「彼らは生きていた」を観て

一条真也です。
3月1日、ついに北九州市でも新型コロナウィルスの感染者が出ました。2日のサンレー本社の総合朝礼は中止になりました。こんなことは初めてですので、嫌でも不安が高まりますね。本部会議は参加者全員がマスクをして行います。
さて、産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第20回目がアップされました。タイトルは、「『彼らは生きていた』を観て」です。

f:id:shins2m:20200301200721j:plain「『彼らは生きていた』を観て」

 

映画「彼らは生きていた」を東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで鑑賞しました。「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズなどで知られるピーター・ジャクソン監督が、終結から100年がたった第1次世界大戦の記録映像を再構築したドキュメンタリー映画です。イギリスの帝国戦争博物館が所蔵する2200時間を超える映像を、最新のデジタル技術で修復・着色・3D化しています。鮮やかにカラーで蘇った100年以上前の映像に驚嘆し、第1次世界大戦をリアルタイムで体験したような錯覚にとらわれました。

 

「彼らは生きている」という本物のドキュメンタリー映画を観て、わたしは魔法にかかったように感じました。それは、死者と生者との垣根を超えるというか、彼岸と此岸に橋を架けるようなスピリチュアルな魔術です。この映画に登場する膨大な数の兵士たちは、すでにこの世の人ではありません。出演者全員が死者です。

 

でも、その死者が動き、行進し、戦い、食べ、タバコを吸い、酒を飲み、笑う・・・・・・そんな姿を見ていると、まさに「彼らは生きていた」というより、「彼らは生きている」と感じてしまいます。実際、スクリーンの中で彼らは生きています。そして、それを現代の生者が観ることは、死者にとっての供養になるのではないでしょうか。

 

この映画を観た人の中には、スクリーンの中に自分の先祖を見つける人もいるのではないでしょうか。同時期に公開された第1次世界大戦をワンショットで描いた映画「1917 命をかけた伝令」は製作者の祖父の実話を基に作られたそうですが、「彼らは生きている」のエンドロールにも実際に従軍した「祖父に捧げる」という製作者のメッセージが流れました。今はこの世にはすでに存在しませんが、「彼らは生きていた」ということを確認することが、「彼ら」という死者にとって最大の供養になるのです。

 

それは「彼ら」の生に意味を与えることです。考えてみれば、葬儀という営みも故人の人生に意味を与えることにほかなりません。この映画には無数の死体が登場しますが、戦場に放置された屍はけっして美しくはありません。というより尊厳ということばからあまりにかけ離れた様子に、死者の存在は無意味に思えます。

 

しかし、そこに彼という人間がこの世に存在したことを確認し、その人生を思い起こし、意味を与え、彼の死を悔やむ儀式が葬儀です。「無名兵士」という言葉がありますが、きちんと埋葬されなかった兵士の亡骸はそのまま土に還るだけでした。もし、この映画に映っている兵士で遺体が家族のもとに帰らなかった者がいるなら、この映画そのものが彼にとっての葬儀だったのではないでしょうか。



2020年3月2日 一条真也拝