『レオナルド・ダ・ヴィンチ』

レオナルド・ダ・ヴィンチ 上

 

一条真也です。
レオナルド・ダ・ヴィンチ』上下巻、ウォルター・アイザックソン著、土方奈美訳(文藝春秋)を読みました。著者は1952年生まれ。ハーバード大学で歴史と文学の学位を取得。オックスフォード大学にて哲学、政治学、経済学の修士号を取得。米「TIME」誌編集長を経て、2001年にCNNのCEOに就任。アスペン研究所CEOへと転じる一方、作家としてベンジャミン・フランクリンの評伝を出版。2004年に、スティーブ・ジョブズから直々に依頼され、ジョブズが亡くなった直後の2011年に刊行されたブログ『スティーブ・ジョブズ』で紹介した本は、世界的な大ベストセラーとなりました。現在、トゥレーン大学の歴史学教授を務めています。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ』上下巻 

 

 本書の表紙カバーには上下巻ともに「モナリザ」の絵が使われ、2冊合わせてモナリザの顔になります。また帯には上下巻ともに「ニューヨークタイムズ ベストセラー第1位 ビル・ゲイツ推薦」とあり、さらには上巻の帯には「遺された全自筆ノートに基くダ・ヴィンチ伝の最終決定版。」「世界的ベストセラー『スティーブ・ジョブズ』作家の最新作」と書かれています。

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上巻の帯

 

上巻のカバー前袖そでには「『芸術』と『科学』を結び『創造性』を生み出した。」として、「科学者であり、軍事顧問であり、舞台演出家だった。光学、幾何学、解剖学などの、点と点を結ぶ芸術家であり人類史上はじめて現れたイノベーターだった。同性愛者であり、美少年の巻き毛の虜となった。遺された7200枚のダ・ヴィンチ全自筆ノートを基にその生涯と天才性を描き切った、空前絶後の決定版」という内容紹介があります。

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下巻の帯

 

また下巻の帯には「『モナリザ』『最後の晩餐』最難関の謎が、ついに解かれる。」「レオナルド・ディカプリオ主演映画化決定!」と書かれています。下巻のカバー前そでには「人類の、自然の、宇宙の秘密を、いつも知りたかった。」として、以下の内容紹介があります。
「死者の顔の皮膚を切り取り、筋肉を研究したことであのえもいわれぬ『モナリザ』の微笑みを生み出した。『最後の晩餐』で試みたのは、単純な遠近法だけではない。彼の真髄を理解するには、『科学』が絶対に必要なのだ。没後五百年の歳月を経て、初めて明かされる制作意図。誰も知らなかったダ・ヴィンチのすべてがここに」 

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上巻の帯の裏

 

【上巻目次】

  序章 「絵も書けます」

第一章  非嫡出子に生まれた幸運

第二章  師に就き、師を超える

第三章  才能あふれる画家として

第四章  レオナルド、ミラノへ”寄贈”される

第五章  生涯を通じて、記録魔だった

第六章  宮廷付きの演劇プロデューサーとして

第七章  同性愛者であり、その人生を楽しむ

第八章  ウィトルウィウス的人体図

第九章  未完の騎馬像

第一〇章  科学者レオナルド

第一一章  人間が鳥のように空を飛ぶ方法

第一二章  機械工学の研究者

第一三章  すべては数学であらわせる

第一四章  解剖学に熱中する

第一五章  岩窟の聖母

第一六章  白貂を抱く貴婦人

第一七章  芸術と科学を結びつける

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下巻の帯の裏

 

【下巻目次】

第一八章  最後の晩餐

第一九章  母の死、そして苦難

第二〇章  フィレンツェへ舞い戻る

第二一章  聖アンナと聖母子

第二二章  失われた作品、発見された作品

第二三章  殺戮王チェーザレ・ボルジアに仕える

第二四章  水力工学

第二五章  ミケランジェロとの対決

第二六章  またもや、ミラノへ

第二七章  解剖学への情熱、ふたたび

第二八章  地球と人体を満たすもの、その名は水

第二九章  法王の弟に呼ばれ、新天地ローマへ

第三〇章  人間の姿をした天使の秘密

第三一章  モナリザ、解けない微笑の謎

第三二章  最期の地、フランスへ

第三三章  ダ・ヴィンチとは何者だったのか

結び   キツツキの舌を描写せよ

「謝辞」
「訳者あとがき」
「ソースノート」
「図版クレジット」

 

上巻の序章「絵も描けます」の冒頭を、「科学と芸術をつなげる」として、著者は以下のように書きだしています。
レオナルド・ダ・ヴィンチはミラノ公に宛てて、自分を売り込む手紙を書いている。30歳になったころの話だ。すでにフィレンツェで画家としてそれなりの成功を収めてはいたものの、与えられた仕事をやり遂げることが不得手で、新天地を求めていた。手紙のはじめの10段落では、橋梁、水路、大砲、戦車、さらには公共建築物の設計といった技術者としての力量を誇示している。画家でもあると述べたのはようやく11段落目の終わりになってからだ。『どんな絵でも描いてみせます』と」

 

続けて、著者は以下のように述べています。
「たしかに、そのとおりであった。のちに『最後の晩餐』と『モナリザ』という絵画史に残る2つの傑作を描くことになるのだから。ただ本人の意識のうえでは、科学者、技術者としての自負も同じように強かった。レオナルドは嬉々として、そしてとり憑かれたように、解剖、化石、鳥類、心臓、飛行装置、光学、植物学、地質学、水の流れや兵器といった分野で独創的な研究に打ち込んだ。こうして『ルネサンス的教養人』の代表格となり、また『自然界のありとあらゆる現象』には規則性があり、1つの調和した世界を織りなしていると信じる人々の教祖となった。芸術と科学を結びつける能力は、円と正方形の中で両手両足を広げて完全な調和を体現する男性像『ウィトルウィウス的人体図』に端的に示されている。芸術と科学を結びつけたからこそ、彼は史上最も独創的な天才となったのだ」

 

また、「彼の才能は常人が学べる」として、著者は以下のように述べます。
アルバート・アインシュタイン相対性理論の研究で行き詰まるたびに、バイオリンを引っ張り出してモーツァルトを弾いた。そうすることで宇宙の調和を感じ取ろうとしたのだ。イノベーターに関する本で取り上げたエイダ・ラブレスは、父バイロン男爵譲りの詩的感性と、母親譲りの数学的美しさへの憧れをもとに、汎用コンピュータの構想を描いた。そしてスティーブ・ジョブズは製品発表会のクライマックスで、リベラルアーツとテクノロジーの交差点を示す道路標識のイラストを見せた。レオナルド・ダ・ヴィンチはそんなジョブズのヒーローだった。『レオナルドは芸術とテクノロジーの両方に美を見いだし、2つを結びつける能力によって天才となった』」

 

続けて、著者は以下のように述べています。
「レオナルドの非凡な才能は神からの贈り物ではない。彼自身の意思と野心の産物だ。ニュートンアインシュタインのように、ふつうの人間には想像もできないような頭脳を持って生まれたわけではない。レオナルドは学校教育をほとんど受けておらず、ラテン語や複雑な計算はできなかった。彼の才能は常人にも理解し、学びうるものだ。たとえば好奇心や徹底的な観察力は、われわれも努力すれば伸ばせる。またレオナルドはちょっとしたことに感動し、想像の翼を広げた。意識的にそうしようとすること、そして子供のそういう部分を伸ばしてやることは誰にでもできる」

 

さらに続けて、著者は以下のように述べます。
「レオナルドの空想は、あらゆる対象に及んだ。舞台作品、河川の改修計画、理想都市の設計、飛行装置の図案、さらにはその芸術や技術まで。ミラノ公への手紙もある意味では空想と言える。軍事技術に強いと書いてはいたものの、実際には彼の頭の中にしかなかったからだ。ミラノ公国で当初与えられた仕事は、兵器の建造ではなく、祝祭やパレードなどの企画であった。キャリアの最盛期においてすら、レオナルドの考案する兵器や飛行装置はアイデア先行で実用性に欠けていた」

 

そして、「積極的に疑問をいだくことの大切さ」として、著者は以下のように述べるのでした。
「レオナルド、コロンブスグーテンベルクの生きた15世紀は、発明、探究、そして新たな技術によって知識が拡散する時代だった。つまり今日われわれが生きている時代にそっくりなのだ。だからこそレオナルドから学ぶべきことは多い。当時も今も、芸術、科学、技術、人文学、そして想像力を融合させる能力がクリエイティビティに欠かせないものであるのに変わりはない。社会のはみ出し者であることを、まるで意に介さないところもそうだ。レオナルドは非嫡出子で、同性愛者で、菜食主義者で、左利きで、注意散漫で、ときに異端であった。15世紀のフィレンツェが栄えたのは、そのような人々に寛容だったためだ。なによりレオナルドのとどまるところを知らない好奇心や進取の気性は、与えられた知識を受け入れるだけでなく、積極的に疑問を抱くことの重要性を教えてくれる。想像力を働かせること、そしてあらゆる時代のはみ出し者や反逆児がそうであるように、人と違った発想をすること(Think Different)の大切さを」

 

レオナルド・ダ・ヴィンチは、1952年4月15日、公証人の父とヴィンチ村の田舎娘だった母との間に非嫡出子として生まれました。第一章「非嫡出子に生まれた幸運」では、著者は、その冒頭を「レオナルド・ダ・ヴィンチが非嫡出子として生まれたのは、幸運としか言いようがない。さもなければ少なくとも五代前までの一族の嫡男がすべてそうであったように、公証人になることが期待されていたはずだ」と書きだしています。著者はまた、「野心や才能を持った子供が生まれ落ちるには良い時代だった。1452年はヨハネス・グーテンベルクが印刷所を開設した直後である。その活版印刷技術はまたたくまに広がり、レオナルドのような学校には行っていなくても知性あふれる人々は大いに恩恵を受けた」とも述べています。

 

さらにレオナルドが生まれた15世紀半ばのイタリアについて、著者は以下のように述べています。
「イタリアでは40年にわたって都市国家間の戦争がないという、歴史上稀にみる平穏な時期が始まろうとしていた。大地主から都市の商人や銀行家へと権力が移行するのにともない、識字率、計算能力、所得は劇的に上昇した。この新たな支配階級は法律、会計、信用、保険の発達によってますます栄えた。またオスマントルコによるコンスタンティノープルの陥落で、ユークリッドプトレマイオスプラトンアリストテレスら古代の英知が詰まった大量の文献を抱えた学者が大挙してイタリアへ流れ込んだ。レオナルドの誕生に前後してクリストファー・コロンブスアメリゴ・ヴェスプッチが生まれ、探検の時代が幕を開けた。成長著しい商人階級がパトロンとして社会的地位を獲得しようとしたフィレンツェでは、ルネサンス美術や人文学が花開いた」

 

第二章「師に就き、師を超える」では、当時有名だった芸術家ヴェロッキオに弟子入りしたレオナルドのノートについて、以下のように書かれています。
「ノートにスケッチされた歯車、クランク、機械装置には、レオナルドが目にした、あるいは考案した舞台装置と思われるものが散見する。フィレンツェの演出家たちは、背景を変化させ、小道具を動かし、舞台を動く絵のように見せるための独創的な装置を次々と生み出した。ヴァザーリはある祝祭の出し物のクライマックスで、『キリストの身体が山から浮きあがり、天使たちの囲む雲に乗って空へと昇っていく場面』を創りあげた大工や技術者を称賛している」

 

第三章「才能あふれる画家として」では、レオナルドが17歳の少年との性的関係を告発されたことが紹介され、「同性愛者であることを隠さなかった」として、以下のように書かれています。
「レオナルドは恋愛対象として、また性的対象として、男性に惹かれた。そしてミケランジェロとは違い、それをまったく気に病んでいなかった。同性愛者であることを公言はしていなかったが、隠しもしていなかった。ただ、それは自らが異端であり、公証人という一族の伝統的職業を継ぐような人物ではないという意識につながっていたのかもしれない。生涯にわたりレオナルドは、工房や自宅に多くの美しい若者を住まわせている」

 

また、「性的な欲求は恥ずかしいものではない」として、著者は以下のようにも述べています。
「同性愛はフィレンツェの芸術界において、またヴェロッキオの仲間うちでも珍しくはなかった。ヴェロッキオ自身一度も結婚したことはない。ボッティチェリも同じで、何度か男色で有罪判決を受けている。ほかにもドナテッロ、ミケランジェロ、ベンヴェヌート・チェリーニ(男色で2度の有罪判決)などの例がある。レオナルドが『アモーレ・マスキュリーノ(男の恋愛)』と呼んだ男色が当時のフィレンツェであまりにも盛んだったことから、『フロレンツァー』がドイツ語で『ゲイ』を意味する俗語になったほどだ。レオナルドがヴェロッキオの工房で働いていた頃、ルネサンス人文主義者のあいだでは熱烈なプラトン信者が多く、美少年に対する性愛を理想化する風潮があった。高尚な詩でも流行り歌でも、同性愛がもてはやされていた」

 

第五章「生涯を通じて、記録魔だった」では、「人間とその感情をひたすら記す」として、著者は以下のように述べています。
「何世代も続く公証人の家系に生まれたためか、レオナルドには事細かに記録を残そうとする習性があった。観察したもの、さまざまなリスト、アイデア、スケッチを日常的にノートに書き込む習慣は、ミラノに到着してまもなく1480年代初頭に始まり、生涯にわたって続いた。タブロイド紙ほどの大きさの紙に書いたものもあれば、ペーパーバック本ほどの大きさの革表紙のついたノートを使うこともあった。後者は常に持ち歩き、見聞きしたことを書き留めた」

 

また、著者は以下のようにも述べています。
「ベルトに付けた小さなノートと、工房で使った大判の紙は、多種多様な興味やこだわりを映す鏡である。1枚の紙に雑多なアイデアが無秩序に詰め込まれている。技術者として知識を磨くため、偶然見かけた、あるいは頭に浮かんだ装置を描く。芸術家として、アイデアをスケッチしたり下絵を描いたりする。宮廷の余興の演出家として、衣装、舞台装置、上演する物語、気の利いたセリフなどを書き留める。余白にはやることリスト、出費の記録、興味を引かれた人々のスケッチなどの走り書きがある。科学の研究に熱が入るにつれて、飛行、水、解剖、芸術、馬、機械、地質といったテーマに関する論文の構想や文案も増えていく。ただ1つ抜け落ちているのは、個人的な心情や色恋にかかわる記述である。つまり、レオナルドのノートはアウグスティヌスの『告白』とは違う、おそろしく好奇心旺盛な探究者が、自らをとりまく世界の魅力を書き綴った記録である」

 

第六章「宮廷付きの演劇プロデューサーに」では、その冒頭を「スフォルツァ宮の余興を手掛ける」として、著者は以下のように書きだしています。
レオナルド・ダ・ヴィンチはめでたくルドヴィーコスフォルツァの宮廷から声がかかるようになったが、それは建築家や技術者としてではなく、余興のプロデューサーとしてであった。フィレンツェのヴェロッキオの工房でショーの準備にかかわり、空想を舞台で表現する喜びに目覚めたことはすでに述べた。ミラノのスフォルツァ宮でも演劇をはじめとする催しが盛んであったので、この才能は大いに役立った。舞台のデザイン、衣装、背景、音楽、舞台装置、舞踊の振付け、シナリオ、自動機械や小道具の制作など、芸術と技術の両面においてさまざまなスキルが求められる仕事だが、レオナルドはそのすべてに創造力を刺激された」

 

また、「空間を具現化する能力を養う」として、「1496年1月、レオナルドは再び技術的才能と芸術的才能を融合させる機会に恵まれた。ルドヴィーコスフォルツァの書記官で宮廷詩人のバルダッサーレ・タコーネによる喜劇『ラ・ダナエ』を上演した」ことが紹介され、さらには「芝居のなかではレオナルドが設計した特殊効果や機械装置が次々と登場する。ヘルメスはロープや滑車を使った複雑な装置を使って空から舞い降りる。ゼウスは金色の花吹雪となってダナエのもとを訪れる。『空が星のような無数のランプに照らされる』場面もあった」ことが述べられています。

 

続いて、著者は以下のように述べています。
「最も複雑な機械装置は、『ハデスの冥界』と題した場面で使われた回転舞台だ。山が真っ二つに割れて冥界の王ハデスが登場する。『冥界が開くと、地獄の入り口のような12個の壺のなかで悪魔が躍っており、地獄の喧噪が聞こえる。死神や復讐の女神、骸骨、すすり泣く裸の子供達。さまざまな色の火が燃えている』。そして『次は舞踏』と簡潔な指示がある。可動式の回転舞台は、半円ずつに分かれた円形劇場のようだ。最初は2つの半円が向き合い、1つの球のように閉じている。それが一気に開くと、回転して背中合わせになる仕組みだ」

 

舞台装置は科学的研究にのめり込むきっかけとなったことを指摘し、著者は「機械仕掛けの鳥や、舞台の上に宙づりになった役者用の羽が最たる例で、鳥の観察や本物の飛行装置の探究はここから始まった。また役者のしぐさに強く惹かれていたことは、物語絵画に表れている。演劇に携わった経験は、レオナルドの芸術と技術の探究の両方を刺激することになった」と述べています。

 

 

第八章「ウィトルウィルス的人体図」では、「壮大な宇宙における人間の存在とは」として、著者は以下のように述べています。
「自分は何者なのか、壮大な宇宙の秩序においてどのような存在なのか。レオナルドは芸術と科学を融合させた『ウィトルウィウス的人体図』によって、この永遠の問いに対するひとつの答えを提示したと言える。この図はまた、個人の尊厳、価値、合理的主体性を重んじる人文主義の理想を表現している。円と正方形のなかの裸の男性像は、地上の世界と天上の世界の交点に立つレオナルド・ダ・ヴィンチの、そしてわれわれ自身の真の姿を見せてくれる」

 

また、著者は以下のようにも述べています。
ウィトルウィウス的人体図を制作していたとき、レオナルドの頭のなかにはたくさんのアイデアが渦巻いていた。円積問題、人間の小宇宙と地球の大宇宙のアナロジー、解剖学研究にもとづく人体比例の発見、教会建築における正方形や円形の幾何学的配置、そして「黄金比」「黄金分割」と呼ばれる数学と芸術を融合させた概念などで、それぞれが互いに絡みあっていた」

 

さらに、著者は以下のように述べています。
「こうしたアイデアは、自らの経験や読書を通じてのみ発展してきたわけではない。友人や仕事仲間との対話も重要な役割を果たした。歴史を振り返ると、分野横断的に活躍する思想家というものは、たいてい他者と協力しながらアイデアを練る。レオナルドも同じだ。ミケランジェロのような孤高の芸術家もいるが、レオナルドは友人、恋人、弟子、助手、宮廷の仲間や思想家とともに過ごすのを楽しんだ。ノートを見ると、議論をしたい相手として大勢の名が挙がっている。一番親しくつきあったのは、知的な友人たちだった」

 

そして、著者は以下のように述べるのでした。
「アイデアはたいがい、異なる関心を持つ人々が偶然出会うような場で生まれる。スティーブ・ジョブズが自らの会社の中心にアトリウムをつくったのも、若き日のベンジャミン・フランクリンが毎週金曜日にフィラデルフィアで最もおもしろい人々が集まる社交クラブを主催したのもそのためだ。ルドヴィーコスフォルツァの宮廷で、レオナルドはあふれる好奇心をぶつけ合い、新たなアイデアを生み出す友を見つけた」

 

第一〇章「科学者レオナルド」では、「膨大な科学的知識を、本から独学する」として、著者は以下のように述べています。
「レオナルドは良い時代に生まれたと言えるだろう。1452年にヨハネス・グーテンベルクが自ら発明した活版印刷技術を使って聖書を売り出した。ほぼ同時期に、衣料に使用されていた木綿くずを処理する技術が発達し、紙の供給も増えた。レオナルドがフィレンツェでヴェロッキオに弟子入りする頃には、グーテンベルクの技術はアルプス山脈を越えてイタリアに入っていた」

 

続けて、著者は以下のように述べています。
「アルベルティは1466年に『ドイツの発明家は文字を印刷する技術によって、原書の写し200部を、たった3人で100日もかけずに作ってしまった』と驚きを綴っている。1469年にはグーテンベルクの地元マインツから、ヨハネス・デ・スピラ(ドイツ名はシュパイヤー)という金細工師がヴェネツィアにやってきて、イタリア初の本格的な印刷所を開業した。キケロの書簡や大プリニウスの『博物誌』をはじめとする多くの古典を出版し、レオナルドも購入している」

 

プリニウスの博物誌〈第1巻~第6巻〉

プリニウスの博物誌〈第1巻~第6巻〉

 

 

当時、印刷技術の発明・発展によって、多くの書籍が世に送り出されましたが、レオナルドはどのような本を読んでいたのでしょうか。非常に気になるところですが、著者は以下のように述べています。
「ノートには、レオナルドが買った本のリストや、抜き書きした文章がたくさん残っている。1480年代末には所有していた5冊の本を箇条書きにしている。プリニウスの『博物誌』、ラテン語の文法書、鉱物や宝石に関する教科書、算術の教科書、そしてルイジ・プルチの書いたユーモア叙事詩『モルガンテ』だ。モルガンテは1人の騎士と彼がクリスチャンに改宗させた巨人との冒険譚で、メディチ宮廷でよく上演されていたものだった」

 

続けて、レオナルドの蔵書について、著者は述べます。
「1492年には蔵書は40冊近くに膨らんでいる。その内容は多岐にわたり、レオナルドの関心の幅広さを映している。軍事設備、農業、音楽、外科、健康、アリストテレスの自然学、アラビアの物理学、手相占い、有名な哲学者の伝記のほか、オウィディウスやペトラルカの詩、イソップ寓話集、下品な狂詩や笑劇、そして自ら動物寓話集を書く参考にした14世紀のオペレッタまである。1504年には蔵書はさらに70冊以上増えた。内訳は科学書が40冊、詩や文学が50冊弱、美術や建築書が10冊、宗教書が8冊、そして数学書が3冊である」

 

「自然界のパターンを見抜き、アナロジーで理論構築」として、著者は以下のように述べています。
「後世のコペルニクスガリレオニュートンが抽象的な数学的思考能力を駆使して自然界の法則を導き出したのに対し、レオナルドの用いた手法はもっと原始的だった。レオナルドには自然界のパターンを見抜く才能があり、アナロジーによって理論を構築した。さまざまな領域を横断的に観察するなかで、繰り返し出現するパターンを見つけていったのだ。哲学者のミシェル・フーコーは『レオナルドの時代の原始科学は、類似性と類推をよりどころとしていた』と指摘する」

 

続けて、著者は以下のように述べています。
「レオナルドは自然の調和を直観的に感じ取っており、その意識や目やペンはさまざまな領域の垣根を超えてつながりを見いだしていった。『レオナルドは基本的な、自然発生的に繰り返し出現する形を探しつづけた。だから心臓から静脈網が広がっていくのを見て、その隣に種から発芽して茎や葉が伸びていく様子を描いたのだ。美しい女性の頭部を飾る巻き毛を見るときは、渦巻く水の流れを思い浮かべていた』とアダム・ゴプニックは書いている。子宮の中の胎児のスケッチからは、殻の中の種子との類似性を見ていたことが感じられる」

 

さらに、著者は以下のように述べるのでした。
「さまざまな領域のつながりを発見することで、レオナルドの探究に新たな方向性が拓けることもあった。たとえば水の渦と乱気流とのアナロジーは、鳥の飛翔を研究する手がかりとなった。『空中における鳥の動きを理解するには、まず風を理解する必要がある。それは水の動きから解明できる』と書いている。ただレオナルドにとって、発見したパターンは単なる研究に役立つ材料ではなかった。それはこの世界の本質的真実、自然の美しい調和の表れととらえていた」

 

第一二章「機械工学の研究者」の最後には、以下のように書かれています。
「機械の研究を通じてレオナルドは、やがてニュートンが提唱するものに似た機械論的世界観を身につけた。人間の四肢や機械の歯車の動き、人間の血液や川の流れなど、宇宙のあらゆる動きは同じ法則に従っている、と。この法則には分野を超えた類似性がある。1つの分野の動きは別の分野のそれに対比させることができ、そこにはパターンが存在する。『人間は機械であり、鳥は機械であり、世界全体が機械である』。レオナルドの機械装置を分析したマルコ・チャンキはこう書いている。同時代の仲間とともにヨーロッパに新たな科学の時代をもたらしたレオナルドは、占星術師や錬金術師など物事の因果を非機械論的に説明しようとする人々を嘲笑し、宗教上の奇跡は聖職者の管轄として距離を置いた」


法則の法則』(三五館)

 

拙著『法則の法則』(三五館)で、わたしは「法則とは何か」を追求し、アイザック・ニュートンのことを人類を代表する「法則ハンター」と呼びましたが、先人としてレオナルド・ダ・ヴィンチがいたのです。同書で詳しく述べましたが、法則は数学と密接な関係があります。本書の第一三章「すべては数学であらわせる」では、その冒頭を、「代数より幾何学が得意だった」として、著者は以下のように書きだしています。
「レオナルドは次第に、観察結果を理論化するうえでカギとなるのは数学だという確信を深めていった。自然の法則は、数学という言語で書かれている。『数学を応用できない科学に確実性はない』とまで言い切っている。まさにそのとおりだ。幾何学を使って遠近法を理解した経験から、レオナルドは数学によって自然の美しさの背後にある法則を、さらにはその法則の美しさを明らかにできることを学んだ」

 

第一七章「芸術と科学を結びつける」では、「芸術における最高位は科学である」として、著者はこう述べています。
「レオナルドは、絵画を光学という科学的探究や遠近法という数学的概念と結びつけ、画家という仕事やその社会的地位への評価を高めようとしていた。芸術と科学がいかに密接に結びついているかを訴えるその主張は、彼の才能を理解する重要な手がかりとなる。真のクリエイティビティには観察と想像を結びつけ、現実と空想の境界をぼかしていく能力が必要である。その両方を描くのが偉大な画家である、とレオナルドは語っている」

 

レオナルドの主張の前提となっていたのが、五感のなかで視覚が最も優れているという考えでした。「目は心の鏡と言われるとおり、脳の感覚受容器が、自然のさまざまな作品をしっかりとらえ、吟味するための主要な手段である」「音は発生してもすぐに消えてしまうため、聴覚は視覚ほど役に立たない」「聴覚は視覚ほど優れてはいない。音は誕生したとたんに死に絶え、その生と死は同じぐらいあっけない。視覚は違う。われわれの目の前に均整の取れた美しい人体が存在するとき、そこには不変性があり、ずっと見ていることができる」といったものです。レオナルドは、詩歌も絵画ほど優れてはいないとも主張しました。なぜなら絵画が一瞬で伝えられることを、多くの文字を連ねて描写しなければならないからです。

 

また、著者は以下のように述べています。
「創造的営みは古来より、技術と高尚な芸術の2つに分類されてきた。絵画は手を動かす作業であるため、金細工師やタペストリーの織り手と同じように技術とされてきた。レオナルドはこれに異を唱えた。絵画は芸術であるだけでなく科学である、と。三次元の物体を平面で表現するためには、画家は遠近法や光学を理解する必要がある。これらは数学に基づく科学であり、それゆえに絵画は手を動かす作業であると同時に知的営みである」

 

続けて、著者は以下のように述べています。
「そこからさらに一歩踏み込んだ。絵画には知性だけでなく、想像力も必要とされる。この空想という要素によって、絵画は称賛に値する創造的活動となる。現実を写し取るだけでなく、それを龍、怪物、すばらしい翼を持った天使などの想像上の存在や、現実よりも魅力的な風景と組み合わせることができる。『物書きたちよ、それゆえに絵画を芸術から外したのは過ちだ。絵画は自然の創造物のみならず、自然が生み出すことのできなかったすべてを描き出すのだから』」

 

そして、著者は「空想と現実はお互いを助け合い、融合すると創造性が生まれる」として、こう述べるのでした。
「歴史上、レオナルドほど体系的に自然を観察した者は珍しいが、その観察力は想像力と干渉するどころか、むしろ互いを助長した。芸術と科学への関心がそうであったように、観察力と想像力はその創造的才能を織りなす縦糸と横糸であった。その創造力は『融合』を特徴としていた。ちょっとしたおふざけや空想的な絵を描くために、本物のトカゲに他の動物の体の一部をくっつけて龍のような怪物を生み出したのと同じように、自然の細部やパターンを観察し、それを融合させて空想上の存在を生み出した。当然、レオナルドはこの能力を科学的に解明しようとした。解剖学的調査で人間の脳内地図を作ったときには、合理的思考能力と密接に連携できそうな位置にある空洞を、空想力の所在地と判断した」

 

本書の下巻の第一八章「最後の晩餐」では、画家レオナルドの代表作の1つである「最後の晩餐」について、「静止画に見えるが、じつは動きは止まってはいない」として、著者は、イエスが集まった弟子たちに「あなたがたのうちの1人が、わたしを裏切ろうとしている」と告げる場面を描いたこの作品は一見すると、一時停止させた画面のように見えるが、じつはそうではないことを指摘します。さらに著者は、「自然のなかにはっきりとした境界が存在しないように、独立した、自己完結的な時間というものもない。凍てついた、輪郭のはっきりした瞬間というものは存在しないというレオナルドの考えがここには表れている。川の流れと同じように、時間の流れにおいても1つひとつの瞬間は過去と未来の一部なのだ。これはレオナルドの芸術の最も重要な特徴の1つと言える。『東方三博士の礼拝』から『白貂を抱く貴婦人』、『最後の晩餐』、そして『モナリザ』に到るまで、どの場面も独立した瞬間ではなく、物語の一部を成している」と述べています。

 

第二〇章「フィレンチェへ舞い戻る」では、再びレオナルドの蔵書が紹介されます。「五〇代のレオナルド」として、著者は以下のように述べています。
「レオナルドが衣服だけでなく本にもお金をかけていたというのは、少しほっとする話だ。1504年に作成した蔵書目録には116冊が並んでいる。そこにはのちに人間の血管や呼吸器系を宇宙の縮図であると主張する際に引用した、プトレマイオスの『天地学』も含まれている。数学書も増えており、3巻から成るユークリッドの翻訳本のほか、アルキメデスの著作と思われる『円の正方形化に関するもの』もある。外科、内科、建築に関する本も多い。一方、娯楽本もある。3種類のイソップ童話のほか、下品な詩集も何冊も所有していた。ともにウィトルウィウス的人体図の作成に取り組んだミラノ時代の友人、フランチェスコ・ディ・ジョルジョの書いた建築書も入手している。そこにはたくさんの書き込みが見られ、ノートには文章や挿絵を書き写している」

 

第二四章「水力工学」では、レオナルドの多くの発明の多くは空想的で現実的ではなかった点を指摘し、著者は以下のように述べています。
「飛行装置が最たる例だが、いずれも現実離れしていて実行不可能だった。この空想を現実に落とし込む能力の欠如は、レオナルドの大きな弱点と見なされてきた。しかし真のビジョナリー(先見性のある人物)には、無理を承知で挑戦し、ときに失敗することもいとわない姿勢が欠かせない。イノベーションは現実歪曲フィールドから生まれる。レオナルドが思い描いたものの多くは、ときに数世紀の時間を要することもあったが、結局実現した。潜水用具、飛行装置、ヘリコプターは今、存在する。湿地の水はけには吸い上げポンプが使われている。レオナルドが運河を引こうとしたルートには、高速道路が走っている。空想はときとして新たな現実の糸口となる」

 

第二五章「ミケランジェロとの対決」では、「気難しいミケランジェロ、社交的なレオナルド」として、著者は以下のように述べています。
「レオナルドは信仰心は厚くなかったが、ミケランジェロは敬虔なクリスチャンで、信仰の苦しみと喜びを味わっていた。2人とも同性愛者で、ミケランジェロはそれを思い悩み、自らに禁欲を課していたようだが、レオナルドは堂々と男性の恋人を持ち、それを隠そうともしなかった。レオナルドは着飾るのが好きで、色鮮やかな短いチュニックや毛皮の付いたマントを身にまとった。一方、ミケランジェロは服装もふるまいも禁欲的だった。ほこりっぽい工房に寝泊まりし、入浴することも、そもそも犬革の靴を脱ぐこともめったになく、パンの皮のみで食事を済ませることもあった。『自然な魅力、優雅さ、洗練、親しみやすい物腰、美しいものを愛する心を持ち、そしてなにより無宗教であったレオナルドを、ミケランジェロが嫉妬し、嫌悪するのは当然であった。レオナルドはミケランジェロとは世代も違い、信仰心はなく、周囲には鼻持ちならないサライを筆頭に美しい弟子が大勢いた』と作家のセルジュ・ブランリは書いている」

 

レオナルドとミケランジェロの対決について、著者は以下のように述べています。
「両者の対決には、パラゴーネ(絵画と彫刻の優越論争)とは比較にならないほど芸術家の地位を高める効果があった。レオナルドとミケランジェロは巨匠として名をはせ、それまで作品に署名すらしなかった芸術家たちに目指すべき道を示した。ローマ法王ミケランジェロを呼び寄せたり、ミラノ政府がフィレンツェ政府と競うようにレオナルドを獲得したりしたのは、傑出した芸術家には固有の作風、芸術的個性、かけがえのない才能があることを認めた証にほかならない。こうして傑出した芸術家は、誰とでも置き換え可能な職人ではなく、唯一無二のスターとして扱われるようになった」

 

第三一章「モナリザ、解けない微笑の謎」では、画家レオナルドの代表作として名高い「モナリザ」について考察されます。「見つめられた気分になり、しかも微笑が揺れ動くのはなぜか」として、著者は以下のように述べます。
「唇を閉じる筋肉は、下唇の形を作る筋肉と同じであることをレオナルドは発見した。自分の下唇をすぼめてみると、それが事実であることがわかる。下唇は上唇とは無関係にすぼめることができるが、上唇だけをすぼめることは不可能だ。ささやかな発見ではあったが、解剖学者であると同時に芸術家であり、しかも『モナリザ』を制作中であったレオナルドには重要な気づきだった」

 

続けて、著者は以下のように述べています。
「唇の別の動きには、別の筋肉がかかわっている。たとえば『唇を尖らせる筋肉、開く筋肉、そらせる筋肉、まっすぐ伸ばす筋肉、横向きにねじる筋肉、そして元の場所に戻す筋肉』だ。続いて皮膚を剥いだ唇の絵をいくつも描いている。このページの一番上に、魅力的なものがある。黒いチョークを使った穏やかな微笑のスケッチだ。口の端はわずかに下がっているものの、唇は微笑んでいるような印象を与える。この解剖図がぎっしり詰まったページの片隅で、『モナリザ』の微笑は生まれたのだ」

 

さらに、「モナリザ」の微笑について、著者は述べます。
「このように世界で最も有名な微笑は、意図的にどこまでもとらえがたいようにできている。そこには人間の本質について、レオナルドがたどり着いた結論がそこに表れている。レオナルドは内なる感情が外面に表れた瞬間をとらえることに長けていた。しかし『モナリザ』では、もっと深い認識を示している。外面からは決して真の感情を理解することはできない。他者の感情には、常にスフマート的な要素があり、ベールがかかっている、と」

 

「人類史上最高の創作物になりえた理由」として、著者は以下のように述べています。「『モナリザ』が世界で最も有名な絵画となったのは、偶然あるいは誇大な宣伝のためではない。見る者が彼女と感情的つながりを感じるからだ。モナリザは見る者に複雑な心理的反応を引き起こし、自らも同じように複雑な感情を見せる。なにより不思議なのは、われわれ鑑賞者と自分自身を意識しているように見えることだ。モナリザがこれまで描かれたどんな肖像画よりも生き生きとして見えるのはそのためだ。モナリザが唯一無二の存在であり、人類史上最高の創造物である理由もそこにある。ヴァザーリの言うとおり『モナリザを見れば、どんな鼻っ柱の強い画家でも打ち震え、意欲を失う』」

 

そして、著者は以下のように述べるのでした。
「『モナリザ』の前に立てば、誰がどのような経緯で依頼したのかといった歴史的議論はどうでもよくなる。レオナルド人生最後の16年の大半を通じて制作に取り組むなかで、それは単なる個人の肖像画ではなくなった。われわれの内なる営みの外面への現れについて、またわれわれと宇宙とのつながりについて、レオナルドが蓄積した英知が凝縮された普遍的存在となったのだ。大地を表す四角形と天を表す円のなかに立つ『ウィトルウィウス的人体図』と同じように、何億年という歳月を背景にロッジアに佇むリザの姿は、人間とは何かというレオナルドの深い洞察を体現している。そしてレオナルドは光学や解剖学、宇宙のパターンの研究にあまりにも多くの時間を浪費したと嘆くあまたの学者や批評家の見解については、『モナリザ』の微笑みがその答えと言えるだろう」

 

第三二章「最期の地、フランスへ」では、レオナルドの死が描かれています。「王の腕の中で息を引き取る」として、著者は以下のように書いています。
「レオナルドはアンボワーズ城の教会に埋葬されたが、その遺体の現在の所在地もまた謎に包まれている。この教会は19世紀初頭に破壊された。その6年後に発掘され、レオナルドのものの可能性がある遺骨が回収された。遺骨はアンボワーズ城にほど近いサン・テュベール礼拝堂に埋葬され、設置された墓標には『レオナルドの遺骨と推定される』と書かれている」

 

そして、著者は以下のように述べるのでした。
「レオナルドの芸術と人生は、その誕生地から死に至るまで、謎のベールに包まれている。その生涯をくっきりとした線で描くことはできないし、その必要もないだろう。レオナルドも『モナリザ』をそんなふうには描かなかった。想像の余地があるのは悪くない。現実の輪郭というのは本来ぼんやりとしたものであり、われわれはちょっとした不確かさを受け入れなければならない。それをレオナルドはわかっていた。レオナルドの生涯に迫る最善の方法は、彼が世界に迫った方法を踏襲することだ。旺盛な好奇心を持ち、果てしない驚きと向き合うのである」

 

第三三章「ダ・ヴィンチとは何者だったのか」では、「ゼロから1を生み出す天才」として、著者はこう述べています。
「レオナルドが天才となった理由、すばらしく優秀というだけの人々との違いは、その創造力だ。それは想像力を知性に応用する能力である。創造的天才の常として、レオナルドには観察と空想を難なく結びつける能力があり、それが『見えているもの』と『見えていないもの』とを結びつける、思いがけない発想の飛躍につながった。『有能な人は、誰にも撃てない的を撃つ。天才は誰にも見えない的を撃つ』と書いたのはドイツの哲学者、アルトゥル・ショーペンハウアーだ。創造的天才は『他者と違った考え方をする』ため、ときには社会のはみ出し者と見なされる。しかしスティーブ・ジョブズが作らせたアップルの広告に、こんな言葉がある。『彼らをいかれた連中と見る者もいるかもしれないが、われわれは天才と見る。なぜなら、世界を変えられると思うほどいかれた人々だけが、世界を変えるからだ』」

 

続けて、著者は以下のように述べています。
「レオナルドの才能の際立った特徴は、その普遍性だ。歴史を振り返れば、レオナルドより深みのある、あるいは論理的な思想家は存在したし、はるかに有益な実績も残した者も多い。しかしこれほど多くの分野で創造性を発揮した者はいなかった。音楽におけるモーツァルト、数学におけるオイラーなど特定の分野の天才はいる。しかしレオナルドの才能は多数の分野にまたがっており、それが自然界に存在するさまざまなパターンや相反する力を見抜く能力につながった。好奇心に突き動かされ、この世界の知りうることすべてを知り尽くそうとした人物は、人類史上数えるほどしかいない」

 

そして、著者は以下のように述べるのでした。
「もちろん飽くなき探究心を持った博識家はたくさんおり、ルネサンス期だけでもルネサンス人と呼ぶにふさわしい人材は他にも輩出された。しかし『モナリザ』という傑作を描くかたわら、多数の解剖に基づいて比類なき解剖図を制作し、川の流れを変える方法を考案し、地球から月への光の反射を説明し、まだ動いている豚の心臓を切開して心室の仕組みを解明し、楽器をデザインし、ショーを演出し、化石を使って聖書の大洪水を否定し、その大洪水を描いてみせた者はいない。レオナルドは天才だったが、それだけではなかった。万物を理解し、そこにおける人間の意義を確かめようとした、普遍的知性の体現者である」

 

「訳者あとがき」では、訳者の土方奈美氏が、以下のように述べています。
「レオナルドはスティーブ・ジョブズのヒーローだった。時代を超えるイノベーションを生み出す条件は、レオナルドが生きた500年前も今も、実はさほど変わらない。自分の専門分野というサイロにとらわれず、失敗を恐れず、好奇心の赴くままに境界を超えていくことだ。それが『天才』と呼ばれる人々を追い続けたアイザックソンの結論ではないか」

 

土方氏は、次の興味深いエピソードも披露しています。
「本書はハリウッドの大物スター、レオナルド・ディカプリオ主演で映画化されることが決まっている。そもそもディカプリオがレオナルドと命名されたのは、母親が妊娠中にフィレンツェウフィツィ美術館ダ・ヴィンチの絵を鑑賞していたときに、赤ん坊がお腹を蹴ったからだという。自らの名前の由来となった人物を演じるのだから、さぞ気合いが入ることだろう。『レオ様』演じるレオナルド、大いに楽しみである」
最後の一文が効いていますね。ディカプリオといえば、ブログ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」で存在感満点の演技を見せてくれましたが、彼がダ・ヴィンチ役をやるとは、これは最高に楽しみです!

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ 上

レオナルド・ダ・ヴィンチ 上

 
レオナルド・ダ・ヴィンチ 下

レオナルド・ダ・ヴィンチ 下

 

 

2019年10月19日 一条真也