「Fukushima50」

一条真也です。
9年目の「3・11」の夜、日本映画「Fukushima50」を観ました。新型コロナウイルスの感染拡大防止のために‟瀬戸際の2週間”は映画館通いを控えていましたが、安倍首相は19日までの自粛延期を要請。しかし、この映画だけはこの日に観なければと思ったのです。もちろんマスクを装着しながらの鑑賞でしたが、シネコンで一番大きなシアターには数人の観客しかおらず、全員マスク姿。映画の内容さながらに緊迫感のある映画鑑賞となりました。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「多くの関係者への取材を基に書かれた門田隆将のノンフィクション『死の淵を見た男 吉田昌郎福島第一原発』を実写映画化。世界を震撼させた東日本大震災による福島第一原子力発電所事故発生以降も現場に残り、日本の危機を救おうとした作業員たちを描く。『64-ロクヨンー』シリーズなどの佐藤浩市、『明日の記憶』などの渡辺謙らが出演。『沈まぬ太陽』などの若松節朗がメガホンを取り、ドラマシリーズ『沈まぬ太陽』などの前川洋一が脚本を務めた」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の地震が発生し、それに伴う巨大な津波福島第一原子力発電所を襲う。全ての電源が喪失して原子炉の冷却ができなくなりメルトダウン炉心溶融)の危機が迫る中、現場の指揮を執る所長の吉田昌郎渡辺謙)をはじめ発電所内にとどまった約50名の作業員たちは、家族や故郷を守るため未曽有の大事故に立ち向かう」


「Fukushima50」とは何か。それは東日本大震災の際に福島第一原子力発電所の対応業務に従事していた人員のうち、同発電所の事故が発生した後も残った約50名の作業員に対し欧米など日本国外のメディアが与えた呼称です。Wikipedia「フクシマ50」の「概要」には、以下のように書かれています。「2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震の後に発生した津波によって福島第一原子力発電所の原子炉の冷却機能が停止し、それらの復旧作業や応急処置のために同発電所には社員を含め約800人の従業員が従事していた。しかし、懸命の復旧作業にもかかわらず、原子炉1号機の水素爆発など度重なる原子炉爆発事故が発生し、遂に3月15日には、原子炉4号機の爆発と火災が発生。この4号機の爆発は使用済み核燃料プールに保管していた『使用済み核燃料』が建屋上層にあり、爆発によってそれが露出した可能性があることと、放射性物質が飛散した可能性があるため、これらの危険回避の為に人員約750人は東京電力の指示によって避難した。しかし、約50人が現地にとどまり、福島第一原子力発電所の被害を食い止めることに尽力した。これを日本国外メディアが彼らを地名と人数を合わせた『Fukushima 50』の呼称で呼び始めた」



続いて、Wikipedia「フクシマ50」の「概要」には、こう書かれています。
「16日朝、検出された放射線の高さから健康への影響が懸念され、彼らは短い時間一時的に避難しなければならなくなった。彼らが現場に戻ったとき、新たに人以上が加わり、当初の約50人に加え総数は約180人になったと報告された。3月18日には柏崎刈羽原子力発電所や送電線敷設要員も加わり、総勢580人の体制になった。彼らの中には東京電力やその子会社の東電工業や東電環境エンジニアリングなど東京電力協力企業の社員、また東芝日立製作所の社員なども加わっている。3月21日までに、東芝横浜市磯子の技術センターで700人の原発事故対応チームを組織、そのうち100人を福島の2ヶ所の原発に派遣し、日立も1000人規模の対応チームを組織、120人を現場に送った」



さらに、Wikipedia「フクシマ50」の「概要」には、こう書かれています。
「人数は増えていったものの、『Fukushima50』の名前はそのままメディアで使われ、彼らを総称する言葉となった。アメリカのABC放送が原発事故においての対応として、たいていの場合は高齢者で生殖可能年齢を超えた者が対応に当たることが多いことから後日はそのような対応が行われたのではないかとの憶測を報じたが、事故当初はとにかく現場の技術者が対応せざるを得ない状態にあり事故拡大および被爆の度合いが予想不可能の状態での作業であった。 彼らの活動には、爆発によってもたらされた損害と放射線濃度の測定も含まれており、海水で損傷した原子炉を冷却し、火災の危険を除くことに取り組んだ。彼らは、放射線汚染を受けるリスクを承知で現場にとどまった。放射線汚染の危険レベルは非常に高く、半径20kmの避難地域が指定され、またメディアはこの厳しい状況が将来、彼らの健康に重大な悪影響を及ぼしうること、また場合によっては死にも至りうることを指摘した」



以上のような事実は、わたしも当時の新聞報道やTVニュースなどで断片的に知っていました。しかし、この映画を観たことによって多くの「点」が「線」としてつながりました。もちろん、映画ですから美談仕立てにはなっていることも承知していますが、映画にはこのように歴史的事実を時系列で示してくれる学習的効果があることを再確認しました。福島第一原発から帰ってきた東京消防庁隊員に対して東京都の石原慎太郎知事(当時)が涙ながらに感謝の意を表明したことなども思い出しました。石原知事はおそらく、彼らの姿に戦艦大和の乗組員や神風特攻隊の隊員などの姿を重ね合わせたのではないかと推察しますが、たしかに決死隊という意味では共通しています。わたし自身も、この映画を観ながら「YAMATO/男たちの大和」や「永遠の0」といった日本映画の名作を連想しました。いつの時代でも、自己犠牲の精神は泣けます。



石原知事の男泣きも忘れられませんが、当時の日本国首相であった菅直人氏の愚行も忘れられません、あの非常に、官邸が余計なことをして、どれだけ現場の邪魔をしたことか・・・・・・わたしも経営者の端くれとして、リーダーとして絶対にしてはならないことを反面教師として学びました。東日本大震災発生当時の民主党政権は最低であり、どれだけ「ああ、自民党政権なら良かったのに」と思った人が多かったことかと思いますが、その人たちは新型コロナ騒動のさ中にある現政権をどう思っているでしょうか?それはさておき、当時の福島第一原子力発電所吉田昌郎所長の苦悩を思うと、胸が痛みます。あのとき、もし発電所が大爆発を起こして最悪の事態となっていたら、じつに5000万人もの日本人が被爆し、東日本は壊滅していたところでした。もっとも、お隣の東北電力が巨大津波対策をしたのに東電では必要ないと決めていたのが吉田所長本人という話も聞いたことがあります。吉田所長が津波対策をしていたらあの事件は起きていなかったこともあり、「今回の映画は美化しすぎ」との声もあります。しかしながら、吉田所長自身も自分のせいでこんな事態になったと最後まで一生懸命だったのは確かでしょう。最後にギリギリのところで最悪の事態を回避したのは奇跡的ですが、これはもう多くの関係者の「祈り」の力のせいとしか思えません。



9年前、日本は未曾有の国難にありました。そのとき、この映画でも描かれた「トモダチ作戦」が実行されました。東日本大震災に際して、米軍が行った災害救援活動の作戦名ですが、作戦司令部を東京都の横田空軍基地に置き、各地の在日米軍基地が活用されました。他に原子力空母ロナルド・レーガンなども投入され、ピーク時には2万人近い人員を動員して展開されました。いま、また新型コロナウィルスによって日本は国難の中にあります。しかしながら、アメリカをはじめ、イタリアもイランも韓国も中国も同じように国難の中にあります。ここは9年前のように、各国が隣人愛を示し合って、人類の本能である「相互扶助」の姿勢を見せてほしいものです。

 

さて、映画「Fukushima 50」の感想ですが、まずは豪華な俳優陣の顔ぶれに驚かされます。そして、その中でも、やはり佐藤浩市渡辺謙の日本映画を代表する2人の演技合戦が圧巻です。1月26日に東京都内で行われたワールドプレミアイベントに、福島第一原発1・2号機当直長の伊崎を演じた佐藤浩市は、福島第一所長の吉田役の渡辺謙について、「出所出自は違ってもほぼ世代は一緒。何十年もこの世界で物作りをやっている。その思いですよね。同胞と言っちゃうと安っぽいけど、どこかそういう関係性が役の中でも一緒だったと思う」と語りました。それを聞いていた渡辺謙も、「そういう関係が、ちょうど吉田と伊崎という、原発に対して抱いている気持ちみたいなものと、どこかフィックスするところがあった」として、「クランクインで浩ちゃん(佐藤さん)と握手をしたとき、(原発1・2号機のシーンに登場する)彼らが必死の思いで撮ったボールを渡されたような気がした。熱さをそのまま(自分たちの本部の方の撮影に)ぶつけていかなきゃいけないという思いだった」と撮影当時の心境を振り返りました。どうやら、2人の名優の実際の人間関係が役作りにも影響を与えたようですね。



東日本大震災といえば、「シンとトニーのムーンサルトレター」の第179信において、宗教哲学者の鎌田東二先生が、「3月11日は東日本大震災から丸9年となります。政府は主催してきた東日本大震災追悼式を中止にすることを決めました。安倍政権の政策が後手後手になっているという批判もその通りですが、これほど疾病を含め、自然災害を繰り返し経験してきた国であるにもかかわらず、対策や対応が迅速に行われないというのは、また、情報も透明性を以て精確に伝えられないというのは、ガバナンスの仕組み自体に欠陥があるとしか思えません。やはり防災全般に対する体系的な研究対策機構が必要だということでしょう。それが防災省という形がよいのか、それとも内閣直轄の機構がよいのかと言えば、独立しつつも中央と地方と国際機関と緊密に連携できる研究と対策の専門機関がわたしは絶対に必要だと思ってきました」と書かれています。まったく同感です。


 この映画の最後には、「2020年に開催される東京オリンピックパラリンピックは『復興五輪』とされている。聖火ランナーはフクシマからスタートする」とのクレジットがありました。しかし、ブログ「オリンピックどごろでねえ」でも紹介したように、現地である福島では東京五輪の開催に批判の声もあがっています。そのブログ記事の最後に、わたしは「Fukushima50」を紹介し、「わたしもまだ観ていないのですが、東日本大震災の教訓を忘れないためにも、すべての日本人が観るべき映画のような気がします。落ち着いたら、ぜひ鑑賞したいです」と書きました。その後、3・11当日を迎えて、居てもたってもいられずに映画館を訪れたわけですが、この日に観て良かったと心底思いました。というのも、現在の新型コロナ騒動のさなかで、わたしたちがどう生きるべきかのヒントを与えられたからです。



映画の終盤には、渡辺謙演じる吉田所長の葬儀のシーンが登場しました。そこで、佐藤浩市演じる伊崎が弔辞を読みます。葬儀会場には「フクシマ50」の面々も揃って参列しているのですが、当然ながら彼らはみな喪服に身を包んでいます。制服姿で原発で奮闘する彼らの姿も美しかったですが、彼らの喪服姿も美しいと感じました。結局、大切なものを守るために必死で闘うことと、死者を弔うことには共通して人間としての「美」があるように思いました。わたしは、この葬儀のシーンを見ながら、「おそれずに 死を受け容れて 美に生きる そこに開けり サムライの道」という自作の歌を思い出しました。ラストシーンは福島に咲く満開の桜がスクリーンに映し出されました。吉田と「同期の桜」である伊崎が「今年も桜が咲いたぞ」とつぶやきます。そういえば、もうすぐ日本列島は桜の季節になりますが、新型コロナ騒動の中で花見も確実に自粛されるでしょうね。この国難の中だからこそ、1人でも多くの日本人に観てほしい映画です。

 

2020年3月12日 一条真也拝