「彼らは生きていた」

一条真也です。
東京に来ています。
新型コロナウィルスの感染拡大で、20日に参加予定だった経営者コンプライアンス研修会が中止になりました。夕方の打ち合わせまで時間ができたので、前から観たかった映画「彼らは生きていた」を渋谷のシアター・イメージフォーラムで鑑賞しました。ブログ「1917 命をかけた伝令」で紹介した映画と同じく、第1次世界大戦の映画ですが、こちらはドキュメンタリーです。鮮やかにカラーで蘇った100年以上前の映像に驚嘆し、第1次世界大戦をリアルタイムで体験したような錯覚にとらわれました。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
終結後、約100年たった第1次世界大戦の記録映像を、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズなどのピーター・ジャクソン監督が再構築したドキュメンタリー。イギリスの帝国戦争博物館が所蔵する2200時間を超える映像を、最新のデジタル技術で修復・着色・3D化して、BBCが所有する退役軍人のインタビュー音声などを交えながら、戦場の生々しさと同時に兵士たちの人間性を映し出す」

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ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
「第1次世界大戦中、戦車の突撃や激しい爆撃、塹ごうから飛び出す歩兵など、厳しい戦闘が続いていた。だが、死と隣り合わせの兵士たちも、時にはおだやかな様子で休息や食事を取り、笑顔を見せる」



この映画、ピーター・ジャクソン監督が、第1次世界大戦の記録映像を再構築して製作したドキュメンタリーです。第1次世界大戦の終戦から100年を迎えた2018年に、イギリスで行われた芸術プログラム「14-18NOW」と帝国戦争博物館の共同制作により、同博物館に保存されていた記録映像が再構築されました。そして、最終的に1本のドキュメンタリー映画として完成したのです。2200時間以上もある100年前の記録映像はモノクロであることはもちろん、無音でした。さらには経年劣化が激しく不鮮明でしたが、これを修復・着色するなどし、BBCが保有していた退役軍人たちのインタビューなどから、音声や効果音も追加しました。映画の冒頭はモノクロ・フィルムが延々と上映され、ちょっと眠くなってしまったのですが、開始から30分近くなって、突如として画面に色が着きます。そこからは、リアルタイムで戦争を目撃しているような感じでした。

 

ブログ「1917 命をかけた伝令」にも書きましたが、第1次世界大戦には、人間の「こころ」の謎を解く秘密がたくさん隠されているような気がしてなりません。毒ガスはもちろんですが、それ以外にも、飛行機・戦車・機関銃・化学兵器・潜水艦といったあらゆる新兵器が駆使されて壮絶な戦争が行われました。「PTSD」という言葉この時に生まれたそうですが、わたしは「グリーフケア」という考え方もこの時期に生まれたように思えてなりません。それは人類の精神に最大級の負のインパクトをもたらす大惨事だったのです。21世紀を生きるわたしたちが戦争の根絶を本気で考えるなら、まずは、戦争というものが最初に異常になった第1次世界大戦に立ち返ってみる必要があるでしょう。



「1917 命をかけた伝令」は非常にリアルな戦争映画であると思ったのですが、本物の戦争ドキュメンタリーである「彼らは生きていた」には到底かないません。「1917 命をかけた伝令」でリアルに感じた死体の描写も、「彼らは生きていた」はさらにリアルで、人間や馬の死体にたかるハエやウジまで写り込んでいます。ただでさえ悲惨な映像に色が着くと、スクリーンの向こうから死臭が匂ってくるようでした。過酷な戦場風景のほか、食事や休息などを取る日常の兵士たちの姿も写し出しており、死と隣り合わせの戦場の中で生きた人々の人間性を見事に描いています。いくら「戦争は悪である」と頭で考え、「戦争反対!」と口で叫んでも、この映画の圧倒的な迫力の前には無力です。



もしも、この映画が第1次世界大戦の終了直後に作られ、世界中で上映されたとしたら、第2次世界大戦は起こらなかったのではないでしょうか。それぐらいの説得力がありました。ベッドのない塹壕で寝ること、トイレのない場所で排泄すること、肥溜めに落ちても何週間も身体を洗えないこと、足が腐って壊疽となって切断すること、毒ガスで目をやられて見えなくなること、被弾して胸に穴が開いて呼吸できなくなること、前を歩いていた仲間の頭が吹っ飛ぶということ、まだ少年の敵兵を殺すということ・・・・・・わたしたちには想像もできない極限の状況が延々と続き、観客も次第に気が滅入ってきます。まさに究極の「リアル」がここにはあります。



20世紀は「戦争の世紀」であると同時に「映像の世紀」でもありました。「彼らは生きていた」はドキュメンタリー映画ですが、この作品を観ながら、わたしは映画の本質について考えました。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)にも書きましたが、映画というメディアは、時間は超越するタイムマシンではないでしょうか。映画の原点とされるD・W・グリフィス監督の「イントレランス」(1916年)を日本武道館で初めて鑑賞したとき、徹底的にリアリズムを追求したセットと5000人もの大エキストラによって、あたかもわたしは実際に古代バビロン時代に撮影されたフイルムを見ている錯覚をおぼえました。そして、わたしはこの錯覚こそが映画の本質ではないかと思ったのです。



すぐれた映画において、観客はスクリーンの中の時代や国にワープし、映画のストーリーをシミュレーション体験します。これは過去でも未来でも関係ありません。「イントレランス」以後の作品では、「風と共に去りぬ」(39年)は南北戦争時代のアメリカに、「ベン・ハー」(59年)は古代ローマに、そして「ターミネーター」(84年)では2029年の近未来都市に、わたしたちはタイム・トリップできるのです。子どもの頃、黒澤明監督の「羅生門」(50年)は平安時代に、溝口健二監督の「雨月物語」(53年)は戦国時代に撮影されたものだと思っていたし、19世紀初頭のウイーンを描いた「会議は踊る」(31年)など、完全に記録映画だと信じていました。



映画という魔術によって、わたしは本物とシミュレーションの区別がつかない映像の迷宮に入っていくわけですが、「彼らは生きている」という本物のドキュメンタリー映画を観て、さらなる魔術にかかったような気がします。それは、死者と生者との垣根を超えるというか、彼岸と此岸に橋を架けるようなスピリチュアルな魔術です。この映画に登場する膨大な数の兵士たちは、すでにこの世の人ではありません。出演者全員が死者です。でも、その死者が動き、行進し、戦い、食べ、タバコを吸い、酒を飲み、笑う・・・・・・そんな姿を見ていると、まさに「彼らは生きていた」というより、「彼らは生きている」と感じてしまいます。実際、スクリーンの中で彼らは生きています。そして、それを現代の生者が観ることは、死者にとっての供養になるのではないでしょうか。



この映画を観た人の中には、スクリーンの中に自分の先祖を見つける人もいるのではないでしょうか。ちなみに、「1917 命をかけた伝令」は製作者の祖父の実話を基に作られたそうですが、「彼らは生きている」のエンドロールにも実際に従軍した「祖父に捧げる」という製作者のメッセージが流れます。今はすでに存在しないけれども、「彼らは生きていた」ということを確認することが、「彼ら」という死者にとって最大の供養になるのです。それは「彼ら」の生に意味を与えることです。考えてみれば、葬儀という営みも故人の人生に意味を与えることにほかなりません。この映画には無数の死体が登場しますが、戦場に放置された屍はけっして美しくはありません。というよりゴミのようにも見え、死者の存在は無意味に思えます。そこに彼という人間がこの世に存在したことを確認し、その人生を思い起こし、意味を与え、彼の死を悔やむ儀式が葬儀です。「無名兵士」という言葉がありますが、きちんと埋葬されなかった兵士の亡骸はそのまま土に還るだけでした。もし、この映画に映っている兵士で遺体が家族のもとに帰らなかった者がいるなら、この映画そのものが彼にとっての葬儀だったのではないでしょうか。

ハートフル・ソサエティ』(三五館)

 

それにしても、「彼らは生きていた」を観ると、戦争の悲惨さを思わずにはいられません。拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)で、わたしは、「20世紀は、とにかく人間がたくさん殺された時代だった」と述べました。何よりも戦争によって形づくられたのが20世紀だと言えるでしょう。もちろん、人類の歴史のどの時代もどの世紀も、戦争などの暴力行為の影響を強く受けてきました。20世紀も過去の世紀と本質的には変わりませんが、その程度には明らかな違いがあります。本当の意味で世界的規模の紛争が起こり、地球の裏側の国々まで巻きこむようになったのは、この世紀が初めてなのです。なにしろ、世界大戦が一度ならず二度も起こったのですから・・・・・・。


その20世紀に殺された人間の数は、およそ1億7000万人以上といいます。アメリカの政治学者R・J・ルメルは、戦争および戦争の直接的な影響、または政府によって殺された人の数を推定した。戦争に関連した死者のカテゴリーは、単に戦死者のみならず、ドイツのナチスなど自国の政府や、戦時中またはその前後の占領軍の政府によって殺害された民間人も含まれます。また、1930年代の中国など国際紛争によって激化した内戦で死亡したり、戦争によって引き起こされた飢饉のために死んだりした民間人を含みます。その合計が1億7180万人であるとルメルは述べています。



では、21世紀になると、人間は戦争で死ななくなったかというと、そんなことはありません。未だに世界の各地では紛争や戦争で多くの人々が死んでいます。この日に訪れたシアター・イメージフォーラムでは、「娘は戦場で生まれた」というイギリス・シリア合作映画の予告編が流れていました。カンヌ国際映画祭の最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した作品です。今月29日からの公開ですが、機会があれば観てみたいと思います。それから、『ハートフル・ソサエティ』のアップデート版として『ハートフル・ソサエティ2020』を書き上げましたが、タイトルを『心ゆたかな社会』として、近く現代書林から刊行されることになりました。どうぞ、ご期待下さい!

 

2020年2月21日 一条真也