厄除け祈願祭  

一条真也です。
10日、大分県内にあるわが社の施設を複数視察した後、中津市の結婚式場「ヴィラルーチェ」を訪れました。午後からサンレー大分事業部の会議に出席。各部門からの報告を聞き、いろいろと指示をしました。その後は、社員の登用面接を行いました。

f:id:shins2m:20200210171122j:plainヴィラルーチェ にて

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「太陽の神殿」に続く回廊にて

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「太陽の神殿」の前で

f:id:shins2m:20200210171730j:plain「厄除け祈願祭」のようす

 

17時半からはヴィラルーチェ内の「太陽の神殿」で「厄除け祈願祭」の神事が執り行われました。祭主は、闇無濱(くらなしはま)神社の重松宮司でした。わたしは、サンレー社長として、玉串奉奠を行いました。厄年に当たる大分事業部の3人の社員が参加しました。厄年の「厄」とは、災厄の「厄」ではなく、役員の「役」です。つまり、共同体の中で一定の役割を果たすという意味での「厄」年だそうです。厄年が災いの年になることがあるのは、年齢に応じて与えられた役割を果たすことができない、つまりさまざまな難題課題を解決することができず、それに振り回されてしばしば失敗してしまうからだ、という考え方によるようですね。

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最初は、もちろん一同礼!

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低頭しました

 

男性の42歳というのは、たしかに重要な時期です。というのも、50代、60代といった老年期にある者と、10代、20代にある若者や青年たちとのあいだを責任をもってつなぎ、文化を伝達し、集団の中で中心的な、また中堅的な役割を果たさなければならないからです。このとき、その年齢に達した人たちは、集団の中での主要な役割を振り分けられます。その役割を果たすためには、それ相応の覚悟や能力や集中力が必要です。その集中力を発揮することによって、つつがなく課題を達成し務めを果たしたときに、その人は集団の中で認められ、評価され、次のステップに向かって進んでいくことができるのです。

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玉串奉奠で柏手を打ちました

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玉串奉奠する厄除け者
 

このような役割を振りあてられ、その役割を果たすことができるかどうかという試練を受けることが、厄年の根本的な意味です。それを災いとするのも、人生のよき糧、養分とするのも、すべてはその人次第です。どのような困難が降りかかってこようとも、積極的に前向きに取り組み、課題を解決し、能力を高め、周りからも評価を受けることによって、さらに大きな人格として成長を遂げていく。その時期が厄年なのです。厄除け者のみなさんは、破魔矢とお守りを受け取りました。しかし、基本的に厄年というのは、村落共同体や町の共同体の中で、一定の年齢に達した者が受けるネガティブ・イメージです。その負のイメージがなぜできたかというと、それが大変な時期だからです。

f:id:shins2m:20200210172809j:plain宮司から御守を受け取る厄除け者

f:id:shins2m:20200210172951j:plain最後は、もちろん一同礼!

 

災難が起こってくると考られるようになる以前は、この年齢になると、いろんなことをしなければいけないので神頼みをします。その時期になると神様に頼んで、この役割がちゃんと果たせますようにと祈る。それをいつしか災いと見るような「厄年」の漢字をあて、厄年信仰が確立していきました。ふだんは神仏など信じない人でも、厄年を迎えるとどうも不安になり、神社で厄除け祈願をすると安心します。神事を終えた厄除け者たちも、心なしか安心した表情をしていました。神事の終了後は、記念撮影をしました。

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神事後に記念撮影をしました

 

2020年2月10日 一条真也