柳橋紫雲閣竣工式  

一条真也です。
梅雨入りした金沢は今日もしとしと雨でした。福岡は豪雨のようで、心配です。この日、「柳橋紫雲閣」の竣工清祓御祭の神事が行われました。

f:id:shins2m:20200613104123j:plainオープンした柳橋紫雲閣

f:id:shins2m:20200613104052j:plain柳橋紫雲閣の前で

f:id:shins2m:20200613103945j:plain
大谷支配人と

f:id:shins2m:20200613104155j:plain
ロビーには胡蝶蘭が・・・・・・

f:id:shins2m:20200613104208j:plain
中陰会場

f:id:shins2m:20200613104315j:plain
親族控室

f:id:shins2m:20200613104244j:plain休憩室(1人用)

f:id:shins2m:20200613104256j:plain
和室

柳橋紫雲閣は、サンレーグループで全国84番目、サンレー北陸で15番目の施設です。場所は、石川県金沢市柳橋町丙3-1。設計管理はMAC建築研究所さん、施工は豊蔵組さんです。まるで自宅のリビングルームのような、ゆったりいとした最新控室を完備しています。一日一式のみご葬儀をお受けし、大切な人との最後の時間を心安らかに過ごせるよう、経験豊富なスタッフが真心込めてお手伝いいたします。

f:id:shins2m:20200613104402j:plain
本日の神饌

f:id:shins2m:20200613104423j:plain本日の式次第

f:id:shins2m:20200613105852j:plainさあ、儀式の場へ!

f:id:shins2m:20200613110038j:plain
竣工式にて

f:id:shins2m:20200613105956j:plainソーシャルディスタンスを保って・・・・・・

f:id:shins2m:20200613110120j:plain
一同礼!

f:id:shins2m:20200613111203j:plain
清祓之儀のようす

 

神事の進行は、サンレー北陸総務部の上本さんが担当。竣工神事は地元を代表する神社である「松尾神社」の松本昌丈宮司にお願いしました。 開式の後、修祓之儀、降神之儀、献饌、祝詞奏上、清祓之儀を行いました。

f:id:shins2m:20200613111421j:plain玉串奉奠して柏手を打ちました

f:id:shins2m:20200613111907j:plain
神酒拝戴のようす

 

それから、玉串奉奠です。祭主に続いて、最初に サンレー社長であるわたし、続いて東専務が玉串を奉奠しました。その後、撤饌、昇神之儀、神酒拝戴、そして閉式と、滞りなく竣工清祓神事を終えました。

f:id:shins2m:20200613112136j:plain
主催者挨拶でマスクを取る

f:id:shins2m:20200613112147j:plain
主催者挨拶をしました

 

それから、いよいよ主催者挨拶です。
わたしは、次のように挨拶しました。
今も昔も変わらぬ金沢市北部の玄関口であり、藩政時代に江戸へと続いた街道の街並を一部で面影を残し参勤交代の行列が華々しく通った情景を彷彿とさせます。本日、このように立派なホールを建設できて、本当に嬉しく思います。関係者のみなさまに心より感謝いたします。これで、会員様に満足のゆくサービスを提供することができます。ぜひ、新施設で最高の心のサービスを提供させていただき、この地の方々が心ゆたかな人生を送り、人生を卒業されるお手伝いをさせていただきたいと願っています。

f:id:shins2m:20200613112201j:plain柳橋について述べました

 

また、わたしは柳橋について、こう述べました。
柳橋町の町名の起こりは、言い伝えによりますと鎌倉時代浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が越後(現在の上越市)へと下向の際に京都からお后の玉日姫(たまひのひめ)が後を慕って、この地まで逃げて来られました。途中、大雨となったために姫はこの地の街道筋の茶屋にて休まれている時に近くを流れる川が氾濫し橋が流出してしまい渡ることが出来なくなりました。川には他に橋が架かっておらず、そこにはただ一本の大きな柳の木があるのみでした。玉日姫は「柳に霊あれば川を渡してたもれ」と祈ったところ、翌朝には柳の木は自然に倒れ伏して橋となっていたそうです。それ以来、この地は「柳橋」という地名となりました。

f:id:shins2m:20200613112330j:plain土地の由来を話しました

 

さらに、わたしは以下のようにも述べました。
無事に越後に到着された玉日姫は、後に遣いをよこし親切にしてくれた茶屋の好意に報いるため京都で人気のあった京団子の秘法を授けられました。これが今でも伝えられる柳橋団子の始まりとなります。参勤交代の時代には、この街道沿いは多くの旅人たちで賑わい、柳橋団子は食され名物となりました。しかし鉄道が開通してからは時代の移り変わりとともに寂れてしまいました。昭和30年代には東金沢駅の構内で立ち売りされていて人気を博していたといわれております。今はない柳橋団子の面影は現在では兼六団子として売られているものに伝えられています。

f:id:shins2m:20200613112425j:plain聖人を追いて来たるは柳橋ここより向かふ極楽浄土 

 

わたしは、「このような真宗王国の素晴らしい歴史を持つ柳橋に新しい紫雲閣をオープンすることができて嬉しく思っています。新型コロナウイルスの感染拡大で不安な毎日ですが、多くの方々が人生を卒業される儀式のお手伝いをしっかりさせていただきたいです」と述べました。そして最後に以下の道歌を披露しました。

 

聖人を追いて来たるは柳橋
   ここより向かふ極楽浄土

 

f:id:shins2m:20200613112532j:plain
決意表明のようす

f:id:shins2m:20200613112622j:plain
決意表明を受け取りました

f:id:shins2m:20200613112746j:plain集合写真を撮影しました

その後、大谷支配人より、この地の方々の人生の卒業式を心をこめてお世話させていただき、地域に愛される会館をめざしますという力強い決意を受け取りました。決意表明の後は、参加者全員で集合写真を撮影しました。

f:id:shins2m:20200613115438j:plain
昼食会でマスクを外す

f:id:shins2m:20200613115457j:plain昼食会の冒頭で挨拶しました

本来は、柳橋紫雲閣でそのまま直会を開催するのですが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、マリエールオークパイン金沢に移動して、サンレー幹部のみ少人数で昼食会を開きました。もちろん各自、2メートル以上のソーシャル・ディスタンスをしっかり取っていました。冒頭、わたしが挨拶をしました。わたしはマスクを外して、「このような時期ですが、わが社は『礼の社』ですので、竣工式だけは行いました。現在、日本全国に緊急事態宣言が出されています。冠婚葬祭業界も大混乱で、結婚式の多くは延期され、葬儀も感染の危険に脅かされています」と述べました。

f:id:shins2m:20200613115542j:plainこの前代未聞の時代を共に生き抜こう!

f:id:shins2m:20200613115849j:plainいただきます!

f:id:shins2m:20200613120026j:plain
美味しいお弁当でした

f:id:shins2m:20200613120200j:plain昼食会のようす

f:id:shins2m:20200613120212j:plain昼食会のようす

f:id:shins2m:20200613122503j:plainごちそうさまでした!

 

そして、わたしは「まだまだ先が見えませんが、季節は春から初夏に向かい、太陽は輝きを増しています。どうか、何事も陽にとらえていきましょう。どんな絶体絶命になっても、ピンチをチャンスに変えなければなりません。始めがあれば、必ず終わりがあります。未来は明るいですし、サンレーは必ず良くなります。どうか、この前代未聞の時代を共に生き抜きましょう!」と述べました。それから、マリエールの美味しいお弁当をいただきました。柳橋紫雲閣が多くの方々に愛される施設となりますように。

f:id:shins2m:20200612190613j:plain北國新聞」2020年6月13日朝刊

f:id:shins2m:20200430111411j:plain死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)

 

なお、この日の「北國新聞」朝刊に広告が掲載されました。今回は、拙著『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)を抽選で30名様にプレゼントいたします。同書では、小説や映画に登場する言葉も含め、古今東西の聖人、哲人、賢人、偉人、英雄たちの言葉、さらにはネイティブ・アメリカンたちによって語り継がれてきた言葉まで、100の「死を乗り越える」名言を紹介。人生を変えうる言葉を集めました。
みなさま、どうぞ、ふるってご応募下さい!


2020年6月13日 一条真也