一条真也です。
22日、全互協総会オプションの仙台観光ツアーで、遊覧船で松島から塩釜へ向かいました。下船したわたしたちは、鹽竈(しおがま)神社を訪れました。
ここから鹽竈神社へ
鹽竈神社の前で
鹽竈神社は志波彦(しわひこ)神社とペアになっています。ともに宮城県塩竈市にある神社(二社が同一境内に鎮座)であり、志波彦神社は式内社(名神大社)。鹽竈神社は式外社、陸奥国一宮。両社合わせて旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「塩竈桜」です。 鹽竈神社は、全国にある鹽竈(鹽竃・塩竈・塩竃・塩釜・塩釡)神社の総本社です。
鹽竈神社に隣接しています
両神社の由来
両神社の案内地図
鹽竈神社の公式HPの「御由緒」には書かれています。
「当社は古くから東北鎮護・陸奥国一之宮として、朝廷を始め庶民の崇敬を集めて今日に至りました。当神社創建の年代は詳らかではありませんが、平安時代初期、嵯峨天皇の御代に編纂された『弘仁式』に『鹽竈神を祭る料壱万束』と記され、厚い祭祀料を授かっていたことが知られます。つまり、奈良時代国府と鎮守府を兼ねた多賀城が当神社の西南5km余の小高い丘(現在の多賀城市市川)に設けられ、その精神的支えとなって信仰されたと考えられます」
鹽竈神社の鳥居前で
やはり空気が澄んでいます
有名な202段の石段
続いて、公式HPの「御由緒」には書かれています。
「武家社会となってからは平泉の藤原氏・鎌倉幕府の留守職であった伊沢氏、そして特に伊達氏の崇敬が厚く、歴代藩主は大神主として務めてまいりました。現在の社殿は伊達家四代綱村公から五代吉村公に亘り9年の歳月をかけ宝永元年(1704)竣工されたものです。江戸時代以降は『式年遷宮の制』が行なわれ、氏子・崇敬者各位の赤誠により平成23年には第十八回の式年遷宮本殿遷座祭が斎行されました。平成14年12月、本殿・拝殿・四足門(唐門)・廻廊・随神門以下14棟と、石鳥居1基が、国の重要文化財の指定を受けました」
いざ、本宮へ!
鹽竈神社の本宮
鹽竈神社の本宮前で
鹽竈神社の別宮
鹽竈神社HPの「歴史」には、こう書かれています。
「鹽竈神社の創建年代は明らかではありませんが、その起源は奈良時代以前にります。平安時代初期(820)に編纂された『弘仁式』主税帳逸文には『鹽竈神を祭る料壱萬束』とあり、これが文献に現れた初見とされています。当時陸奥国運営のための財源に充てられていた正税が六十萬三千束の時代ですから、地方税の60分の1という破格の祭祀料を受けていた事が伺われます。しかし全国の各社を記載した『延喜式』(927年完成)の神名帳にはその名が無く、鹽竈神社は『式外社』ではありましたが中世以降、東北鎮護・海上守護の陸奥國一宮として重んじられ、奥州藤原氏や中世武家領主より厚い信仰を寄せられてきました」
銅鐡合製灯籠
石灯籠
撫で牛
「報恩」の石碑
続いて、鹽竈神社HP「歴史」には、「特に江戸時代にはいると伊達家の尊崇殊の外厚く、伊達政宗以降歴代の藩主は全て大神主として奉仕してまいりました。よって江戸時代の鹽竈神社には歴代の宮司家が存在せず、実質祭祀を行っていた禰宜家がおりました。鹽竈神社が発展してきた大きな要因に鎮守府としての国府多賀城の存在が考えられます。多賀城の地に国府が置かれると、その東北方向つまり『鬼門』に位置し、蝦夷の地に接していた当社が国府の守護と蝦夷地平定の精神的支えとして都から赴任してきた政府の人々に篤く信仰されたものと考えられます。その流れが今度は武家社会に入ると陸奥國総鎮守として一層尊崇を集めてきたものでしょう」と書かれています。
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2019年8月23日 一条真也拝