母の日 

一条真也です。
5月の第2日曜日は「母の日」です。5月は、わたしにとって特別な月です。5日の「子どもの日」、10日の自分の「誕生日」、そして「母の日」があるからです。幼いときから、いつもこの3つの「日」は3点セットでした。最近は、この3つの本質は同じだと気づきました。それは、自分を産んでくれた母親に感謝する日だということです。今年は、ずいぶん久しぶりに「誕生日」と「母の日」が一致しました。

f:id:shins2m:20200509185301j:plain今年は「誕生日」と「母の日」が一致!

f:id:shins2m:20200510123140j:plain「母の日」に贈ったフラワー・アレンジメント 

 

ヒトの赤ちゃんというのは自然界で最も弱い存在です。すべてを母親がケアしてあげなければ死んでしまう。2年間もの世話を必要とするほどの生命力の弱い生き物は他に見当たりません。わたしは、ずっと不思議に思っていました。「なぜ、こんな弱い生命種が滅亡せずに、残ってきたのだろうか?」と。あるとき、その謎が解けました。それは、ヒトの母親が子どもを死なせないように必死になって育ててきたからです。出産のとき、ほとんどの母親は「自分の命と引きかえにしてでも、この子を無事に産んでやりたい」と思うもの。実際、母親の命と引きかえに多くの新しい命が生まれました。また、産後の肥立ちが悪くて命を落とした母親も数えきれません。まさに、母親とは命がけで自分を産み、無条件の愛で育ててくれた人です。心からの感謝の気持ちとともに、母に花を贈りました。

f:id:shins2m:20200510124719j:plain玄関に飾ったフラワー・アレンジメント

 

 「母の日」のフラワー・アレンジメントを妻と一緒に実家に持っていくと、母はとても嬉しそうにしていました。ちょうど父もいて、わたしに誕生日祝いをプレゼントしてくれました。マスク姿で4人で語り合いましたが、久々に家族に囲まれて深い安心感に包まれました。家族といえば、わたしには2人の娘もいます。わたしの妻は、2人の娘の母親でもあるのです。今年も、東京にいる長女と次女から妻へ「母の日」のフラワー・アレンジメントと花束が届くはずでしたが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大でいつもの白金のお花屋さんが休業中で届きませんでした。東京の大学に通っている次女ですが、授業もオンラインとなって、なかなか大変みたいです。お姉ちゃんの力を借りながら。なんとか頑張っているようです。東京で感染拡大が進行しているとき、わたしたち夫婦は毎日、感染者数をチェックして2人の娘を心配していました。

 

決定版 年中行事入門

決定版 年中行事入門

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2018/06/20
  • メディア: 新書
 

 

一昨年上梓した『決定版 年中行事入門』(PHP研究所)および『人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版)でも、わたしは「母の日」を取り上げました。もともと「母の日」とは、1905年の5月9日に亡くなったアメリカの社会運動家アン・ジャービスの功績をたたえたものです。アンは、南北戦争のときにあらゆる人々に愛情をささげた女性です。アンの娘、アンナが母の追悼式に白いカーネーションを参加者に配ったことが母の日の始まりといわれています。

 

 

日本で母の日が普及したのは、キリスト教系の学校・青山学院の働きかけがきっかけでした。「母の日」の導入当初は、当時の香淳皇后の誕生月の3月に催されていましたが、昭和10年頃から5月に行われるようになりました。
昭和10年といえば、わたしの父が生まれた年ですね。
「父の日」は6月の第3日曜日で、今年は21日です。

 

2020年5月10日 一条真也