この世は「有縁社会」

一条真也です。
4日、松柏園ホテル で11時から行われるサンレーの営業推進部総合朝礼に顔を出します。16時からは北九州市庁舎で北橋健治市長とともに災害支援協定の調印式および記者会見を行います。この日、「西日本新聞」に「令和こころ通信 北九州から」の第3回目が掲載されました。月に2回、本名の佐久間庸和として、「天下布礼」のためのコラムをお届けしています。今回のタイトルは「この世は『有縁社会』」です。

f:id:shins2m:20190604090525j:plain
西日本新聞」2019年6月4日朝刊 

 

先月19日、わが母校である小倉高の同窓会総会が開催されました。第105回で、会場は母校の体育館です。わたしは高校34期なのですが、同級生たちと昔の思い出話をしたり、近況を報告したりしていると、あっという間に時間が過ぎていきます。いつも思うのは、高校の同級生ほど気の合う存在はないということ。なぜなら、出身地が同じ、年齢が同じ、加えて学力もしくはIQもだいたい同じくらい(?)ということで、三拍子がそろっているからです。

 

この日は先輩や後輩、そして同級生たちが千人以上も参集しました。職業もさまざまで、会社の経営者もいれば、お医者さんも弁護士さんもいます。お坊さんや芸術家の先生もいます。日頃からお世話になっている顔見知りの方にばったり会って、母校が同じだと初めて知ることもしばしばです。多くの方々とお話ししていると、「ああ、良いご縁に恵まれたなあ」と痛感します。同窓会総会の最後には、校歌を全員で合唱しますが、いつも胸が熱くなります。母校の校歌を歌うとき、わたしは「学縁」というものを強く感じます。

 

その翌日は、わたしの結婚記念日でした。
それも結婚30周年の日です。そう、わたしたち夫婦は平成元年5月20日に結婚式を挙げました。わたしが26歳になったばかりで、大学の後輩の妻は22歳でした。わたしのような気が短くて欠点だらけの人間に30年も連れ添ってくれた妻には、ただただ感謝するばかりです。人は、いろんな偶然のもとに人と出会うが、「浜の真砂」という言葉があるように、数えきれないほどの結婚可能な相手の中からたった一人と結ばれるとは、何たる縁でしょうか! ちなみに、わたしの両親も今年で結婚60周年を迎えましたが、すべての結婚は奇跡であるように思えてなりません。

 

2010年、NHKの番組がきっかけとなり、「無縁社会」という言葉が流行しました。この年は『葬式は、要らない』という本がベストセラーになるなど、日本人の血縁、地縁が希薄化していることを多くの人々が思い知ったようです。
しかし、そもそも「無縁社会」という言葉は日本語としておかしいのです。なぜなら、「社会」とは「関係性のある人々のネットワーク」だからです。仏教的に言えば、「縁ある衆生の集まり」という意味なのです。「社会」というのは、最初から「有縁」なのです。そして、目に見えない「縁」なるものを可視化してくれるのが同窓会であり、結婚式や葬儀、すなわち冠婚葬祭ではないでしょうか。

 

2019年6月4日 一条真也