「ジョジョ・ラビット」  

一条真也です。
東京に来ています。
23日、一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の絵画コンクールの審査会に参加しました。その後、夜の打ち合わせまでの時間を利用して、TOHOシネマズシャンテで映画「ジョジョ・ラビット」を観ました。疲れていたせいか、冒頭の30分くらいは睡魔との闘いでした。でも、途中からスクリーンに目が釘付けになり、最後は非常に感動しました。


 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。「『マイティ・ソー バトルロイヤル』などのタイカ・ワイティティ監督がメガホンを取り、第2次世界大戦下のドイツを舞台に描くヒューマンドラマ。ヒトラーを空想上の友人に持つ少年の日常をコミカルに映し出す。『真珠の耳飾りの少女』などのスカーレット・ヨハンソンや『スリー・ビルボード』などのサム・ロックウェルらが共演。ワイティティ監督がヒトラーを演じている」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「第2次世界大戦下のドイツ。10歳のジョジョ(ローマン・グリフィン・デイヴィス)は、青少年集団ヒトラーユーゲントに入団し、架空の友人であるアドルフ・ヒトラータイカ・ワイティティ)に助けられながら一人前の兵士を目指していた。だがジョジョは訓練中にウサギを殺すことができず、教官に“ジョジョ・ラビット”というあだ名を付けられる」

 

この日の絵画コンクールの審査会では、全互協の山下会長も一緒でした。絵画は「私がやりたい結婚式」「日本の儀式」をテーマに、小学1・2年生、3・4年生、5・6年生と3分類して、優秀作品を選びます。山下会長は子どもの絵画教育に詳しく、膨大な絵を見ながら「これは子どものタッチではないですね」「これは大人の手が入っていますね」と、ビシビシ指摘していました。わたしは2人の娘がいずれも成人したので、小学生の作画レベルや才能というのがよくわかりません。映画「ジョジョ・ラビット」の主人公ジョジョは10歳なのですが、『おーい、ユダヤ人!』という本を書いており、そこでイラストもたくさん描いています。それが大人顔負けの出来栄えなので、わたしは「10歳、つまり、小学4年生ぐらいでも結構、大人っぽい絵を描くのだな」と思いました。

 

10歳のジョジョは少年らしい生活を送っていません。戦時下だからです。そういえば、現在84歳になるわたしの父は昭和10年生まれなのですが、昭和20年の終戦時に10歳だったわけで、ジョジョと同い年であることに気づきました。10歳ならば、分別もつく年頃ですから、「父は10歳で、どんな気持ちで終戦を迎えたのだろう?」などと考えました。そういえば、山下会長の父上である(株)117の山下会長も昭和10年生まれで、わたしの父(そしてジョジョ)と同い年です。

 

ジョジョは訓練中にウサギを殺すことができず、教官に“ジョジョ・ラビット”というあだ名を付けられますが、ウサギとは『不思議の国のアリス』に代表されるようにファンタジーの象徴です。この「ジョジョ・ラビット」という映画が基本的にファンタジーであることがわかります。だから、ヒトラーの幻も登場します。ただし、ジョジョにとっての“アリス”であるユダヤ人の少女はウサギの穴ではなく、彼の家の屋根裏に住んでいました。彼女の存在はファンタジーではなく、リアルそのもの。この映画ではファンタジーとリアリティ、幻想と現実が交錯するのです。彼女を匿うジョジョの母親をスカーレット・ヨハンソンが演じています。わたしの好きな女優さんなのですが、この映画での役はちょっと違和感がありました。彼女はまだ、母親役には早い気がします。

 

屋根裏部屋に住む少女といえば、どうしてもアンネ・フランクのことを連想してしまいます。17歳の少女が屋根裏でじっと息ひそめて隠れているなんて、想像しただけで胸が痛みますが、そのような状況にあった人々が多く実在したのです。ナチスによるユダヤ人のホロコーストは人類史上に残る愚行ですが、多くのドイツ人たちがヒトラーの思想に共鳴していたことを考えれば、集団ヒステリーのような側面があったのでしょう。この映画にも登場するドイツの詩人リルケ(母親がユダヤ人)の「すべてを経験せよ 美も恐怖も 生き続けよ 絶望が最後ではない」という言葉に触れると、観客はただただ頷くことしかできません。


 

さて、「ジョジョ・ラビット」に登場するヒトラーの幻はコミカルです。ヒトラーといえば悪魔の象徴のように思われていますが、この映画でのヒトラーは親しみやすい存在となっています。わたしは「ヒトラー 〜最期の12日間〜」という映画を思い出しました。この作品を初めて観たとき、心の底から哀しくなりました。戦後最大のタブーであった「人間ヒトラー」を描いた問題作なのですが、ヒトラーナチスの人々にも他人への愛情が存在したことを知り、たまらない気持ちになったのです。なぜ、家族や同胞を愛する心を持っている者が敵に対しては冷酷になれるのか。なぜ、「思いやり」ではなくて「憎しみ」なのか。なぜ、同じ地球に住む同じ人間同士なのに、殺し合わねばならないのか・・・・・・そのように思いました。

 

ヒトラー 〜最期の12日間〜」と「ジョジョ・ラビット」を併せて観れば、絶対悪の権化といったヒトラーのイメージが変わるかもしれません。いや、「ジョジョ・ラビット」を観て、ヒトラーが好きになる者さえ現れないとも限りません。いくらハリウッドのユダヤ資本によるプロパガンダ映画も多いとはいえ、過去にこれだけ膨大な数のヒトラーに関する映画が作られてきたということは、世界中の人々は基本的にヒトラーに大きな関心を寄せている、さらには深層心理ではヒトラーが好きなのかもしれません。

 

わたし自身、これまでヒトラーには多大な関心を寄せてきました。というのも、彼は儀式や式典や祭典をプロデュースする天才だったからです。『儀式論』(弘文堂)の「世界と儀式」という章でも大きく取り上げました。ヒトラーは1936年の第11回ベルリン・オリンピック大会をはじめ、ドイツ第三帝国において数多くの祝祭をプロデュースしましたが、いずれも宗教的祭儀の特質をうまく取り込んだものでした。また、祝日、民衆の合唱劇、青年運動なども政治活動に利用し、劇、音楽、通過儀礼を中心とする民俗行事、郷土芸能なども広く取り入れました。さらには、壮大な建築やマス集会を作って、次々に大規模なイベントを催したのです。

 

ヒトラーはまさに大衆を動かす一流の実践心理学者であり、儀式で人心を操る天才でした。ナチスの式典や祭典が荘厳な演出に満ちていたことはよく知られていますが、それらはカトリックの儀式を徹底的に模倣したものでした。そして、その最大のハイライトはヒトラー自身の演説でした。神がかり的といわれたヒトラーの演説には、巧みに計算されたローテクとハイテクによる演出が織り込まれていました。演説はたいてい夕暮れから夜にかけて行われ、当時の最新テクノロジーであったマイクやサーチライトも使われました。

 

満天の星空の下、無数の松明が燃えさかり、サーチライトが交錯する。ファンタスティツクな光景に加え、大楽隊の奏でる楽器の音が異様な雰囲気をかもし出し、マイクで増幅されたヒトラーの声が民衆の中の憎悪と夢を呼び起こす。熱気と興奮。恍惚と陶酔。すでに催眠状態に陥った民衆の心は、ヒトラーの発する霊的なパワーに完全に支配されてしまう。このような呪術的ともいうべき儀式の力をナチスは利用したのです。

 

ヒトラーに深い関心を寄せるわたしは可能な限りのナチス映画を鑑賞してきましたが、この日の予告編で「名もなき生涯」という新作を知りました。自らの信念と家族への愛だけでナチスに立ち向かった男の物語で、第72回カンヌ国際映画祭でエキュメニカル審査員賞を受賞した作品だそうです。2月21日公開ですが、また観たい映画ができました。

 

2020年1月24日 一条真也