「週刊読書人」の『グリーフケアの時代』書評

一条真也です。
7日、小倉から名古屋に来ました。翌8日は豊橋で行なわれる同業の仲間の御令嬢の結婚披露宴に参列します。書評メディアの名門である「週刊読書人」に『グリーフケアの時代』の書評が掲載されました。「京都の美学者」こと秋丸知貴氏(滋賀医科大学非常勤講師・美学美術史専攻)が寄稿して下さったものです。秋丸氏には心より感謝申し上げます。

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週刊読書人」2019年11月29日号

 

秋丸氏の書評は、「今、なぜグリーフケアなのか?」というタイトルで、「様々な悲嘆に対する互助精神、その学問的現在地と最前線」として以下のように書かれています。
「本書は、上智大学グリーフケア研究所 の研究者三人による『グリーフケア』の本格的解説書である。まず、島薗進は、宗教学者の観点からグリーフケアが二一世紀に入り注目されている歴史背景を説明する。一九七〇年代以降、近代的都市化の急速な進展で親族及び地域共同体が解体し、いわゆる故郷が失われる。それにより、死別を始めとする様々な悲嘆を分かち合っていた喪の文化が喪失される。つまり、親密な人間的絆や共通の信仰を通じて人々に癒しや生き甲斐を与えていた精神空間が希薄化する。その間隙を埋めるように台頭したのが、いわゆる新新宗教である(その最悪の鬼子がオウム真理教であろう)。そうした人心の衰退に加え、二〇世紀末からは破局的な自然災害や人為災害が頻発するようになった。そうした中で、改めて自然発生的に高まってきた互助精神こそが今日のグリーフケアへの関心の背後にある。島薗は、そうしたグリーフケアの中でも、日本の文化的伝統に根差したものを高く評価している。特に、生命の源である自然との触れ合いを重視し、知性や儀礼だけではなく人々の心を深く結びつける童謡や歌謡曲等の芸術の効力を再評価している。
次に、鎌田東二は、学者であると共に神主の資格を持つ実践的宗教家の視点からグリーフケアの本質を考察する。人は誰でも、無意識裡に普遍的と信じる善悪や平等についての価値規範を持っている。通常、それは絶対者(≒神)への信仰に根差している。もしその信念が揺るがされたならば、人は魂の苦痛を感じる。そして、実際に現実は時に善人に理不尽な不幸を与え、世界が不条理であることを突き付ける。ここにおいて、人は自己を見つめ直し、自らグリーフケアを行わざるをえない。その成果は、やがて他者へのグリーフケアにも生かされるだろう。例えば、ユダヤ教のラビであるH・S・クシュナーは、神に依存せずより深いレベルで神の愛に目覚めることで新しい生き方を獲得した。仏教は此岸的な心の調整として瞑想的な止観や禅を用い、神道は彼岸的な心の調整として巫術的な神懸かりを行う。なお、鎌田も祭りや歌による芸術を通じた『負の感情』の浄化作用に注目している。
そして、佐久間庸和は、冠婚葬祭業に携わる実務家の立場からグリーフケアの重要性を解説する。大切な人と死別した遺族の心に形を与え安定させるのが、葬儀の機能である。現実面では社会復帰の道筋を付け、精神面では『成仏』という救済の物語をもたらす。もちろん、形骸化した儀式には何の効力もない。そこで、佐久間は人間的な葬儀の在り方を求めて遺族の心理や葬儀の文化的役割を一つずつ詳細に確認していく。さらに、佐久間は変化する時代に即した新たな葬儀の在り方も模索する。死別の悲しみを共有する遺族会や、会食や文化活動の交流会、誰もが笑顔になれる漫談会の実践等は、その一環である。なお、佐久間もまた読書や映画による芸術を通じた癒しの効用に着目している。学問としてのグリーフケアの現在地と最前線を把握できる、極めて有益な一冊である」

 

グリーフケアの時代―「喪失の悲しみ」に寄り添う

グリーフケアの時代―「喪失の悲しみ」に寄り添う

 

 

2019年12月7日 一条真也