さらば、ショーケン!

一条真也です。
小倉の桜は咲きましたが、まだ肌寒いです。
今夜は、松柏園ホテルで、小倉ロータリークラブの「夫人同伴花見例会」が開かれます。
俳優で歌手の萩原健一(本名・萩原敬三)さんが26日午前10時30分、消化管間質腫瘍(GIST)のため、都内の病院で死去されました。68歳でした。

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「読売新聞」2019年3月29日朝刊 

 

萩原さんは「ショーケン」の愛称で親しまれ、「永遠の不良」とも呼ばれました。1966年、聖橋高校(東京)2年の時には、3日間のストライキを敢行し、「丸刈り反対、長髪認めろ」と学校側に要求。その責任を取って中退しましたが、本人は「辞めさせられたんじゃない。オレが辞めたんだ」と言ったそうです。直後に「ザ・テンプターズ」のボーカルとしてスターダムにのし上がりました。

 

「スポーツ報知」配信の「ショーケン、色気、天才、華麗 多くの女性たちが恋に落ちた・・・萩原健一さん評伝」という記事では、「色気。普通は女を語る時に用いられる言葉を、男として与えられた人かもしれない。カッコ良くて、ワルくて、危うくて、強くて、弱かった。萩原さんに母性本能をくすぐられ、多くの女性たちが恋に落ちた」と書かれています。本人は「僕を好きになってくれた人の中で、後悔したと言える人は1人もいないはずだよ」と言ったとか。

 

女優の倍賞美津子との交際もよく知られていますが、当時の倍賞はアントニオ猪木の妻であり、猪木信者だったわたしは「猪木の女房を寝取るなんて、なんて野郎だ!」と憤ったことを記憶しています。倍賞との密会を撮った講談社「フライデー」の記者を殴打する事件を85年に起こしましたが、その翌年、同グループの光文社から「フラッシュ」が創刊されると、自ら志願して広告に登場し、ショーケンは「きちんと喜び、きちんと怒る」というコピーと並んで微笑を浮かべました。このとき、広告業界にいたわたしは「このオッサン、やるなあ!」と思いました。

 

数多くの映画やドラマに出演したショーケンですが、わたしが一番好きな作品は、1972年の「約束」という映画です。監督は斎藤耕一、主演は岸惠子で、岸の相手役を演じたショーケン出世作としても知られます。わたしは数年前に松竹DVDで観たのですが、岸惠子の美しさ取り上げた『ショーケンの切ない演技に魅了されました。この週末は「約束」を観直して、故人を偲びたいと思います。

 

あの頃映画 松竹DVDコレクション 約束

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 ところで昨日、PHP研究所の部長さんがサンレー本社に来社されました。最新刊『決定版 冠婚葬祭入門』が同社から刊行されたので、その御挨拶にわざわざ京都本部から来られたのです。その部長さんとPHPの創立者である松下幸之助翁の話題になり、わたしが「昭和が終わるとき、松下幸之助手塚治虫美空ひばりといった時代を象徴した方々が旅立っていかれました。平成が終わる今も、内田裕也さんなどが亡くなりましたが、今日あたりも誰か大物が亡くなっているかもしれませんよ」と言いました。まさか、本当に萩原健一さんが亡くなるとは驚きました。4度逮捕された萩原健一さん、3度逮捕された内田裕也さんという2人の「永遠の不良」が平成の最後に旅立って行きました。
御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 

 

 2019年3月29日 一条真也