長崎の合同葬

一条真也です。
25日の朝、長崎駅のすぐ近くにあるホテルの客室で目が覚めました。「長崎は今日も雨だった」と言いたいところですが、長崎は今日は晴れでした。陽射しが眩しいのでサングラスをかけたら、黒マスクとあいまって異様な雰囲気になってしまいました。

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長崎は今日は晴れだった

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JR長崎駅前のようす

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日差しが眩しかったです

この日、わたしは、冠婚葬祭互助会業界の先輩の合同葬に参列しました。享年74歳でご逝去された(株)長崎新生活センターの岩本省三会長の合同葬です。わたしは、サングラスを外し、マスクも黒から白に変えました。合同葬の会場は、長崎市茂里町にある同社の斎場「法倫会館」でした。コロナ禍にもかかわらず、全国から300人以上の方々が参集しました。中には黒マスクの人も何人かいましたね。

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会場の法倫会館にて

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メモリアル・コーナー

わたしは現在、一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の副会長の任にありますが、今年6月末までは九州ブロック長を兼ねていました。7月1日には弟の佐久間康弘とブロック長を交代しましたが、わたしがブロック時代に九州ブロックの理事として支えていただいたのが岩本会長だったのです。

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メモリアル・コーナー

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メモリアル・コーナーにて

岩本会長に初めてお会いしたのは、ブログ「長崎の夜」で紹介した2014年10月23日でした。ラックの社長だった故柴山文夫氏がベルコの齋藤斎社長が全互協の会長になられたのを九州メンバーでお祝いしようと企画し、坂本龍馬ゆかりの史跡料亭「花月」で祝宴を開いたのです。この日は、わたしの隣に齋藤社長が座られていたので、二人で思い出話をしました。

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合同葬式場のようす

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とても豪華な祭壇でした

f:id:shins2m:20200925131149j:plainたくさんの供花が

花月での宴は柴山社長の乾杯の発声でスタートしました。勝海舟の書が掲げられた趣のある部屋で、長崎名物の卓袱(しっぽく)料理を戴きました。ついでにわたしの全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)会長就任まで祝っていただき感激しましたが、その席で初めて公私ともに「花月」を支えておられた岩本会長にお会いしたのです。

f:id:shins2m:20200925133909j:plain祭壇には自社の施設の数々が・・・・・・

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ソーシャルディスタンスに配慮して・・・・・・

f:id:shins2m:20200925163803j:plain全互協・山下会長の挨拶

f:id:shins2m:20200925155148j:plain心を込めて焼香しました

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最後は「思い出のムービー」を上映

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思い出のムービー

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素晴らしい合同葬でした

その後、柴山社長が全互協の理事を勇退されるとき、代わりに理事になられたのが岩本会長でした。お二人は本当に親しくされていて、業界のパーティーなどでも語り合うお二人の姿を何度も見ました。今ごろ、あちらの世界で再会されて、一杯やっているのではないでしょうか。わたし自身は岩本会長とは短いお付き合いでしたが、威風堂々とした九州男児で、維新の志士のような雰囲気がありました。ここ最近、業界の大先輩の葬儀やお別れ会に参列することが多いですが、先人たちの遺志を受け継いで、この国の儀式文化をしっかりと守っていきたいと思いました。故岩本省三様の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 

2020年9月25日 一条真也