ジャニー喜多川さん逝く

一条真也です。
沖縄の那覇に来ています。これから北九州に帰ります。
今朝のフジテレビ「とくダネ!」で、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんの訃報に接しました。入院されているのは知っていましたので、いつかこのような日が来るのかとは思っていましたが、「日本芸能界の巨星堕つ」といった印象です。心よりご冥福をお祈りいたします。

f:id:shins2m:20190710084525j:plain「とくダネ!」(フジテレビ)より

 

今朝配信された「スポニチアネックス」の記事には、以下のように書かれています。
SMAPや嵐など、数多くのトップアイドルを生み出したジャニーズ事務所ジャニー喜多川社長(本名喜多川擴=きたがわ・ひろむ)が9日午後4時47分、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため、都内の病院で死去した。87歳。米ロサンゼルス出身。6月18日に体調不良を訴え救急搬送され病院に入院。連日、タレントが見舞いに駆け付けたが、祈りは届かなかった。あまりに偉大なカリスマだっただけに、その死の影響は大きく、アイドル帝国の今後が注目される」

f:id:shins2m:20190710084244j:plain「とくダネ!」(フジテレビ)より

f:id:shins2m:20190710084255j:plain「とくダネ!」(フジテレビ)より

 

スポニチアネックス」には、こうも書かれています。
「先月18日に救急搬送されてから3月週間。芸能界の偉大なカリスマが力尽きた。所属タレントの誰もが奇跡のカムバックを願ってきたが、その祈りは届かなかった。ジャニーさんは先月18日午前11時半ごろ、自宅で体調の異変を訴えて、病院に向かおうとしたところ意識を失い救急搬送された。救命措置で一般病棟に移ることができたため、タレントやジャニーズJr.との面会がかなったという。新旧のジャニーズヒット曲が流れる病室には、タレントたちが年の差を超えて集まり、ジャニーさんの好物だったハンバーガーやホタテ貝のおつまみなどを食べながら思い出を語り合った。危険な状態に陥ったときも「タレントたちが呼び掛け、体をこするたび危機を脱することができました」(事務所)という」

f:id:shins2m:20190710084317j:plain 「とくダネ!」(フジテレビ)より

f:id:shins2m:20190710084327j:plain「とくダネ!」(フジテレビ)より

 

スポニチアネックス」には、こうも書かれています。
スポニチ本紙の取材では、救急搬送されてから3週間、意識が戻ることはなかった。今月1日に入院が発表されて以降、落ち着いた状態が続いていたが、9日午後に突然体調が悪化。危篤状態になり、最期は家族らに見守られ、眠るように亡くなった。通夜・告別式は所属タレントとジャニーズJr.だけによる『家族葬』で執り行われる。後日、お別れの会を開く」

f:id:shins2m:20190710084846j:plain「とくダネ!」(フジテレビ)より

f:id:shins2m:20190710084157j:plain「とくダネ!」(フジテレビ)より

 

スポニチアネックス」には、こうも書かれています。
「日本一のアイドルメーカーとして最期まで第一線に立ち続けたジャニーさん。僧侶だった父親が布教のために行ったロサンゼルスで生まれた。1952年、朝鮮戦争で米軍の一員として朝鮮半島に派遣され、除隊後、米大使館軍事顧問団に勤務。62年に最初に発掘したグループ『ジャニーズ』を結成し、ジャニーズ事務所を設立した。当時は男性アイドルへの目が冷たかった時代。売れっ子を出せず苦しんだ時期もあった。それでも、歌って踊れる男性アイドルにこだわり続け、フォーリーブスや光GENJI、SMAP、嵐など、多くのトップスターを生み出した」

f:id:shins2m:20190710084744j:plain「とくダネ!」(フジテレビ)より

 

スポニチアネックス」には、こうも書かれています。
 「手掛けたアイドルは主なデビュー組だけで45組、延べ166人。派生グループなどを含めるとこれ以上の数になる。経営など実務面を手掛けた姉のメリー藤島副社長(92)との二人三脚で、年間売り上げ1000億円超と言われるアイドル帝国を築き上げた。しかし、お金や名声には全く興味を示さず、男性アイドルのプロデュースを自身の使命と位置付け、そのスタイルを生涯変えなかった。ジャニーさんをよく知る芸能関係者は『タレントを発掘し育て、どう売るかを考えるのが生きがいで、その才能にもあふれていた。こんなプロデューサーは二度と出ない』と語る」

 

スポニチアネックス」には、こうも書かれています。
「今年から、タレントの発掘と育成業を滝沢秀明氏(37)に継承。死後への布石を打っていた。ただ、あまりに大きな存在だっただけに、その死が事務所の今後に与える影響は計り知れない。芸能界の転換点になる可能性もある。来年の東京五輪に向け、日本のショービジネスを盛り上げることに意欲を見せていたジャニーさん。生前、タレントに『もうボクの時代じゃない。つくるのはユーたち』と話していた。多くの人々を魅了してきた世界観は、残された者に引き継がれる」

 

ジャニーさんは2011年に「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最も多くのNo.1シングルをプロデュースした人物」で、12年に「最も多くのチャート1位を獲得した歌手をプロデュースした人物」のギネス世界記録に認定されています。ブログ「ジャニーズ事務所について思うこと」でも書いたように、わたしは学生時代からジャニーズ事務所には並々ならぬ関心を寄せていました。1988年に上梓した処女作『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)の中にも「がんばれ!ジャニーズ事務所」という一章を設けたくらいです。

 

しかし、SMAPの解散騒動のときから、わたしの心はジャニーズ事務所から離れていきました。じつは最近、フォーリーブスの「ブルドック」や「踊り子」の動画をYouTubeで見つけて、そのパフォーマンスの完成度の高さに驚きました。それ以来、カラオケでもその2曲をよく歌っているのですが、ジャニーズ事務所が生んだ最高のアイドル・グループはフォーリーブスだと確信します。ちなみに史上最高のアイドルは田原俊彦です。正直、平成のジャニーズはあまり好きではありませんでしたが、昭和のジャニーズは大好きでした。世界一のアイドル・メーカー、ジャニー喜多川よ、安らかに眠れ。合掌。

 

2019年7月10日 一条真也