儀式なくして人生なし

一条真也です。
3月3日は「雛祭り」ですね。
新型コロナウィルス感染拡大の大きな不安の中にあるからこそ、日本人は平常心を取り戻して「生活の古典」である年中行事を大切にしなければなりません。
この日、「西日本新聞」に「令和こころ通信 北九州から」の第21回目が掲載されました。月に2回、本名の佐久間庸和として、「天下布礼」のためのコラムをお届けしています。今回のタイトルは「儀式なくして人生なし」。

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西日本新聞」2020年3月3日朝刊

 

3月3日は桃の節句、「雛祭り」です。わたしは、弟との2人兄弟なので、子どもの頃は雛祭りには無縁のはずでした。しかし、わが実家には大量の雛人形がありました。母が無類の雛人形好きで、コレクションしていたからです。毎年3月になると、人形たちが家中に飾られました。

 

わたしには2人の娘がおり、わが家では妻が広島の実家から持参してきた雛人形が飾られてきました。妻は姉との2人姉妹で、ずっとこの人形で桃の節句を祝ってきたといいます。現在では2人の娘は東京で暮らしています。それでも、雛祭りの季節になると、自然と娘たちの将来に思いを馳せてしまいます。親として彼女たちの幸せを祈らずにいられません。

 

この「雛祭り」の起源は3世紀前後の古代中国の風習だといわれます。季節の変わり目に災いをもたらす邪気を祓うため、3月最初の巳の日(=上巳)に禊を行っていたようです。この風習が遣唐使によってわが国に伝えられ、天皇の安泰を願う祓の行事となり、平安時代には宮中行事となったといいます。

 

雛祭りの「ひな」は「雛(ひいな)」であり、小さくかわいらしいものを指します。一方で、人の厄を身代わりする男女一対の紙人形が「ひな人形」の原型とされ、室町期に川へ流すものから飾るものに変化していきました。そして幕末の頃には官女やお囃子も加わり、現在の「雛飾り」へと発展したのです。雛祭りは、いわゆる「年中行事」であり、広い意味での儀式です。人間は儀式という「かたち」によって不安定な「こころ」を安定させ、幸せになれるように思います。その意味で、儀式とは人間が幸福になるためのテクノロジーです。

 

さらに、儀式の果たす主な役割について考えてみたいと思います。それは、まず「時間を生み出すこと」にあります。日本における儀式あるいは儀礼は、「冠婚葬祭」(人生儀礼)と「年中行事」の2種類に大別できますが、これらは「時間を生み出す」役割を持っていたと言えます。さらに「時間を生み出す」という儀式の役割は「時間を楽しむ」や「時間を愛でる」にも通じます。

 

日本には「春夏秋冬」の四季があります。わたしは、冠婚葬祭は「人生の四季」だと考えています。七五三や成人式、長寿祝いといった儀式は人生の季節であり、人生の駅でもあります。セレモニーも、シーズンも、ステーションも、結局は切れ目のない流れに句読点を打つことにほかなりません。わたしたちは、季語のある俳句という文化のように、儀式によって人生を認識しているのかもしれません。それはそのまま、人生を肯定することにもつながります。「儀式なくして人生なし」と言えるでしょう。

 

2020年3月3日 一条真也