令和の時代に礼の輪を

一条真也です。
5月21日、大分に出張して全互連の西日本ブロック会議に出席します。この日、「西日本新聞」に「令和こころ通信 北九州から」の第2回目が掲載されました。月に2回、本名の佐久間庸和として、「天下布礼」のためのコラムをお届けしています。今回のタイトルは「令和の時代に礼の輪を」。

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西日本新聞」2019年5月21日朝刊

 

「令和」という新しい時代が到来し、あらゆるものが変化していきます。しかし、世の中には変えてよいものと変えてはいけないものがあるように思います。その代表が、元号に代表される古代からの伝統であり、わが社が業とする儀式であると思います。

 

今回の改元が行われる曲折の中で、情報システム上の問題などから、企業の元号離れが進んだようです。国際化などが進展する現代において、基準となる西暦以外の紀年法は必要ないという意見も聞こえました。もちろん、元号不要論の中には、単に西暦と併記することが億劫だからという理由もあるのでしょうが、果たしてそんな理由でこれまでの伝統をなくしてしまって良いのでしょうか?

 

わたしの答えは「否」です。元号であれば、「大化」以降約1400年余りにわたって受け継がれてきた伝統であり、今回の「令和」まで、平成を含めて約250を経ています。これはルーツとなった中国においてもすでに喪われてしまったもので、現在は日本固有の文化だということができます。ここに見える希少性以上に、元号にはこれまで日本が歩んできた道のりや、その時代を生きた人々の想いが凝縮されたものであることが何よりも大切ではないでしょうか。

 

元号と同じく、儀式も日本文化です。特に冠婚葬祭・年中行事に代表されるわが国の儀式は、これまで日本人が時間をかけて培ってきた文化の淵源、すなわち文化の核であり、元号と同じく、携わる人間が想いをこめて紡ぎ上げてきた、かけがえのない存在であると考えます。そのように重要な存在を、効率化や文明化の美名を被った「面倒くさい」という意識のもとになくしてしまうことは、決して許されるものではないのではないでしょうか。

 

そもそも、現代のわたしたちが「改元」や「儀式」を体験できることは、過去の先人、ご先祖様たちがわたしたちへ、この文化を繫いできてくれたからだということを忘れてはなりません。それをリレーの中継者に過ぎないわたしたちが勝手に途切れさせてしまうことは「おこがましい」としか言えないように思えてならないのです。

 

上皇陛下の退位儀式が無事に終わり、今上陛下の即位儀式も順調に進行しています。ついに「平成」から「令和」へのバトンが渡されましたが、皇位継承儀式だけでなく、結婚式も葬儀も、すべての儀式とはリレーのバトンを渡すことではないでしょうか。冠婚葬祭の根本は「礼」ですが、「礼」をハードに表現したものがセレモニーで、ソフトに表現したものがホスピタリティかもしれません。この令和の時代に大いなる礼の輪をつくりましょう!

 

2019年5月21日 一条真也