新元号は「令和」に!

一条真也です。
本日、ついに新元号「令和」が発表となりました。ブログ「新元号を予想する」で紹介したわたしの予想は残念ながら外れました。菅官房長官が最初「レイワ」と口にしたとき、「ヘイワ」と聞こえて「平和」が新元号かと一瞬思いました。また、「令和」の「令」が「礼」だったら最高なのにとも思いました。しかしながら、新元号は「令和」です。

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元号は「令和」に!(NHKより)

 

正直言って、「令和」という言葉が新しい元号になるということには違和感もおぼえますが、考えてみれば「平成」のときもそうでした。時間が経てば、きっと可憐なイメージに変わっていくと思います。5月1日の改元が楽しみですね。
それにしても、ついに「令和」という新元号が発表されたということは、すなわち、今上天皇の御譲位と東宮殿下の新天皇への御即位が30日後に迫ったことを意味しており、わたしたちは、いま、大きな御代すなわち時代の転換点に立っていると言えるでしょう。

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わたしの予想は外れました

 

残すところあと1ヶ月となってしまった「平成」ですが、31年という期間は、昭和(64年)・明治(45年)・応永(35年)に次いで元号として史上4番目の長さになりました。この元号は、「内平外成(内平かに外成る)」(『史記』五帝本紀)、「地平天成(地平かに天成る)」(『書経(偽古文尚書)』大禹謨)から引かれたもので、発表当時、「平成おじさん」こと時の官房長官であり後の首相・小渕恵三氏が「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味で制定された旨を説明されていた様子をおぼえていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

f:id:shins2m:20190401120455j:plain記者会見を開いた安倍首相(NHKより)

 

 一方で、今朝から開催された、有識者による「元号に関する懇談会」で議論され、衆参議長・副議長からの意見聴取、全閣僚会議での協議を経て午前10時20分ごろに閣議で決定すされた新たな元号となる「令和」。
記者会見を開いた安倍首相によれば、『万葉集』三十二首序文の「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」が出典です。

 

原文 万葉集(上) (岩波文庫)

原文 万葉集(上) (岩波文庫)

 

 
安倍首相は、「令和は、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味です。典拠となった『万葉集』は幅広い階層の歌がおさめられた日本の豊かな国柄をあらわす歌集であり、こうした日本が誇る悠久の歴史と香り高い文化、四季折々の自然の美しさという伝統を後世へ繫いでいく。また、厳しい冬の後に花開かせる梅の花のように、国民ひとりひとりがそれぞれの花を大きく開かせることが出来る時代になってほしい。その想いこめるにふさわしい元号として閣議で決定いたしました」と述べました。

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「令和」の時代を生きましょう!

 

この「令和」という新元号ですが、史上初の日本古典に基づいた元号と言う意味で、大変画期的かと思います。国際社会の中で「日本らしさ」が求められる昨今、その原点とも言える『万葉集』から引かれたことは、大きな意味と節目になるかと思います。
また、引用元の「令月」は何を行うのにも良い月、もしくは2月の異称とのことですが、元号とその由来に「月」と当社が目指す「和」がこめられていることは、わがサンレーにとっても大変意義深い元号なのではないでしょうか。

f:id:shins2m:20190401173820j:plainサンレーにとっても意義深い元号です

 

改元の候補に挙がった熟語は今後も公表されないことが新聞等では既に報道されており、どのような中から選択されたものであるかはうかがい知ることはできません。しかしながら、いずれにせよ、今上陛下、そして新天皇となられる皇太子殿下のご意向は、ある程度以上に反映されたものでありましょう。僭越ながらわたし自身もそのご意向がかなえられ、これからの新時代が平穏なものになることを心より祈念いたしますとともに、そのための行動として、これまで同様に、当社のミッションたる「人間尊重」、その普及である「天下布礼」を推し進めいていきたいと考えております。

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サンデー毎日」2017年3月26日号


それから、「令和」が梅の花を詠んだ和歌に由来することに感銘を受けました。現在の日本は桜の開花で賑わっていますが、この時期に梅の花に由来する元号が発表されたことは興味深いです。「サンデー毎日」2017年3月26日号の連載コラム「人生の四季」第72回にも書きましたが、梅の花を見ると、わたしはいつも『論語』を連想します。わたしは、日本・中国・韓国をはじめとした東アジア諸国の人々の心には孔子の「礼」の精神が流れていると信じています。

 

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

 

 

 ところが、いま、日中韓の国際関係は良くないです。というか、最悪です。三国の国民は究極の平和思想としての「礼」を思い起こす必要があります。それには、お互いの違いだけでなく、共通点にも注目する必要があります。
そこで重要な役割を果たすのが梅の花です。日中韓の人々はいずれも梅の花を愛します。日本では桜、韓国ではむくげ、中国では牡丹が国花または最も人気のある花ですが、日中韓で共通して尊ばれる花こそ梅なのです。
この意味は大きいと思います。それぞれの国花というナンバー1に注目するだけでなく、梅というナンバー2に着目してみてはどうでしょうか。そこから東アジアの平和の糸口が見えないものかと思います。

 

 
梅は寒い冬の日にいち早く香りの高い清楚な花を咲かせます。哲学者の梅原猛氏によれば、梅とは、まさに気高い人間の象徴であるといいます。日本人も中国人も韓国人も、いたずらにいがみ合わず、偏見を持たず、梅のように気高い人間を目指すべきではないでしょうか。各地の梅の名所は、海外からの観光客の姿が目立ちます。わたしは、戦争根絶のためには、ヒューマニズムに訴えるだけでなく、人類社会に「戦争をすれば損をする」というシステムを浸透させるべきであると考えます。梅原氏は今年の1月に逝去されましたが、「令和」という元号そのものが梅原氏の遺言のような気がしてなりません。

 

Society(ソサエティ) 5.0 人間中心の超スマート社会

Society(ソサエティ) 5.0 人間中心の超スマート社会

 

 

ブログ『Society 5.0』で紹介した本の内容のように、日本は現在、大きな時代の変革期にあります。平成の時代そのものが大きな変革の時代であったとも言えるでしょう。インターネットに代表される情報技術の進歩は社会の姿を大きく変化させました。たとえば、今回のような改元の場合、ある研究者によれば、近世なら新元号が発表された後日本中に伝達されるまでには2週間から1ヶ月ほどの期間を要しました。
ところが、今回はテレビやインターネットニュースはもちろん、首相官邸のTwitter、Facebook、Instagram、YouTubeチャンネルでライブ配信が行われ、瞬く間にほとんどの国民が新元号を知りました。元号の使用が一般的になった近世はもちろん、前回の改元が行われた昭和に比べても、社会の様子は一変しました。

 

ハートフル・ソサエティ: 人は、かならず「心」に向かう

ハートフル・ソサエティ: 人は、かならず「心」に向かう

 

 

 しかし、拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)にも書いたように、新しい時代が到来しても、人は必ず「心」に向かうと考えます。また、大きく社会の様子が変化している現在だからこそ守っていかなければならないものがあります。それこそ、元号に代表される古代からの伝統であり、わが社が業とする儀式なのです。今回の改元が行われる曲折の中で、情報システム上の問題から、企業の元号離れが進んだといわれています。国際化などが進展する現代において、基準となる西暦以外の紀年法は必要ないのではないかという意見も聞こえました。もちろん、元号不要論の中には、単に西暦と併記することが億劫だからという理由もあるのでしょうが、果たしてそんな理由でこれまでの伝統をなくしてしまって良いのでしょうか? わたしの答えは「否」です。

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元号は日本の伝統です(NHKより)


和を求めて』(三五館)

 

元号であれば、「大化」以降約1400年あまりにわたって受け継がれてきた伝統であり、今回の「令和」に至るまで、平成を含めて約250を経ています。これはルーツとなった中国においても既に喪われてしまったもので、現在は日本固有の文化だということができるでしょう。ここに見える希少性は、無論、今後も元号を続けるべき理由のひとつですが、それ以上に、元号にはこれまで日本が歩んできた道のりや、その時代を生きた人々の想いが凝縮されたものであることが何よりも大切なのです。今回の「令和」であれば、「昭和」に続いて「和」の一字が入ったことが大きいです。
拙著『和を求めて』(三五館)でも述べたように、「和」は「大和」の和であり、「平和」の和です。日本の「和」の思想こそが世界を救うのではないかと思います。

儀式論』(弘文堂)

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儀式なくして人生なし!

 

それは儀式においても同様です。
拙著『儀式論』(弘文堂)、『『決定版 冠婚葬祭入門』『決定版 年中行事入門』(ともにPHP研究所)にも書きましたが、冠婚葬祭・年中行事に代表される儀式は、これまで日本人が培ってきた文化の淵源――核であり、元号と同じく、携わる人間が想いをこめて紡ぎ上げてきた、かけがえのない存在です。そのように重要な存在を、効率化や文明化の美名を被った「面倒くさい」という意識のもとになくしてしまうことは、決して許されるものではありません。

f:id:shins2m:20190314002115j:plain 『決定版 冠婚葬祭入門』と『決定版 年中行事入門

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「こころ」を「かたち」にすることを大切に!

 

そもそも、現代のわたしたちが「改元」や「儀式」を体験できることは、過去のご先祖様たちがわたしたちへ、この文化を繫いできてくれたからです。それを中継地点に過ぎないわたしたちが勝手に途切れさせてしまうことは「おこがましい」としか表現のしようがありません。
世の中には本当に意味のない、ムダな作法「虚礼」が存在することも事実です。このようなものは淘汰されてしかるべきですが、不易と流行の間にある線引きをどこに置くかについて、新時代を迎える今、わたしたちは慎重の上にも慎重に考えを巡らせなければなりません。

f:id:shins2m:20190401143231j:plain「平成」もあと1か月です!

 

ともあれ、ついに新たな元号「令和」が決定しました。
これから今上陛下の御譲位また皇太子殿下の新天皇への御即位にあたり、日本文化の核ともいえる践祚と即位に関する儀式群が幕を開けます。儀式に携わる者として、いま、この時に立ち会えた幸運に感謝し、その推移を見守らせていただくとともに、これから迎える新たな御代が誰にとっても平穏で、そして儀式の華ひらく時代となることを心より願う次第です。「令和」への改元まで、あと30日です。

 

新しき時代を前に心せよ

   変へてはならぬものを

       知るべし(庸軒)

 

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4月2日の朝刊各紙

 

2019年4月1日 一条真也