治郎は「失っても、失っても、生きていくしかない」と言うのでした。強引のようではあっても、これこそグリーフケアの言葉ではないでしょうか。

 

炭治郎は、心根の優しい青年です。鬼狩りになったのも、鬼にされた妹の禰豆子(ねずこ)を人間に戻す方法を鬼から聞き出すためであり、もともと「利他」の精神に溢れています。その優しさゆえに、炭治郎は鬼の犠牲者たちを埋葬し続けます。無教育ゆえに字も知らず、埋葬も知らない仲間の伊之助が「生き物の死骸なんか埋めて、なにが楽しいんだ?」と質問しますが、炭治郎は「供養」という行為の大切さを説くのでした。

 

さらに、炭治郎は人間だけでなく、自らが倒した鬼に対しても「成仏してください」と祈ります。まるで、「敵も味方も、死ねば等しく供養すべき」という怨親平等の思想のようです。『鬼滅の刃』には、「日本一慈しい鬼退治」とのキャッチコピーがついており、さまざまなケアの姿も見られます。鬼も哀しい存在なのです。『鬼滅の刃』は、まさに現代のグリーフケア物語そのものです。“癒し”を求める現代社会がこの作品を欲しているのも大いにうなづけます。わたしは、『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)という本を書き、新年早々に刊行することになりました。ご一読をお願いいたします。

 

 

2021年1月1日 一条真也