修活とグリーフケアの時代

一条真也です。
19日、ブログ「秋季例大祭」で紹介した神事と朝粥会の後は、同じく松柏園ホテルバンケットザ・ジュエルボックス」で恒例の「天道塾」を開催しました。最初にサンレーグループ佐久間進会長が登壇し、訓話をしました。

f:id:shins2m:20190819085721j:plain天道塾のようす

f:id:shins2m:20190819085615j:plain訓話する佐久間会長

 

佐久間会長は、今年で84歳になる自身の体験を振り返りながら、「病気」についての考えを語りました。会長は「なぜ、人は病気になるのか?」について考え続けた結果、「人を成長させるため」であるという結論に至りました。これは「何事も陽にとらえる」というサンレー思想の神髄であると、わたしは思いました。また、会長は「本来、病気になるものではない。それは人のつとめです」と述べ、それが「養生」であると喝破しました。わたしは、これを聴いて、グリーフケアとは「こころの養生」ではないかと思いました。

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わたしが登壇しました

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「あおり殴打男」について話しました

 

佐久間会長に続いて、わたしが登壇し、講話を行いました。
わたしは、まず、「あおり殴打男」こと宮崎文夫容疑者について話しました。吉本興業の騒動が終わりかけたと思ったら、とんでもない奴がワイドショーを賑わせました。わたしは「もし自分が宮崎容疑者にあおられたら、どうするか?」ということも話しましたが、内容がちょっと過激なのでブログには書きません。(苦笑)

f:id:shins2m:20190819092942j:plainテレビでの芸能人の意見を紹介しました

 

わたしは、フジテレビ「ワイドナショー」ではダウンタウン松本人志さんが「5発も殴ったのは、『アンパンマン』の見過ぎかと・・・」とアンパンチ論争にかけてボケたことを紹介しました。同番組では、歌手で俳優の武田鉄矢さんが「普通に話しちゃダメなんじゃないですかね。この手の人たちって何かが憑依したとかね、高速道路の霊が取り憑いたとか、動物霊が取りついているとかっていうジャッジをして、それで身を守る、命を守る行動に出た方が」と、独特の例えで対処策を提案したことも紹介しました。

f:id:shins2m:20190819094428j:plain乗っているやつは動物なの?

 

また、宮崎文夫容疑者について、フジテレビ「バイキング」では、歌手で俳優の中条きよしさんが「乗っているやつは動物なの? 人間なんでしょ? 脳みそないんじゃないの」と語り、TBS「ひるおび!」では、落語家の立川志らくさんが「一生涯、車に乗れないような法律を作って欲しい。どんなに重い罪にしても、頭が悪いから理解できない。テレビで強く言ってもポカンとして何もわからない。人の心がないから、もうこういうのはどうにもなんないですね」と語ったことも紹介しました。まったく同感ですね。

f:id:shins2m:20190819093010j:plain修活読本』について話しました

修活読本 人生のすばらしい修め方のすすめ

修活読本 人生のすばらしい修め方のすすめ

 

 

話題を変えて、このたび刊行された監修書の『修活読本』(現代書林)について話しました。同書には、が刊行された。「人生のすばらしい修め方のすすめ」というサブタイトルがついています。人生は100年を迎えました。厚生労働省の「平成29年簡易生命表の概況」によると、現在60歳の平均余命は男性23.72歳、女性で28.97歳です。「平均余命」とは、平均的にあと何年生きられるかを示したもの。60歳にこの余命年数を足せばいいわけで、男性もついに80歳を超え、女性は90歳に迫ろうという寿命になります。「人生100年時代」という表現はけっしてオーバーではありません。

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平均余命について語りました

 

そんな中で、「終活」という言葉が高齢者にとって重要なテーマになっています。いま、多くの高齢者の方々が、生前から葬儀やお墓の準備をされています。「終活」をテーマにしたセミナーやシンポジウムも花ざかりで、わたしも何度も出演させていただきました。いつの間にか、わたしは「終活」の専門家のように見られるようになりました。終活とは、「終末活動」を縮めた言葉です。つまり、「人生の最期をいかにしめくくるか」ということで、人生の後半戦の過ごし方を示した言葉ではないということですね。しかし、わたしは「いかに残りの人生を豊かに過ごすか」が大切であると思っています。そこで、人生の修め方という意味で「終末活動」ではなく「修生活動」、「終活」ではなく「修活」という言葉を提案しているわけです。

f:id:shins2m:20190819093851j:plain「修める」覚悟を忘れてはなりません!

 

かつての日本人は、「修業」「修養」「修身」「修学」という言葉で象徴される「修める」ということを知っていました。これは一種の覚悟です。いま、多くの日本人はこの「修める」覚悟を忘れてしまったように思えてなりません。そもそも、老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生をアートのように美しくするように思います。わたしは、「残りの人生を美しくするヒントがたくさんの『『修活読本』を読んで、仕事と人生に活用して下さい」と述べました。

f:id:shins2m:20190819092956j:plainグリーフケアの時代』について話しました

グリーフケアの時代―「喪失の悲しみ」に寄り添う
 

 

それから、もうすぐ刊行される『グリーフケアの時代』(弘文堂)について話しました。同書には、「『喪失の悲しみ』に寄り添う」というサブタイトルがついています。上智大学グリーフケア研究所の所長の島薗進氏、同研究所の副所長で特任教授の鎌田東二氏、そして同研究所の客員教授である佐久間庸和の3人の共著です。そう、佐久間庸和とは、わたしの本名です。島薗氏は東京大学名誉教授、鎌田氏は京都大学名誉教授でもあり、ともに日本の宗教学の世界のツートップです。このお二方と小生の名前が並ぶなんて、信じられない思いです。

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本の内容を紹介しました

 

島薗先生は第1章「日本人の死生観とグリーフケアの時代」、鎌田先生は第2章「人は何によって生きるのか」、そして、わたしは第3章「グリーフケア・サポートの実践」を担当しました。長年にわたって多くの葬儀をお手伝いしてきましたが、愛する人を亡くしたばかりの方々に接する仕事は、けっしてビジネスライクな感情だけで済まされるものではなく、いつも魂を揺さぶられる思いを味わいます。なぜなら、死による別れは誰にとっても一生に一度のつらい経験だからです。その直後のご遺族をサポートさせていただく中で、わたしは数多くの悲嘆を目撃してきました。

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グリーフケアとの出合い 

 

食事も喉を通らず、まどろむことさえできず、日夜ひたすら亡くなった方のことばかり考え、葬儀が終わるまでご遺体の側から離れようとしないご遺族、涙が枯れ、喉が嗄れてもなお、体の奥からわき上がる嗚咽を止められないご遺族・・・目の前にそのような方たちがいれば、なんとか支え、励ましてさしあげたいと願うのは、人間にとって自然な感情であると思います。悲嘆の中にいるご遺族に、何かお手伝いができないか。そう考えていたところ、20世紀が終わる頃に「グリーフケア」という言葉に出合いました。

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グリーフケアの実践について

 

愛する人を亡くした悲しみ(グリーフ)をケアする、これこそが自分たちにできる最高のサービスかもしれない、と直感したのです。しかしながら、冠婚葬祭互助会としてグリーフケアのサポート活動に取り組むことの意義と重要性は、つねづね感じるところです。同書で、わたしは「「ケアとしての葬儀の取り組み」「ケアとして遺族会の役割」「ケアとしての『笑い』」「ケアとしての『読書』」「ケアとしての『映画鑑賞』」について詳しく述べました。

f:id:shins2m:20190819100042j:plain理論と実践を両立させよう!

 

「月あかりの会」や「うさぎの会」などの自助グループの内容と活動を紹介しました。また、わが社のグリーフケア・サポートおよび隣人交流サポートでは、毎月、漫談家を招いて「笑いの会」を開き、半年に1度は落語家を招いて大規模なイベントを開催していることを紹介しました。そして、もちろん本業である葬儀や法事法要のお手伝い・・・思うに、あの手この手で「喪失」の悲しみに寄り添うわが社は、グリーフケア・サポートの実践集団だと言えます。そして、最後に「人生100年時代は、修活とグリーフケアの時代です。これからも理論と実践を両立させ、この両分野で日本一企業を目指しましょう!」と述べてから、降壇しました。
明日からは全互協の総会が開催される仙台へ行きます。

 

2019年8月19日 一条真也