コロナ時代の互助会を

一条真也です。
17日、早朝から松柏園ホテルの神殿で恒例の月次祭が行われました。先月と同じく、通常よりも人数を減らし、マスク着用でクールビズでの神事となりました。

f:id:shins2m:20200717081058j:plain月次祭のようす

f:id:shins2m:20200717081629j:plain柏手を打つ佐久間会長

f:id:shins2m:20200717081713j:plainわたしも柏手を打ちました

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神殿での一同礼!

 

月次祭では、皇産霊神社の瀬津神職が神事を執り行って下さり、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続き、わたしが社長として玉串奉奠を行いました。わたしは、会社の発展と社員の健康・幸福を祈念しました。

f:id:shins2m:20200717084558j:plain天道塾のようす

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訓話する佐久間会長

 

神事の後は、恒例の「天道塾」を開催しました。通常と人数は同じですが、会場の広さは3倍です。最初に佐久間会長が訓話を行いました。会長は会場を埋め尽くしたマスク姿の人々を前に、先月に続いて、「共飲」「共食」「共浴」「共健」「共笑」「共歌」「共遊」「共旅」という「八共道」というものを示し、アフターコロナの時代に互助会として提供したいと述べました。

f:id:shins2m:20200717083419j:plain「実践共助八美道」

 

今回は「八共道」を「実践共助八美道」と名づけ、佐久間会長は、共飲(緑茶サービス・点茶作法による喫茶サービス・盃を交わす)、共食(同じ釜の飯を食う仲間づくり・心の交流・生涯の友)、共浴(一緒に風呂に入る・裸の付き合い・背中の流し合い)、共健(朝の体操・散歩・気功・太極拳・ヨガ等)、共歌(共に歌う・カラオケ・マイクまわし・合唱・連歌・短歌・川柳・俳句)、共笑(笑いの会・笑い気功・一日一笑習慣)、共遊(囲碁・将棋・スポーツ麻雀・仕事帰りの一杯の酒)、共旅(共に旅行・薬草狩り・神社仏閣巡り)について具体的に説明しました。

f:id:shins2m:20200717083652j:plainコロナ時代のコミュニケーションを!

 

「盃を交わす」とか「背中の流し合い」とか「マイク回し」といったギョッとするような話も飛び出し、一見、コロナ時代には絶対不可能な行為ばかりのように思えます。正直、わたしも「これは、ちょっと・・・」と思いましたが、会長はこういった従来の濃密なコミュニケーションをアップデートせよということで、コロナ時代に対応した「実践共助八美道」を提案しているのです。また、会長は 「他者のために、他者とともに」「利他の精神 和の心」「互助共生による実践共助システム」「日帰り現代湯治天国サロン」などのプランも示しました。

f:id:shins2m:20200717091210j:plain小倉織マスク姿で登壇しました

 

続いて、わたしが登壇しました。わたしは小倉織のマスクをしたまま、「まず最初に、このたびの九州豪雨で犠牲となられた方のご冥福を心よりお祈りしますとともに、被災された方々にはお見舞いを申し上げたいと思います。昨日、東京都の感染者が286名と過去最大でした。PCR検査数が増えたから陽性者の人数も増えているのは百も承知ですが、それでもこの人数は多い。本来なら、今月、東京オリンピックパラリンピックが開催されるはずだったと思うと、呆然とするばかりです」と述べました。

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マスクを外して講話をしました

 

それからマスクを外して、以下のように述べました。
「こんな時期に観光業界の支援事業『GoToトラベルキャンペーン』が、22日に先行して始まります。壊滅的な被害を受けている観光業界の要望もあり、8月上旬予定から前倒しの実施となりました。しかし、首都圏や近畿圏で『第2波の到来』が叫ばれているのに、日本中の人が全国に旅行するなど狂気の沙汰だと思います。特に、米軍基地内でクラスターが発生した沖縄に大量の観光客が押し寄せることが心配でなりません。観光業界の苦境はもちろん承知していますが、各地でクラスターが多発すれば、逆に日本の観光は命脈を絶たれます。東京だけをキャンペーンから除外するといった姑息な対応ではなく、キャンペーン自体を延期すべきでしょう。観光業界のためにも、前倒しどころか、実施は今年の秋以降、できれば来年にすべきだと思います」

f:id:shins2m:20200717091533j:plain経済よりも社会が大事! 

 

続けて、わたしは以下のように述べました。
「国の『経済が回らなければ大変なことになる」』という説明も理解できますが、感染拡大抑制が最優先ではないでしょうか。現在、『社会と経済はどちらが優先するのか』ということが問われています。わたしも経営者の端くれですから、経済の重要性は誰よりもわかっているつもりです。それでも、企業の業績などよりも大切なことがあります。それは、お客様や社員のみなさんが感染しないように細心の注意を払うこと。すなわち、経済よりも社会が大事なのです。わたしがリスペクトしてやまない経営学ピーター・ドラッカーの遺作にして最高傑作である『ネクスト・ソサエティ』(ダイヤモンド社)のメッセージは、「経済よりも社会のほうが重大な意味を持つ」ということです。同書の冒頭で日本の読者に対して、ドラッカーは『日本では誰もが経済の話をする。だが、日本にとっての最大の問題は社会のほうである』と呼びかけています」

f:id:shins2m:20200717092327j:plain「人間尊重」は永久に不滅です!

 

また、わたしは以下のように述べました。
「先月も話しましたが、わたしはこのたびのステイホーム期間中に感染症についての本を読み漁り、映画を観ましたが、重要な事実を発見しました。それは、ペストに代表されるように感染症が拡大している時期は死者の埋葬がおろそかになりますが、その引け目や罪悪感もあって、感染症が終息した後は、必ず葬儀が重要視されるようになるということ。人類にとって葬儀と感染症は双子のような存在であり、感染症があったからこそ葬儀の意味や価値が見直され、葬儀は継続・発展してきたのだという見方もできます。結婚式も同様で、ポストコロナは儀式が重んじられる『心ゆたかな社会』が訪れることでしょう。コロナ禍の中にあっても、わが社の施設はオープンし続けました。この仕事は社会的必要性のある仕事なのです。新型コロナウイルスが完全終息するのはまだ先のことでしょうが、儀式文化を基軸とした『人間尊重』というわが社のミッションは永久に不滅です!」

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「紫の雲」について話しました 

紫の雲 (ナイトランド叢書3-4)

紫の雲 (ナイトランド叢書3-4)

  • 作者:M・P・シール
  • 発売日: 2018/12/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

さらに、わたしは以下のように述べました。
「今年、紫雲閣は石川県の手取、柳橋、福岡県の遠賀がオープンし、さらにこれから飯塚、行橋、宮若、若宮、浦田、多々良・・・続々とオープンします。最近、わたしはブログ『紫の雲』で紹介した1901年にイギリスで書かれた幻想小説を読みました。ここに登場するパープル・クラウドは人類を滅亡させる力を持った最強のウイルスを含んだ毒雲です。しかし、紫雲閣の『紫雲』は、仏教の浄土信仰に基づくありがたい雲です。わたしたちが亡くなったときに極楽浄土から迎えにきてくれる仏様の乗り物が紫雲なのです。新型コロナウイルスの感染が拡大して、世の中に『死』の影が蔓延しているとき、その不安を癒して、安らぎを与えるのが紫雲閣なのかもしれません。言うまでなく、紫雲閣は単なるセレモニーホールではなく、コミュニティホールを目指しています。そして、そこはグリーフケアの場にもなります」

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「鼻なしの会」について話しました 

世界史を変えた13の病

世界史を変えた13の病

 

 

また、わたしは「新型コロナウイルスに九州豪雨・・・・・・現在の日本は巨大なグリーフに包まれていると言えます。グリーフ・ソサエティが誕生した観があり、まさにグリーフケアが求められる時代です。そして、わたしは互助会こそがグリーフケアの最高の受け皿になると考えています」と述べました。ブログ『世界史を変えた13の病』で紹介した本によれば、19世紀のロンドンには、梅毒で鼻を失った人々の『鼻なしの会』という互助会が存在したそうです。「鼻のない人々が集まったところを見たいと思ったある気まぐれな紳士が、ある日彼らを酒場に招待して食事をし、その場で上記の名を冠した協会を結成した」そうですが、「その紳士、ミスター・クランプトンは大勢を集めたようだ。おそらくその状況で予想されたよりも多くの人を。『人数が増えるにつれて、参加者の驚きは増していき、慣れない気恥ずかしさと奇妙な混乱を感じながら互いに見つめあった。まるで罪人が仲間の顔に自身の罪を見たかのように』」と書かれています。

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マスク姿で熱心に聴く人びと

 

続けて、同書には“鼻なしの会”について書かれています。
「彼らが罪人と呼ばれていたことは置いておいて、悩みを分かちあえる相手とついに出会えたことがどのようであったかを想像してみよう。ほとんどの人が名前を口にすることすら恐れている病気について、他人と語ることができたのだ。彼らがショックを受けたとしたら、その気持ちは理解できるような気がする。ほとんどの人が、鼻がないのをできるだけ隠すことに多くの時間を費やしていただろう。記事によれば、彼らはほとんどすぐに仲よくなり、冗談を言い始めた。『おれたちが喧嘩を始めたら、どれくらいで鼻血が出るかな?』『いまいましい。この30分、どこを探しても見当たらない鼻の話をするのか』『ありがたいことに、おれたちには鼻はないが口はある。テーブルに並んだごちそうに対しては、いまのところ一番役に立つ器官だ』」

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天道塾のようす

“鼻なしの会”について、同書には「楽しそうな集まりだ。鼻がなくても、ユーモアのセンスはある! わたしは普通なら絶望するときに、ジョークを言える人が好きだ。それに、これは梅毒患者が人間でない(天才が作った怪物かただの恐ろしいもの)ように描写されていない最初の記録かもしれない」とも書かれていますが、この箇所に涙が出るほど感動しました。というのも、わたしはグリーフケアを研究・実践しています。グリーフには死別をはじめ、名誉や仕事や財産などを失うこと、そして身体的喪失にも伴います。顔の中心である鼻をなくすというのは、どれほどその人に絶望を与えたことか。想像することすら難しい絶対的な絶望と言えます。しかも、鼻を奪った梅毒が代表的な性病であることは、当人の名誉も傷つけたことと思います。

f:id:shins2m:20200717092457j:plain一緒に「心ゆたかな社会」を創造しましょう!

 

おそらく、“鼻なしの会”のオリジナルな英語名は“NO NOSE CLUB”ではないかと思いますが、このギリギリのユーモアがグリーフケアにおいて大きな力を発揮したのではないでしょうか。かつて、性病で顔の中心を喪失するという巨大な悲嘆を与えられた人々を救おうとした試みがあったことに、わたしは心の底から感動しました。現在、新型コロナウイルスの最前線で闘う医療従事者を差別するという、とんでもない愚かな人々がいます。先日の本社総合朝礼でも述べましたが、人間として最も大切な人の道は「命を救うこと」と「死者を弔うこと」の2つであり、その意味で医療従事者と葬儀従事者ほど尊い仕事はありません。また、ロンドンに実在した“鼻なしの会”から学びを得て、サンレーグループの互助会はさまざまなグリーフケアの受け皿を目指したいと思います。コロナからココロへ。一緒に『心ゆたかな社会』を創造しましょう!」と述べてから、わたしは降壇しました。

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最後は、もちろん一同礼!

 

2020年7月17日 一条真也