『思い出ノート』 

一条真也です。四国の高松に来ています。
讃岐うどんを食べすぎて、お腹が苦しいです。
32冊目の「一条真也による一条本」は、『思い出ノート』(現代書林)です。2009年7月27日に刊行された書籍というよりノートです。


思い出ノート』(2009年7月27日刊行)

 

本書は非常に好評を博し、発売以来、何度も増刷を重ねてきました。バインダー式ですので、ページの開閉が楽で、書きやすいです。カバー表紙には大正ロマン風の朧月夜が描かれており、カバー前そでには「人は生き老い病み死ぬるものなれど 夜空の月に残す面影」という、わたしが詠んだ道歌が掲載されています。


本書の帯

本書の帯には、「あなたの履歴書」「愛する人へ・・・」「『いざという時に備える』ことは、あなたの人間関係の絆を強くします。あなた自身で、あなたの人生の思い出を書きこむための本です。あなたのことを、あなたの大切な人たちが思い出すための本です」「あなたのことを教えてください」と書かれています。


本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。
はじめに「このノートを書く意味」
●第1章●
あなたのことを教えてください

1.私のことについて
2.いざというときのために、家族へのお願い
●第2章●
なぜお葬式をするのか

一般的な葬儀の流れ
1.葬儀・法事などについての私の要望
2.納骨・埋葬・墓標に関する手続き
3.私の死亡時に連絡してほしい人
4.私の家族や親戚の記録
5.わが家の財産について伝えておきます
6.遺言に関する基礎知識
●第3章●
思い出ノートについて

〈資料1〉 葬儀・相続のスケジュール
〈資料2〉 必要手続き一覧表
〈資料3〉 著名人の死亡年齢


カバーを外すと名前が書けます

 

わたしは、究極のエンディングノートをめざして『思い出ノート』を作りました。エンディングノートとは、自分がどのような最期を迎えたいか、どのように旅立ちを見送ってほしいか・・・それらの希望を自分の言葉で綴る記述式ノートです。高齢化で「老い」と「死」を直視する時代背景のせいか、かなりのブームとなっており、各種のエンディングノートが刊行されています。しかし、その多くは遺産のことなどを記すだけの無味乾燥なもので、そういったものを開くたびに、もっと記入される方が、そして遺された方々が、心ゆたかになれるエンディングノートを作ってみたいと思い続けてきました。また、そういったノートを作ってほしいという要望もたくさん寄せられました。


私のことについて

 

『思い出ノート』では、第1章を「あなたのことを教えてください」と題して、基本的な個人情報(故人情報)を記せるようになっています。たとえば、氏名・生年月日・血液型・出身地・本籍・父親の名前・母親の名前といったものです。次に、小学校からはじまる学歴、職歴や団体歴、資格・免許など。また、「私の健康プロフィール」として、受診中の医療機関名・医師名、毎日飲んでいる薬、アレルギーなどの注意点、よく飲む薬などを記します。これは、元気な高齢者の備忘録としても大いに使えると思います。


私の思い出の日々

 

『思い出ノート』の真骨頂はこれからで、「私の思い出の日々」として、幼かった頃、学生時代、仕事に就いてからの懐かしい思い出など、過ぎ去った過去の日々について記します。たとえば「誕生」の項では、生まれた場所、健康状態(身長・体重など)、名前の由来や愛称などについて。「幼い頃・小学校時代」の項では、好きだった先生や友達、仲の良い友人、得意科目と不得意科目などについて。「高校時代」の項では、学業成績、クラブ活動、好きだった人、印象に残ったこと・人などについて。


これからしたいこと、やり残したこと

 

また、「今までで一番楽しかったこと」ベスト5、「今までで一番、悲しかったこと、つらかったこと」ベスト5、「子どもの頃の夢・あこがれていた職業・してみたかったこと」、「今までで最も思い出に残っている旅」、「これからしたいこと」、そして「やり残したこと」ベスト10といった項目も特徴的です。そして、「生きてきた記録」では、大正10年(1921年)から現在に至るまでの自分史を一年毎に記入してゆきます。参考として、当時の主な出来事、内閣、ベストセラー、流行歌などが掲載されています。「HISTORY(歴史)」とは、「HIS(彼の)STORY(物語)」という意味ですが、すべての人には、その生涯において紡いできた物語があり、歴史があります。そして、それらは「思い出」と呼ばれます。自らの思い出が、そのまま後に残された人たちの思い出になる。そんな素敵な心のリレーを実現するノートになってくれればいいなと思います。


生きてきた記録を書く

 

『思い出ノート』は、記入される方が自分を思い出すために、自分自身で書くノートです。それは、遺された人たちへのメッセージでもあります。たとえ新しい世界に旅立っても、その人は、遺された人たちの記憶の中で生き続けています。きっと、遺された人たちは、このノートに記された故人の筆跡を見るだけで、故人の思い出をよみがえらせ、それを語り合うことでしょう。ときに涙し、ときに笑い、そして懐かしむことでしょう。


私の証明書・保険証など

 

『思い出ノート』には、記入者の財産や遺品のこと、旅立ってから後のことなど、いわゆる「情報」と呼べるようなものもたくさん記入できるようになっています。「情報」というと、何となく冷たくて無味乾燥な感じがします。
でも、このノートに記される情報は違います。情報とは、「情」を「報せる」と書きます。「情」は「なさけ」と読むのが一般的ですが、五木寛之さんもよく指摘されるように、『万葉集』などでは「こころ」と読まれています。わが国の古代人たちは、「こころ」という平仮名に「心」ではなく「情」という漢字を当てたのです。ですから、「こころ」を「報せる」ことこそ、本当の情報なのだと思います。


いざというときのために、家族へのお願い


あなたが家族へ残した財産は、愛情という「情」です。
あなたが友人へ綴った思いは、友情という「情」です。
あなたが詠んだ辞世の歌や句には、詩情という「情」があります。すべてが、あなたの人情という「情」にあふれています。このノートには、あなたの「こころ」を報せる「情報」が記されているのです。あなたという、かけがえのない、たった一人の人間がこの世界にいたこと、夢見たこと、考えたこと、実行したこと・・・その記録と記憶を『思い出ノート』が後世に残します。


自分自身の葬儀について

 

この『思い出ノート』は、記入者自身の旅立ちのセレモニー、すなわち葬儀についての具体的な希望を書き記すものでもあります。自分の葬儀について考えるなんて、ましてや具体的な内容について書くなんて、複雑な思いをする人も多いと思います。しかし、自分の葬儀を具体的にイメージすることは、その人がこれからの人生を幸せに生きていくうえで絶大な効果を発揮すると、わたしは確信しています。


自身の葬儀の音楽・遺影について

 

自分の葬義をイメージして、友人や会社の上司や同僚が弔辞を読む場面を想像するのです。そして、その弔辞の内容を具体的に想像するのです。そこには、その人がどのように世のため人のために生きてきたかが克明に述べられているはずです。葬儀に参列してくれる人々の顔ぶれも想像するといいでしょう。そして、みんなが「惜しい人を亡くした」と心から悲しんでくれて、配偶者からは「最高の連れ合いだった。あの世でも夫婦になりたい」といわれ、子どもたちからは「心から尊敬していました」といわれる。 まさに、自分の葬儀の場面というのは、「このような人生を歩みたい」というイメージを凝縮して視覚化したものなのです。後は、そのイメージを実際の人生においてフィードバックしていくことが大切ではないでしょうか。


著名人の死亡年齢

 

このノートには、古今東西の有名な人々が亡くなった年齢、すなわち「享年」が掲載されています。アンネ・フランクは16歳、ジャンヌ・ダルクは19歳、森欄丸や天草四郎は17歳の若さで亡くなっています。逆に、梅原龍三郎は98歳、諸橋轍次は99歳、野上弥生子は100歳で、泉重千代は121歳で亡くなっています。


著名人の死亡年齢(40代)

 

『思い出ノート』刊行時のわたしは46歳でしたが、敬愛する作家の三島由紀夫の享年は45歳でした。中上健次や、プロレスラーの三沢光晴は同じ46歳で亡くなりました。そして、マイケル・ジャクソンは50歳・・・・・・この膨大な享年リストを読むと、「へえ、あの人物は意外に若死にだったのだな」とか「あの人は、こんなに長生きしたのか」とか「今の自分の年齢で亡くなったわけだ」などと思うことでしょう。そして、おそらく読者は「自分は何歳で亡くなるのか」と考え、その人生が短かったとか長かったとか、さまざまな感慨が湧いてくるのではないでしょうか。


著名人の死亡年齢(50代)

 

しかし、そもそも享年とは、いったい何でしょうか。それは、この世で生きた時間の長さのことですね。ならば、そんなに亡くなった年齢を気にすることはないと、わたしは思います。すべての人間は自分だけの特別な使命や目的をもってこの世に生まれてきています。この世での時間はとても大切なものですが、その長さはさほど重要ではありません。時間とは、人間が創り出した人工的な概念にすぎません。ですから、たとえ一日しか生きられなかったとしても、死ぬことは不幸でも何ともありません。いくら短くても、その生は完結したものなのです。


私の家族や親戚の記録

 

「人間は二度死ぬ」と言われます。
人が死んでも、生前について知る人が生きているうちは、死んだことにはなりません。生き残った者が心の中に呼び起こすことができるからです。しかし、記憶する人が死に絶えてしまったとき、死者は本当の死者になってしまうのです。誰からも忘れ去られたとき、死者はもう一度死ぬのです。
すべての人は、いつか必ず亡くなります。
これは、誰にとっても間違いのない未来です。
でも、人は二度も亡くなってはいけません。本当の死者になってはいけないのです。自分の大切な、愛する人たちに、自分のことを憶えておいてもらわなければなりません。そのための「思い出」を記してもらいたいと切に願い、わたしは『思い出ノート』を作りました。
「令和」への改元まで、あと7日です。


 

2019年4月24日 一条真也