東日本大震災八周年追悼式 

一条真也です。
今日から4月です。平成最後の卯月ですね。本日、ついに新元号が発表されます。
WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第9回目がアップしました。
タイトルは、「東日本大震災八周年追悼式」です。

 

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東日本大震災八周年追悼式」 

 

今年の3月11日は、東日本大震災の発生から8年目の日でした。
当日は全国で大小さまざまな追悼の行事が催されましたが、14時半から東京では、国立劇場内閣府主催にて「東日本大震災八周年追悼式」が執り行われました。平成最後の追悼式典となりましたが、わたしも冠婚葬祭業界の代表として参列しました。

 

式典はやはり荘厳そのものでしたが、「開式の辞」で追悼式実行副委員長の菅官房長官が「ただ今より、東日本大震災記念式典を行います」と宣言したのには仰天しました。「追悼式典」を「記念式典」と言い間違えたわけです。厳粛なセレモニーの冒頭で痛恨のミスでしたが、わたしは「八周年」という表現にも違和感がありました。
なぜなら、「周年」というのは創業とか結婚とか、お祝いのイメージがあるからです。それゆえに原爆の日終戦の日に「周年」を使うのも違和感をおぼえます。悲劇の場合は「~周年」ではなく「~年」がふさわしいように思います。だから、わたしは「東日本大震災八年」というふうに表現しています。

 

また、実行委員長・主催者である安倍総理の式辞は、犠牲者への鎮魂や慰霊の言葉というよりも、残された被災者の方々への復興の現状の説明が多く、なんだか政策アピールのように感じられました。もっと、死者への言葉が聞きたかったです。一方で、遺族や被災者の方々の「ことば」はいずれも死者へのメッセージで、非常にリアルであり、亡くなった家族への情愛がこもっており、聴いていておのずと涙が流れてきました。
そして、退場時に福島県遺族代表の高齢男性が階段につまずいて転びそうになったとき、同じく福島県の被災者の女性がさりげなく支えてあげた姿に感動した。極限の経験をされた方の心の優しさを見せていただいたように思う。

 

それにしても、このような追悼式を行うことは素晴らしいことです。この日は150を超える諸外国の関係者も参列されていましたが、オリンピックが「人類の祭典」なら、このような追悼式も「人類の典礼」であると思いました。世界中の多くの人々が犠牲者のために献花する姿を見て、わたしは「生者は死者とともに生きている」「人間とは死者を弔う存在である」ということを改めて痛感しました。

 

もうすぐ平成が終わりますが、30年におよぶ平成の歴史の中で、最大の出来事はやはり東日本大震災ではないでしょうか。わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれますが、大震災の被災者の方々は、多くのものを喪失した、いわば多重喪失者です。家を失い、さまざまな財産を失い、仕事を失い、家族や友人を失いました。しかし、数ある悲嘆の中でも、愛する人の喪失による悲嘆の大きさは特別です。グリーフケアとは、この大きな悲しみを少しでも小さくするためにあります。新時代においても、人類が人類であり続ける限り、この役割が失われることは永劫にないでしょう。

 

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

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2019年4月1日 一条真也拝