志なき者は虫である(吉田松陰)

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一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、幕末の志士である吉田松陰の言葉です。
わたしは、この世で最も大事なものは「志」であると思っています。

 

 

志とは心がめざす方向、つまり心のベクトルです。行き先のわからない船や飛行機には誰も乗らないように、心の行き先が定まっていないような者には、誰も共感しません。ましてや、そんな者には絶対について行こうとしません。志に生きる者のことを「志士」と呼びます。幕末の志士たちはみな、青雲の志を抱いていました。そして吉田松陰は、人生において最も基本となる大切なものは、志を立てることだと門下生たちに説きました。


萩の松陰神社にて

 

志の何たるかについて、松陰はこう説いています。
「志というものは、国家国民のことを憂いて、一点の私心もないものである。その志に誤りがないことを自ら確信すれば、天地、祖先に対して少しもおそれることはない。天下後世に対しても恥じるところはない」
また、志を持ったら、その志すところを身をもって行動に現わさなければなりません。その実践者こそ志士であるとする松陰は、志士の在りよう、覚悟をこう述べました。
「志士とは、高い理想を持ち、いかなる場面に出遭おうとも、その節操を変えない人物をいう。節操を守る人物は、困窮に陥ることはもとより覚悟の前で、いつ死んでもよいとの覚悟もできているものである」


松下村塾の史跡にて

 

最近の経営書などを読むと、志の重要性について言及しているものが多くなってきました。志の条件についてもさまざまな示唆があります。例えば、「長期の視野に立つこと」であるとか、「社会に貢献すること」であるとか、「幼少の頃の夢を思い起こすこと」であるとか、「内部からの願い」であるとかなどです。どれも完全な間違いではありませんが、いずれも志の核心はついていないと思います。また、「夢」と「志」を混同しているものが多いのが気になります。わたしは、志というのは何よりも「無私」であってこそ、その呼び名に値すると思います。

 

松陰の言葉に「志なき者は、虫(無志)である」というのがあります。これをもじれば、「志ある者は、無私である」と言えるでしょう。「自分が幸せになりたい」というのは夢であり、「世の多くの人々を幸せにしたい」というのが志です。夢は私、志は公に通じているのです。自分ではなく、世の多くの人々。「幸せになりたい」ではなく「幸せにしたい」、この違いが重要なのです。

 

企業もしかり。もっとこの商品を買ってほしいとか、もっと売上げを伸ばしたいとか、株式を上場したいなどというのは、すべて私的利益に向いた夢にすぎません。そこに公的利益はないのです。社員の給料を上げたいとか、待遇を良くしたいというのは、一見、志のようではありますが、やはり身内の幸福を願う夢であると言えるでしょう。真の志は、あくまで「世のため人のため」に立てるものなのです。なお、今回の吉田松陰の名言は、『孔子とドラッカー新装版』(三五館)にも登場します。
「令和」への改元まで、あと26日です。

 

 

2019年4月5日 一条真也