葬祭責任者会議(島薗進講演)  

一条真也です。
6日、東京で冠婚葬祭文化振興財団の社会貢献基金の運営委員会会議に参加、助成を行っている各種団体から中間報告を受けました。7日の朝、羽田空港からスターフライヤーで北九州へ。迎えの社用車に乗って、サンレー本社へ。
この日、サンレーグループの全国葬祭責任者会議が開催されました。今回は、特別ゲストとして、上智大学グリーフケア研究所島薗進所長をお招きしました。

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グリーフケアの歴史と文化」講演会場のようす

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講演する島薗先生


会議そのものは13時45分から開始されましたが、14時40分から、小倉紫雲閣の大ホールで島薗先生の御講演がスタート。演題は「グリーフケアの歴史と文化」。「Ⅰ.悲しみを表現し、共鳴を求める」では、西田幾多郎の哲学や新実南吉の童話を紹介しながら、キサーゴータミーの逸話、宮澤賢治鈴木三重吉にも言及されました。

f:id:shins2m:20191107152814j:plain悲しい歌をともに歌う

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講演する島薗先生

 

「Ⅱ.悲しい歌をともに歌う」では、島薗先生は見田宗介『近代日本の心情の歴史―流行歌の社会心理史』、金田一晴彦『童謡・唱歌の世界』といったテキストの内容に沿いながら、野口雨情、金子みすずなどの詩を紹介されました。特に、この日の午前中に下関の金子みすず関連の場所を回ってこられたこともあって、話には熱がこもっていました。「Ⅲ.グリーフケアの集いの形成」では、1985年8月12日の御巣鷹山での日本航空ジャンボ機墜落事故の遺族の連絡会の活動を紹介されました。

f:id:shins2m:20191107155800j:plain東日本大震災と悲嘆のスピリチュアリティ

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悲しみを表現し、共鳴を求める新たな形

f:id:shins2m:20191107161518j:plain質問も活発に出ました

 

さらに、「Ⅳ.東日本大震災と悲嘆のスピリチュアリティ」では、東日本大震災の傾聴ボランティア「カフェ・デ・モンク」の活動などを紹介しながら、グリーフケアとしての災害支援について話されました。そして、「おわりに」として、「悲しみを表現し、共鳴を求める新たな形」を提唱。「童謡・童話の時代(1920年代~70年代)」から「グリーフケアの時代(80年代以降)」を指摘され、90分にわたる講演は終了しました。非常に深い内容のお話でした。わが社の「おくりびと」たちも良い勉強になったと思います。質問も活発に出ていました。

f:id:shins2m:20191107163054j:plainわたしも訓話をしました

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演題は「グリーフケアと3つのメソッド」

 

続けて、16時半から、わたしが「グリーフケアと3つのメソッド」という話をしました。3つのメソッドてゃ、ずばり、読書・映画鑑賞・カラオケです。まずは読書ですが、もともと読書という行為そのものにグリーフケアの機能があります。たとえば、わが子を失う悲しみについて、教育思想家の森信三は「地上における最大最深の悲痛事と言ってよいであろう」と述べています。じつは、彼自身も愛する子供を失った経験があるのですが、その深い悲しみの底から読書によって立ち直ったそうです。

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グリーフケアとしての読書」について

 

本を読めば、この地上には、わが子に先立たれた親がいかに多いかを知ります。自分が1人の子供を亡くしたのであれば、世間には何人もの子供を失った人がいることも知ります。これまでは自分こそこの世における最大の悲劇の主人公だと考えていても、読書によってそれが誤りであったことを悟るのです。

死が怖くなくなる読書』(現代書林)

 

長い人類の歴史の中で死ななかった人間はおらず、愛する人を亡くした人間も無数に存在する。その歴然とした事実を教えてくれる本というものがあります。それは宗教書かもしれませんし、童話かもしれません。いずれにせよ、その本を読めば、「おそれ」も「悲しみ」も消えてゆくでしょう。わたしは、そんな本を『死が怖くなくなる読書』(現代書林)で紹介しました。同書で取り上げた50冊の本についても1冊づつ紹介し、最新のおススメ本にも言及しました。 

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「ハートフル・ファンタジー」について

 

さらに、わたしはグリーフケアに絶大な力を発揮する「ハートフル・ファンタジー」について話しました。わたしは、かつて『涙は世界で一番小さな海』(三五館)という本を書きました。そこで、『人魚姫』『マッチ売りの少女』『青い鳥』『銀河鉄道の夜』『星の王子さま』の5つの物語は、じつは1つにつながっていたと述べました。ファンタジーの世界にアンデルセンは初めて「死」を持ち込みました。メーテルリンクや賢治は「死後」を持ち込みました。そして、サン=テグジュペリは死後の「再会」を持ち込んだのです。

涙は世界で一番小さな海』(三五館)

f:id:shins2m:20191107172025j:plain物語こそが死の本質を語れる!

 

一度でも関係をもち、つながった人間同士は、たとえ死が2人を分かつことがあろうとも、必ず再会できるのだという希望が、そして祈りが、5つの物語には込められています。「死」を説明するために、人は「医学」や「哲学」や「宗教」を頼りにしますが、他にも「物語」という方法がある。いや、物語こそが死の本質を語れるのかもしれません。

死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

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映画について語りました

 

「読書」の次は「映画鑑賞」です。『死を乗り越える映画ガイド』をテキストとしましたが、同書のテーマは、そのものズバリ「映画で死を乗り越える」です。わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみます。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を封印する芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。

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映画と儀式との関連性について 

 

時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないか。『唯葬論』(サンガ文庫)でも述べたように、わたしは、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思っています。古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説がありますが、洞窟も映画館も暗闇の世界です。

f:id:shins2m:20191107172237j:plain臨死体験としての映画鑑賞

 

暗闇の世界の中に入っていくためにはオープニング・ロゴという儀式、そして暗闇から出て現実世界に戻るにはエンドロールという儀式が必要とされるのかもしれません。そして、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかならないのです。つまり、映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得るのですが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているのでした。

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世界三大「葬儀映画」を紹介 

 

その後は、個別の映画作品について語りました。『死を乗り越える映画ガイド』の章立てをもとに5つのテーマに分け、1「死を想う」では「サウルの息子」を、2「死者を見つめる」では「おみおくりの作法」と「おくりびと」を、3「悲しみを癒す」では「岸辺の旅」を、4「死を語る」では「エンディングノート」を、5「生きる力を得る」では「リメンバー・ミー」を取り上げました。

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リメンバー・ミー」について語りました

 

グリーフケア」にしろ、「修活(終活)」にしろ、一番重要なのは、死生観を持つことだと思います。死なない人はいませんし、死は万人に訪れるものですから、死の不安を乗り越え、死を穏やかに迎えられる死生観を持つことが大事だと思います。一般の方が、そのような死生観を持てるようにするには、読書と映画鑑賞が最適だと思います。本にしろ、映画にしろ、何もインプットせずに、自分1人の考えで死のことをあれこれ考えても、必ず悪い方向に行ってしまいます。ですから、死の不安を乗り越えるには、読書で死と向き合った過去の先人たちの言葉に触れたり、映画鑑賞で死に往く人の人生をシミュレーションすることが良いと思います。 

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カラオケについても語りました 

 

読書・映画鑑賞に続けて、さらにカラオケについても語りました。わたしはブログ「グリーフケア・ソングス ベスト」で紹介したカラオケ動画のDVDを作りましたが、これはブログ「ハートフル・ソングス」ブログ「ハートフル・ソングス2」ブログ「ハートフル・ソングス3」ブログ「ハートフル・ソングス4」ブログ「ハートフル・ソングス5」ブログ「ハートフル・ソングス6」ブログ「ハートフル・ソングス7」で紹介したディスク15枚、209曲の中から厳選したものです。これらはすべて、グリーフケアのための歌を発見する営みでした。けっして道楽でやっていたわけではありません。

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グリーフケア・ソングについて
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カラオケPVを流しました

 

そして、ついに200曲を超える歌の中から、「グリーフケア・ソングス ベスト」のDVDを作成しました。ケースの表面には、「悲しみの歌、癒しの歌・・・・・・『喪失の悲嘆』に寄り添う名曲が、ここに初めて集結!」と書かれ、喪服を着て数珠を持ったわたしの写真が使われています。これは「葬儀こそ最高のグリーフケアである」というわが信条を示しています。もともと、歌には「癒し」の力があります。新元号「令和」の出典は『万葉集』の和歌ですが、『万葉集』には多くの挽歌、つまり鎮魂の歌が収められています。わたしは日本人のためのグリーフケア・ソングを選び、ロック、ポップス、ニューミュージック、フォークソング、演歌まで、さまざまなナンバーを歌いました。

タイトルに「涙」「悲しい」「悲しみ」という単語の入った歌は膨大な数が存在します。わたしは、それらのほとんどを歌ってみましたが、多くは単なる失恋ソングであることに気がつきました。そこで、失恋以外の悲嘆である死別や鎮魂の歌を極力選び、失恋の歌でも深みのある「喪失の悲嘆」を表現した歌を厳選して、「Grief Disc~悲しみ盤」にまとめました。また、「喪失の悲嘆」を乗り越えて未来への希望を見出す歌をセレクトし、「Care Disc~癒し盤」にまとめました。この盤の最後に収録されている「また会えるから」はわたしが作詞したグリーフケア・ソングですが、自ら歌ってみました。こうして、わたしはグリーフケアのための読書・映画鑑賞・カラオケという「3つのメソッド」について語ったのでした。

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懇親会のようす

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冒頭に挨拶をしました

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島薗進先生と

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懇親会のようす

 

社長訓話後は小倉紫雲閣から松柏園ホテルに移動して、懇親会が開催されました。今回は島薗先生にもご参加いただき、わが社の「おくりびと」たちとの交流が図れました。その後は、同ホテルのラウンジで二次会も開催され、大いに情報交換、意見交換し、親睦を深めました。島薗先生は翌朝早く東京に戻られるそうですが、わざわざ北九州までお越しいただき、まことに光栄かつ嬉しく感じました。

f:id:shins2m:20191107193249j:plain最後は「末広がりの五本締め」で

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ラウンジでの二次会のようす

 

 2019年11月8日 一条真也