平戸

一条真也です。
12日、サンレー本社の社員旅行に参加。午後からは平戸の教会群などを観光しました。平戸市長崎県最西端の市です。中心の平戸地区は旧平戸藩松浦氏の城下町で、鎖国前は中国やポルトガル、オランダなどとの国際貿易港でした。

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田平教会

 

まずは、田平(たびら)天主堂です。1886年以降、黒島と出津(外海)から移住して来た信者が造り上げた教会です。両地域とも潜伏キリシタンが多かったのですが、明治になってカトリックに復帰し、フランス人神父が常駐して教会も建てられました。その後、人口が増えると、神父が田平に土地を購入して数家族が移り、次第に移住者が増えました。

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ルルドの聖母

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ルルドの聖母の裏(教皇ヨハネ・パウロ2世訪日記念)

 

田平天主堂は、最初は民家を仮聖堂としていましたが、本格的な教会の建設を計画します。信者の積立金に県内各地での募金やフランス人篤志家の大口寄付を加えて資金を調達し、信者の献身的な労働奉仕により、1918年に念願の教会が完成。設計施工は鉄川与助で、多彩なレンガ積み手法、ススを塗った黒レンガによる装飾など、与助のレンガ造教会の最高峰とも言われます。正面には八角形のドームを頂く鐘塔がそびえ、内部のリブ・ヴォールト天井も本格的。

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イグナシオ中田藤吉神父像と

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献堂百周年記念石碑

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ルルド

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ルルドにて

 

田平天主堂は、平戸瀬戸を見下ろす高台に立地します。司祭館や門柱、石段、石垣などが残り、周囲には墓地や畑が広がるなど、歴史的環境がよく保存されています。2003年に国の重要文化財に指定されました。

f:id:shins2m:20190912151425j:plain聖フランシスコ・ザビエル記念教会

f:id:shins2m:20190912151542j:plain聖フランシスコ・ザビエル記念教会の前で

 

次にわたしたちが向かったのは、「聖フランシスコ・ザビエル記念教会」です。長崎県平戸市鏡川町にあるカトリックの教会および聖堂です。教会の保護者は大天使聖ミカエルですが、聖フランシスコ・ザビエルの3度の平戸訪問を記念して1971年(昭和46年)にザビエルの像が聖堂の脇に建てられたことから「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」とも呼ばれるようになり、その後、現在の名称にあらためられました。

f:id:shins2m:20190912151641j:plain聖フランシスコ・ザビエル像

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平戸殉教者顕彰慰霊之碑

 

聖フランシスコ・ザビエル記念教会」は、平戸市街地西側の丘の上にあります。市街地から坂を登る途中で手前の光明寺、瑞雲寺などの寺院と重なって見える風景は「寺院と教会の見える風景」として平戸を代表する景観の1つとなっています。鉄筋コンクリート造りのゴシック様式の教会堂で、左側にのみ八角塔があるアシンメトリー(左右非対称)な景観を作っています。カトリック長崎大司教区においては、平戸地区(平戸市松浦市および佐世保市江迎町)を管轄する主管教会となっています。

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平戸にて

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蘭英貿易時の藩主邸跡

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松浦史料博物館

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松浦史料博物館にて

 

それから、わたしたちは「松浦史料博物館」を訪れました。
平戸藩主松浦家と平戸の歴史に関する史料を収蔵した長崎県の登録博物館です。運営は、公益財団法人松浦史料博物館。建物は「旧松浦家住宅」として長崎県指定有形文化財となっています。

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博物館の内部

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博物館の内部

 

松浦史料博物館」の公式HPには、こう書かれています。
松浦史料博物館は、鎌倉時代から続き、平戸をはじめ壱岐をふくむ長崎県北を治めた平戸藩主松浦家に伝来した資料を保存・公開する長崎県で最も歴史を有する博物館です。建物は、明治26年(1983)に松浦家の私邸として建てられた『鶴ヶ峯邸』を利用しています。平戸は地理的環境から古代より海外交流の歴史があります。対外貿易関係やキリスト教に関係する資料、それらにまつわる貴重な古文書類などがあり、多くの研究者も訪れています。そして、海外交流関係に視点がおかれがちですが、収蔵資料はその範囲にとどまりません。

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山鹿素行肖像

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十二支人形

 

公式HPには、こうも書かれています。
「歴代当主・藩主にも個性豊かな人物がいたため、興味深い歴史資料・美術品も多く収蔵しています。その中でも江戸時代後期の平戸藩主であった松浦静山のコレクションは特別です。静山は平戸城内に楽歳堂(らくさいどう)という現在の博物館のような施設を設置しました。そこに当時としても貴重な文物を収蔵します。対象は国内、海外の様々な分野に及んでいます。それらの多くが現在の松浦史料博物館に受け継がれています。これらの資料は国内のみならず海外の研究者にもその価値が認められつつあります。貴重な成果が21世紀の今日でも発信されているのです」

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歩き疲れた!暑い!

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たそがれる中年男三匹

 

平戸はとにかく坂が多くて、ものすごく歩きました。汗びっしょりで、疲労困憊です。そして、わたしたちは平戸温泉の国際観光ホテル「旗松亭」に投宿しました。温泉でひと風呂浴びた後は、お待ちかねの大宴会です。社長として冒頭の挨拶はしますが、できれば今夜はカラオケは勘弁してほしいです。一部の人は誤解しているようですが、わたしは大のカラオケ嫌いなのです。

 

2019年9月12日 一条真也