裕次郎さんの弔い上げ

一条真也です。
東京に来ています。18日は恒例の月次祭および天道塾が開かれる日ですが、今回は参加できません。今日は互助会保証の監査役会上智大学での全互協とのコラボ打ち合わせと重要な仕事が続き、気が抜けません。昨日17日は、昭和の大スター、石原裕次郎さん(享年52)の命日でした。裕次郎さんは1987年に亡くなられました。横浜市鶴見区総持寺では三十三回忌法要が営まれ、ファン500人が参列しました。

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SANSPO.COM(撮影:蔵賢斗)より

 

裕次郎さんの妻で石原プロモーション会長の石原まき子さん(85)は、「あっという間に30年過ぎてしまいました。30年という区切りにおきまして、故人が極楽浄土に参ると聞いております。石原裕次郎もやっと極楽浄土へ行って、ゆっくりしていられるようになったと思っております」と挨拶されました。そして毎年、命日に訪れる多くの同世代のファンについて、「7月17日、午前9時というのがだんだん困難になっておりました。私同様、ご年配の方々が増えて(墓のある)お山へ登ってくる道も大変、困難になってきました。心配でございます」と案じ、「弔い上げと申しまして、30年を区切りに本日で終わらせていただきます」と三十三回忌の節目で公の供養を終えることを告げました。

 

わたしは、「ああ、裕次郎さんが亡くなって、もう30年も経つのか」と思、しみじみと思いました。30年前、わたしは大学生でしたが、裕次郎さんが亡くなったと同時にTVのニュース速報が流れたことを記憶しています。青山葬儀所で営まれた告別式には多くのファンが参列しました。裕次郎さんと同じく、昭和の大スターだった美空ひばりさんの逝去のときも同様でした。時代は令和。昭和は遠くなりにけり。

 

最近の大物芸能人や俳優の死去がなぜかリアルタイムで知らされず、「葬儀は近親者のみですでに終えたという」といった報道に接するたびに、わたしは強い疑問を抱いていました。最近の「知らせない」風潮に対して、あえて物申したいのですが、歌手にしろ、俳優にしろ、芸能人というのはファンあってのもの。ファンに支えられて生活し、輝かしい人生を送ってきたはず。ファンには長年応援してきた芸能人がこの世を去った日にそれを知り、その日に悲しむ権利があるのではないでしょうか。それにしても、30年間も命日に多くのファンに弔ってもらえた裕次郎さんは幸せでした。ファンの方々も、きっと幸せだったと思います。

永遠葬――想いは続く』(現代書林)

 

拙著『永遠葬――想いは続く』(現代書林)で、わたしは「永遠葬」という言葉を提示しましたが、そこには「人は永遠に供養される」という意味があります。日本仏教の特徴の1つに、年忌法要があります。初七日から百ヶ日の忌日法要、一周忌から三十三回忌、そして五十回忌までの年忌法要です。「弔い上げ」には、三十三回忌で行う場合と五十回忌で行う場合とがあります。たとえ五十回忌で「弔い上げ」を行った場合でも、それで供養が終わりというわけではありません。死後50年も経過すれば、配偶者や子どもたちも生存している可能性は低いと言えます。そこで死後50年経過すれば、死者の霊魂は宇宙へ還り、人間に代わってホトケが供養してくれるといいます。

 

つまり、「弔い上げ」を境に、供養する主体が人間から仏に移るわけで、供養そのものは永遠に続くわけです。まさに、永遠葬です。有限の存在である「人」は無限のエネルギーとしての「仏」に転換されるのです。あとは「エネルギー保存の法則」に従って、永遠に存在し続けるのです。つまり、人は葬儀によって永遠に生きられるのです。そう、多くの人々を魅了した石原裕次郎は永遠に生き続けるのです。今夜は、わたしの好きな裕次郎さんの名曲「夜霧も今夜も有難う」をカラオケで歌いたい気分です。

 

2019年7月18日 一条真也