葬儀崩壊 

一条真也です。
世間では、安倍首相が自宅でくつろぐ動画が物議を醸していますね。わたしは、ロイター配信の「道に遺体が放置される南米エクアドル、遺族の怒り爆発」という記事に大変ショックを受けました。記事には、「新型コロナウイルスの感染が急速に広がった南米エクアドルでは、遺体がビニールにくるまれただけの状態で歩道に放置されている。大統領は当局による遺体の取り扱いについて調査を行う考えを示したが、遺族からは怒りの声が上がっている」と書かれています。

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ロイターより 

 
また記事には、「エクアドルでは新型コロナが急速にまん延し、 医療崩壊を招いただけでなく、葬儀場や墓地までもパンク状態になった。病院は混乱し、遺族に遺体を迅速に引き渡せなかったり、取り違えた事例などが相次いでいる。当局によれば、医師など少なくとも1600人の医療従事者が感染し隔離措置を受けている」とも書かれています。

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路上に放置された遺体(ロイター) 

 

さらに記事には、「こうした中、保健省の職員が公立病院で死亡した人の遺体を引き渡すことと引き換えに、遺族に金銭を要求したとして大臣から免職処分を受ける事態まで起きた。一方墓地では、死者数の増加に墓石が間に合わず、棺にセメントがかけられている。病院の外には仮設の遺体安置所が設けられた。ある遺族は、当局に電話したもののつながらず、仕方なく自分たちで墓を掘った経験をSNS上で告白していた」とあります。



わたしは、新型コロナウイルスの感染拡大による「医療崩壊」の次は、葬儀を行う体制が崩壊する「葬儀崩壊」が起こるのではないかと心配しているのですが、エクアドルではそれが現実になったようです。現在、医療崩壊を招いた国では助けられたはずの人が次々と亡くなっています。その数は火葬場が足りなくなるほどで、イタリアにおける教会、スペインにおけるアイスアリーナ、ニューヨークにおけるビル街といった場所に臨時の遺体安置所が続々と設置されています。



ロイターによれば、感染による死者数が世界最多となったアメリカでは、ことさら事態は悲惨です。米ジョンズ・ホプキンズ大の集計によると、新型コロナウイルスによる米国の死者が11日、2万人を超え、国別でイタリアを上回り最多となりました。ニューヨーク市ブロンクス北東にあるハート島の共同墓地には、経済的理由などで葬儀が行われない遺体や引き取り手のない遺体が次々と埋葬されているそうです。

 

葬式仏教の誕生-中世の仏教革命 (平凡社新書600)

葬式仏教の誕生-中世の仏教革命 (平凡社新書600)

  • 作者:松尾 剛次
  • 発売日: 2011/08/10
  • メディア: 新書
 

 

当ブログ記事を読まれた上智大学グリーフケア研究所の所長で、宗教学者島薗進先生からのメールには、「松尾剛次さんの『葬式仏教の誕生』に書いてあったと思いますが、日本の中世には街に遺体が転がっているようなことが度々起こり、そうした死者と遺族のために読経することが僧侶の重要な働きとなり、それが葬式仏教につながったのだと書いてあったと記憶します。その状況に戻ったような状況と感じられます。あらためて葬儀の意味を見直す時期というのは、仰せのとおりと思います。これが葬儀の簡略化につながる可能性は小さくなく、かわって新たなグリーフケアが求められていくのかもしれません。よく考え直したいと思います」と書かれていました。島薗先生、ありがとうございました。



「葬式仏教」が根付いた日本でも、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった方の葬儀が行うことができない状況が続いています。ブログ「志村けんさん逝く!」で書いたように、3月29日、日本を代表するコメディアンであった志村けんさんが70歳で亡くなられましたが、ご遺族がご遺体に一切会えないまま荼毘に付されました。新型コロナウイルスによる死者は葬儀もできないのです。ご遺族は、二重の悲しみを味わうことになります。さらに、肺炎で亡くなった方の中には新型コロナウイルスかと疑われる方もあるので、参列を断ったり、儀式を簡素化するケースも増えてきています。わたしは今、このようなケースに合った葬送の「かたち」、そして、グリーフケアの具体的方法を模索しています。

f:id:shins2m:20200413122727j:plainヤフー・ニュースより

 

このたび、日本であってはならない事態が生じました。愛知県は、新型コロナウイルスに28人が感染していたとする11日のPCR検査にミスがあり、実際に感染が確認されたのは4人だったと訂正しました。本来陰性だった24人が誤って陽性と判定されていたわけですが、死亡後に陽性と判定された一宮市の80代の男性は、通夜などが営まれることもなく火葬されたということです。このニュースを知ったとき、わたしは遣り切れない思いを抱くとともに、愛知県以外でも同様の事態が起こるのではないかと非常に不安になりました。愛知県の謝罪会見は、いわば「葬送の緊急事態宣言」であったような気がして仕方がありません。

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2015年8月、わたしは、これまでのわが執筆活動の集大成であり、戦後70年記念出版である『唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)を上梓しました。同書の銀色の帯には「問われるべきは『死』ではなく『葬』である!」と大書され、「――途方もない思想がここに誕生―――」「戦後70年記念出版」と続きます。わたしは、「ホモ・フューネラル」という言葉に表現されるように、人間の本質とは「葬儀をするヒト」であり、人間のすべての営みは「葬」というコンセプトに集約されると考えます。



カタチにはチカラがあります。カタチとは儀式のことです。最期のセレモニーである葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。単なる火葬は葬儀ではありません。それは遺体焼却に過ぎません。もし、儀式としての葬儀が行われなければ、配偶者や子供、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自殺の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。その意味で、葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。



葬儀崩壊には、さまざまなパターンがあります。
死者が多すぎて遺体処理が追いつかないケース。葬儀関係者にまで感染拡大が広がって、葬儀サービスを提供できなくなるケース。そして、今回の新型コロナウイルスのように未だワクチンが開発されていないウイルスによる死者が増え続けて、遺族も遺体と面会できず、儀式をせずに遺体焼却せざるを得ないケースです。極論ですが、すべての死者が新型コロナウイルスによる死者となった場合、この世から「葬儀」という儀式は消滅します。上智大学グリーフケア研究所の特任教授で、宗教哲学者である鎌田東二先生は、わたし宛のメールに「葬儀もできない今の新型コロナウィルスによる死の迎え方は、人類史上究極の事態かと認識しています」と書かれていました。まったく同感です。

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当ブログ記事を読まれた出版プロデューサーの内海準二さんは、拙著『葬式は必要!』(双葉新書)を編集して下さった方ですが、わたし宛のLINEに「コロナにかかれば、小生のような高齢者は死ぬリスクがあります。死が怖いというより、誰にも会えない、葬儀をあげてもらえない、そんな最期が怖い! コロナでは死にたくないです」と書かれていました。これは多くの高齢者の方々も同じ思いでしょう。 ブログ「パンデミック100年周期説」で紹介した、1720年のペスト、1820年のコレラ、1920年のスペイン風邪の大流行でも大量の遺体が葬儀をされずに処理されました。2011年の東日本大震災の際に、津波で流されて発見されない多くの遺体がありました。そのとき、遺族の方々は「普通に遺体があって、普通に葬儀ができることは、なんと幸せなことか!」と痛感されたといいます。言うまでもなく、葬儀とは「人間の尊厳」に直結しています。どうか、この日本において、「葬儀崩壊」が起きないことを願うばかりです。

 

2020年4月13日 一条真也