映像の魔術師、死す!

一条真也です。
映画監督の大林宣彦氏が10日午後7時23分に肺がんのため、82歳で死去されました。CMディレクターから映画の世界に入り、「HOUSE」でデビュー。故郷の広島県尾道市を舞台にした「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の“尾道三部作”が有名です。ファンタジー作品に定評があり、「映像の魔術師」の異名で知られました。

 

「スポーツ報知」が配信した「映画監督の大林宣彦氏、82歳で死去 肺がんで余命3か月の宣告から3年8か月」という記事には、以下のように書かれています。
「約60年間にわたり映像作りに情熱を燃やし、生涯をささげた大林監督が逝った。余命宣告を受けながらも意欲を失わなかった映像の魔術師。昨年11月には東京国際映画祭で特別功労賞を授与され、遺作となる近日公開予定の映画『海辺の映画館―キネマの玉手箱』を力強くアピールしていた」



続けて、記事には以下のように書かれています。
「従来の撮影所から育った映画監督ではなく、CMディレクターとしてチャールズ・ブロンソンを起用した『マンダム』のCMなどを手がけ、77年に『HOUSE ハウス』で商業映画の監督デビューを果たす。当時としては異色の経歴だったが、ファンタジーあふれる表現力で映像の魔術師と呼ばれた。みずみずしい少女の描写、愛に満ちた人間ドラマ、ふるさと愛あふれる日本の原風景が作品に投影されていた」



続けて、記事には以下のように書かれています。
「ふるさとの広島県尾道市を愛し、『転校生』(82年)、『時をかける少女』(83年)、『さびしんぼう』(85年)の“尾道三部作”を発表。薬師丸ひろ子原田知世富田靖子らをスターに押し上げたことでも知られる。遺作となる『海辺の映画館―キネマの玉手箱』では大林組の常連である常盤貴子を起用し、『人生の集大成』を表現していた。



そして、記事には以下のように書かれています。
 「『私が最初の観客よ』と話すプロデューサーの妻・恭子さんと二人三脚で映画を作り続けた。大林さんは『映画はプロデューサーが作るもの。それが私の持論。プロデューサーの想像力と人生体験が寄り集まって物語りを作る。私は忠実な体現者』と語っていた。11歳で『HOUSE ハウス』の原案者に名を連ねた長女・千茱萸(ちぐみ)さん、その夫の森泉岳士さんら家族ぐるみで制作にあたっていた」



わたしが最初に大林監督の作品を観たのは「HOUSE ハウス」(1977年)。当時のわたしは中学2年生でしたが、正直、この作品を好きになれませんでした。その色使いがあまりにも大胆すぎて「毒々しい」と感じたからです。その後に観た「ねらわれた学園」(1981年)も相変わらずの毒々しさに加えて過剰な演出に嫌悪感さえ抱きました。



あるとき、映画館で上映前に流れたCMで、大林監督と恭子夫人が一緒に登場して、「大林宣彦と大林恭子は夫婦恋人です」というものがあったのですが、それを観たわたしは、「なんだ、この夫婦、気持ち悪いな」と思いました。ナルシストのようでもありましたし、今なら「お花畑」といったイメージを大林監督に抱いた思い出があります。11歳の長女を「HOUSE ハウス」の原案者にするぐらいですから、常識を超えた家族愛の持ち主だったのでしょう。

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初めて尾道を訪れる 

 

そんなわたしが大林監督の映画を初めて好きになったのは、「転校生」(1982年)です。この作品からは過剰な演出や毒々しい色使いも消え、物語の世界にすっと入って行けました。続く「時をかける少女」(1983年)、「さびしんぼう」(1985年)では、すっかりファンになってしまい、その後は大林監督の映画は欠かさず観るようになりました。ビデオソフトもVHSで全作品をコレクションしていたほど好きでした。それから四半世紀を経て、ブログ「尾道」に書いたように、2011年5月20日、わたしは初めて尾道を訪れました。大林ファンとして待望の尾道訪問でした。

f:id:shins2m:20110520172541j:plain「おのみち映画資料館」 の前で

 

初めて訪れた尾道で、ブログ「おのみち映画資料館」に書いたように、わたしは地元の映画資料館にも行きました。残念だったのは、大林宣彦監督の映画についての展示がゼロだったことです。大いに期待していただけに、これにはガッカリでした。受付の方に尋ねると、大林監督サイドから許可が下りないので展示できないそうです。

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尾道三部作」「新・尾道三部作」のロケMAP 

 

わたしは、ブログに「大林監督といえば、『尾道三部作』であり、『新・尾道三部作』です。なぜ、尾道で唯一の映画資料館での展示を許可しないのでしょうか? 大林監督にとっても、そのような行為は得策ではないと思うのですが・・・。詳しい事情はわかりませんが、ぜひ考え直していただきたいものです。トルストイではないですが、芸術は個人のものではなく万人のものだと思います」と書きました。

f:id:shins2m:20110521112116j:plain御袖天満宮の石段にて 

 

わたしは、一夫と一美のように転げ落ちないように、ゆっくりと慎重に石段を一歩づつ下って行きました。なんとか無事に下まで辿り着きました。でも、この後、わたしは坂道で転び、足を骨折するというアクシデントに見舞われたのです。きっと、神社を石段を見て、自分が転げ落ちるというイメージを強く脳に刻み込んだので、脳が「転ぶ」を「転べ」と誤解して時間差で転倒してしまったのだと思います。これぞ「引き寄せの法則」であります。忘れられない思い出です。



尾道では、ブログ「御袖天満宮」で書いたように、「転校生」のロケ地として有名な神社を参拝しました。長い石段を上から見上げると、また壮観でした。「この石段から転げ落ちたら大変だ」と思いました。「転校生」では、まさに一夫(尾美としのり)と一美(小林聡美)の2人が抱き合ったままこの石段を転げ落ち、そのショックで2人の中身が入れ替わってしまったのでした。そんな奇妙な出来事が起きても不思議でないぐらい、常軌を逸した長い石段でした。

 

そんな嫌な思い出もある尾道ですが、尾道を舞台にした大林ファンタジー映画はやはり素晴らしいです。中でも「新・尾道三部作」の「ふたり」(1991年)が最高傑作ではないでしょうか。赤川次郎の原作小説をジュヴナイル・ファンタジー映画化した作品です。突然事故死し幽霊となった姉に助けられて思春期を成長していく妹の姿を描く「ジェントル・ゴースト・ストーリー」です。優等生の姉・千津子を中島朋子、どこかとろい妹の実加石田ひかりが演じました。この作品が映画デビューとなった石田ひかりは、その年の映画賞新人賞を総ナメする好演で、多くの観客を魅了しました。



「ふたり」は、悲しくも優しく美しい物語です。ある日、千津子は不慮の事故で命を落とします。その後、千津子は幽霊となって実加の前に現れます。実加は姉の力を借りながら、学校内のいざこざや家庭問題、そして恋愛など数々の困難を乗り越えていくのでした。和洋折衷の色をまとわせながら、繊細かつポップに少女の成長が描かれています。まさに「映像の魔術師」の仕事といった印象ですが、エンドロールでは大林監督と音楽担当の久石譲が名曲「草の想い」をデュエットで歌います。これがまたセンチメンタルで素晴らしい! この映画を観た直後、わたしは大林監督にファンレターを書きました。いま、じつに30年ぶりに思い出しました。



その他、わたしの好きな大林映画は、ブログ「異人たちとの夏」で紹介した1988年のジェントル・ゴースト・ストーリーです。わたしは、この映画が大好きで、もう何度観たかわかりません。原作は、山田太一氏の小説です。妻子と別れた人気シナリオライターが体験した、既に亡くなったはずの彼の家族、そして妖しげな年若い恋人との奇妙なふれあいが描かれた幻想小説の傑作です。妻とも別れ、孤独な毎日を送っていた風間杜夫演じるシナリオライターの主人公が、死んだ両親(現在の自分とほぼ同年輩の姿)と再会する物語です。同時にある女性と親しくなるが、両親との邂逅を繰り返すたび、主人公の身体はなぜか衰弱していきます。人間と幽霊の間の愛と情念とを情感豊かに描き込んだ名作でした。



そして、大林監督の遺作が、20年振りに故郷「尾道」で撮影した映画「海辺の映画館-キネマの玉手箱」です。常盤貴子主演で、尾道にある海辺の映画館が舞台です。尾道の海辺にある唯一の映画館「瀬戸内キネマ」が閉館を迎え、日本の戦争映画特集を観ていた若者3人は、突然劇場を襲った稲妻の閃光に包まれ、スクリーンの世界にタイムリープします。戊辰戦争日中戦争沖縄戦、そして原爆投下前夜の広島へ。そこで出会ったのは移動劇団「桜隊」でした。歴史上では原爆の犠牲になった「桜隊」の未来を変えるため、戦争を知らない3人の若者は、歴史を変えようと奔走します。



戦争の歴史を辿りながら、無声映画、トーキー、アクション、ミュージカル・・・・・・さまざまな映画表現で展開していきます。大林版「ニュー・シネマ・パラダイス」といえる作品です。榎本健一の名曲「武器ウギ<無茶坊弁慶>」を武田鉄矢がカバーした主題歌に乗せて、大林監督の“映画への情熱” と“平和への思い”に賛同し、小林稔侍、高橋幸宏尾美としのり武田鉄矢南原清隆片岡鶴太郎柄本時生稲垣吾郎蛭子能収浅野忠信伊藤歩中江有里笹野高史満島真之介渡辺えり窪塚俊介長塚圭史といった豪華キャストが集結しました。



この「海辺の映画館-キネマの玉手箱」ですが、まさに大林監督が亡くなった4月10日が公開日でした。このあたりに「映像の魔術師」らしさを感じるのですが、このような強い想いを込めた大作を最後に遺せるなんて、なんと幸福な人生でしょうか!
残念ながら新型コロナウイルスの影響で公開が延期されています。感染拡大が終息して、映画館が営業再開し、この映画が上映されたときは、必ず観に行くつもりです。



2016年8月にステージ4の肺がんで余命3か月の宣告を受けてからも意欲を失わず、昨年11月の第32回東京国際映画祭で「あと3000年、映画を作りたい」と語っていました。頬がやせ細り、車いすでの部隊挨拶でしたが、「戦争は明日にでも起きますが、平和は400年かかる。観客が世界を幸せにする力を持っているんです。それが映画の自由な尊さです。やり遂げなければいけません」と訴えていた。



わたしを含むすべての映画ファンは、「観客が世界を幸せにする力を持っている」という大林監督の言葉を胸に刻みたいものです。現在、世界は戦争ではなくウイルスによって、人々が映画鑑賞できない状況にあります。人生を卒業した「映像の魔術師」がジェントル・ゴーストとなって、わたしたちが安心して映画鑑賞できる平和な日常を取り戻す魔法をかけてくれるような気がしてなりません。最後に、大林宣彦監督の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。



2020年4月11日 一条真也