儀式を葬るウイルス

一条真也です。
「ダイヤモンド・オンライン」が4月3日に配信した「東京五輪の新日程を電撃的に決めた、IOCと日本政府の無神経」という記事には考えさせられました。

f:id:shins2m:20200403223008j:plain「ダイヤモンド・オンライン」2020年4月3日配信

 

作家・スポーツライターの小林信也氏が書かれた同記事には、利権・金権・政権の都合で決められた東京五輪の1年延期の「闇」を暴き出す内容ですが、その冒頭を小林氏は
「『いま人類は、すべての予定を奪われている』と表現していいだろう。今日すべきことが、できない。世界中で、自由が制約されている。卒業式も入学式も結婚式も自粛を求められ、通夜や葬式さえ危険と認識されている。先の予定を明確に決めることもできない。言うまでもなく、新型コロナウイルスの感染がいまだ進行中で、終息の目途が立たないからだ」と、達意の文章で書きだしています。


儀式論』(弘文堂)

 

この格調高い名文には、「卒業式」「入学式」「結婚式」「通夜」「葬式」といった固有名詞が並んでいますが、それらはすべて儀式です。拙著『儀式論』(弘文堂)でも訴えましたが、儀式は人間が人間であるためにあるものです。儀式なくして人生はありません。まさに、新型コロナウイルスは「儀式を葬るウイルス」と言えるでしょう。そして、それはそのまま「人生を葬るウイルス」です。

 

人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。そこで大切なことは先に「かたち」があって、そこに後から「こころ」が入るということ。逆ではダメです。「かたち」があるから、そこに「こころ」が収まるのです。ちょうど不安定な水を収めて安定させるコップという「かたち」と同じです。

 

人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつか?
それは、子供が生まれたとき、子どもが成長するとき、子どもが大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くすときなどです。その不安を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった「かたち」としての一連の人生儀礼があるのです。

 

多くの儀式の中でも、人間にとって最も重要なものは「人生の卒業式」である葬儀ではないでしょうか。しかし、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった方の葬儀が行うことができない状況が続いています。志村けんさんがお亡くなりになられましたが、ご遺族はご遺体に一切会えずに荼毘に付されました。新型コロナウイルスによる死者は葬儀もできないのです。ご遺族は、二重の悲しみを味わうことになります。わたしは今、このようなケースに合った葬送の「かたち」、そして、グリーフケアを模索しています。

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日本経済新聞」2020年4月3日朝刊

 

本日、ブログ「悲嘆ケア葬祭業が一肌」で紹介した「日本経済新聞」の記事を読まれた宗教哲学者の鎌田東二先生からメールが届きました。そこには、「葬儀もできない今の新型コロナウィルスによる死の迎え方は、人類史上究極の事態かと認識しています。危機的な状況で、本人の霊も遺族の心も大きな傷やグリーフやペインを抱えてしまうのではないかと大変危惧します。そのような状況下で、グリーフケアやスピリチュアルケアが必要と思いますが、車間距離のように『身体距離』を取る必要を要請されている状況下、どのようなグリーフケアやスピリチュアルケアがあり得るのかを知恵と工夫を出し合わねばなりません。何かよい知恵と工夫はあるでしょうか?」と書かれていました。鎌田先生から頂戴した宿題は、次回で丸15年目の第180信となる「ムーンサルトレター」で提出したいと思います。

 

2020年4月3日 一条真也