変えるべきもの、変えてはならないもの

一条真也です。
18日は早朝からブログ「春季例大祭」で紹介した神事が松柏園ホテルの神殿で行われました。皇産霊神社の瀬津神職が神事を執り行って下さり、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続いて、わたしが社長として玉串奉奠を行いました。

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天道塾のようす

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佐久間会長の訓話のようす

 

神事の後は、恒例の「天道塾」を開催しました。
まずは佐久間会長が登壇し、かつて「平安太郎」の名で作詞した「俺はやるんだ」という歌を流して、わが社の志について話しました。それから、会長は来月行われる福岡県知事選の行方や「ケア・コンパクトシティ」のついて話しました。

 

f:id:shins2m:20190318085522j:plainケア・コンパクトシティについて語りました

 

「ラストリゾート」とも呼ばれるケア・コンパクトシティとは、高齢者のための医療・介護・商業施設などが一体となったコンパクトな街です。会長はこれを北九州市に作るべきではないかとの考えを示しました。これまでも会長は、コンベンションセンターやフリートレードゾーン、保養型リゾートなどのイノベーション施設の誕生をいち早く予見してきた実績があります。

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わたしが登壇しました

 

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

 

 

それから、社長のわたしが登壇して講話をしました。
わたしはまず、ブログ「東日本大震災八周年追悼式」の話をしました。追悼式で、わたしは、犠牲者の方々の御冥福を心から祈りました。それにしても、このような追悼式を行うことは素晴らしいことです。この日は150を超える諸外国の関係者も参列されていましたが、オリンピックが「人類の祭典」なら、このような追悼式も「人類の典礼」であると思いました。世界中の多くの人々が犠牲者のために献花する姿を見て、『唯葬論』(サンガ文庫)で訴えた「生者は死者とともに生きている」「人間とは死者を弔う存在である」という考えが間違っていないことを改めて痛感しました。

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東日本大震災について

 

もうすぐ平成が終わりますが、30年におよぶ平成の歴史の中で、最大の出来事はやはり東日本大震災ではないでしょうか。わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれます。大震災の被災者の方々は、いくつものものを喪失した、いわば多重喪失者です。家を失い、さまざまな財産を失い、仕事を失い、家族や友人を失いました。しかし、数ある悲嘆の中でも、愛する人の喪失による悲嘆の大きさは特別です。グリーフケアとは、この大きな悲しみを少しでも小さくするためにあるのです。この日は、儀式とグリーフケアを考えるうえで非常に勉強になりました。

f:id:shins2m:20190318141028j:plain孤独死を防止するシステムの構築を! 

 

そこで、大事なポイントは「孤独死をしない」ということ。わが社を中心に年間700回以上開催されている「隣人祭り」をはじめとした多種多様な「隣人交流イベント」のノウハウを駆使して、孤独死を徹底的に防止するシステムを構築することが必要です。そうなれば、「北九州にさえ行けば、仲間もできて、孤独死しなくて済む」というふうになります。全国の独居老人には、どんどん北九州に移住していただきたいと願っています。

 

平成が終わって新元号となったとき、さまざまな慣習や「しきたり」は一気に消え去ります。しかしながら、世の中、変えてもいいものと変えてはいけないものとがあります。例えば、ブログ「グリーンブック」で紹介したアカデミー作品賞受賞映画に登場した黒人を入店させないレストランの「しきたり」などは明らかに時代遅れです。それは「人間尊重」という「礼」の本質に最も反しているからです。他にも、窮屈なばかりで意味のない礼儀、いわゆる虚礼などは廃れていくのが当然でしょう。平成が終わって新元号となったとき、それらの虚礼は一気に消え去っていきます。

f:id:shins2m:20190318140323j:plain決定版 冠婚葬祭入門』を紹介しました

 

 

しかし、結婚式や葬儀、七五三や成人式などは消えてはならないものです。それらは「こころ」を豊かにする「かたち」だからです。人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。そこで大切なことは先に「かたち」があって、そこに後から「こころ」が入るということ。逆ではダメです。「かたち」があるから、そこに「こころ」が収まるのです。わたしは、見本が出たばかりの『決定版 冠婚葬祭入門』(PHP研究所)を手に持って、冠婚葬祭の重要性について訴えました。

f:id:shins2m:20190318094053j:plain「こころ」が不安に揺れ動く時はいつか?

 

人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつかを考えてみると、子供が生まれたとき、子どもが成長するとき、子どもが大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くすときなどがあります。その不安を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった一連の人生儀礼があるのです。「無縁社会」が叫ばれ、生涯非婚に孤独死や無縁死などが問題となる中、冠婚葬祭互助会の持つ社会的使命はますます大きくなります。

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互助会に求められるものとは?

 

いまや全国で2000万人を超える互助会員のほとんどは高齢者であり、やはり孤独死をなくし、「豊かな老い」を提供することが互助会の大きなテーマとなっているのです。わが社が行っている「隣人祭り」をはじめとした隣人交流イベント、グリーフケア・サポート、さらには見回りや買い物支援、そして婚活サポートなども互助会に求められます。

 

 

そこで、わたしも「ケア・コンパクトシティ」の話をしました。最近、佐久間会長から紹介された『2025年、高齢者が難民になる日~ケア・コンパクトシティという選択』小黒一正編著(日経プレミアシリーズ)という本を読み、非常に感銘を受けました。「幸福な老後は、住む『まち』で決まる」というメッセージの本で、高齢化の進行で、医療・介護難民が続出する中で、日本の現状を知り、解決策を考える内容です。 

f:id:shins2m:20190318095559j:plainケア・コンパクトシティについて 

 

同書で、法政大学経済学部教授の小黒氏はこう述べます。
「人生80年の時代を迎え、60代からの人生は黄昏どきというより、むしろ人生の収穫期と言っていいだろう。“余生”を自分の仕事の完成に注ぐか、趣味や生涯学習に打ち込むか、あるいは現役時代にはできなかった自分だけのライフワークにかけるか――いずれにしても、安心な毎日を保証する『居場所』を確保しなければ豊かな老後はおぼつかない。そのようなラストリゾートをめざすということは、自己責任による『自助』、介護保険など社会保険制度という『共助』、近隣での助け合いやボランティアなどの『互助』、そして税金による生活保障である『公助』を組み合わせた新しいコミュニティを創造することにほかならない」

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互助会の出番が来ました!

 

ここで「互助」という言葉が出てきましたが、互助会こそは日本人の老後を幸福なものにすることができる組織であると、わたしは思います。小黒氏は「これからは、老いも若きも生産と効率向上に奉仕するだけではなく、『人生の意味』を充実する〈生活世界〉を主眼とするまちづくりが、都市計画の本流となる。そのための仕組みこそ、地域包括ケアシステムの本質である。大都市だけでなく地方都市も、過疎地においても、それが21世紀のまちづくりの基本コンセプトなのである」と述べます。

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 「互助会」から「互助社会」へ

 

「ケア・コンパクトシティ」という考え方は、わたしが長年提唱し続けている「高齢者福祉特区」、ひいては「老福都市」という考え方とほぼ同じです。日本は「世界一の高齢化先進国」だそうですが、その日本でも最も高齢化が進行している政令都市が、わたしが住む北九州市です。北九州市は、高齢者が多いことを「強み」として、日本一、高齢者が安心して楽しく生活できる街づくりを目指すべきだと思います。それは「互助会」から「互助社会」への進化でもあります。

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新しい時代を拓こう!

 

平成が終わって新元号となり、あらゆるものが変化しようとも、「相互扶助」をコンセプトとした冠婚葬祭互助会は不滅です。そして、新しい時代を拓くのは、わたしたちサンレーグループであると信じています。そのように語って、わたしは降壇しました。その後は各事業部の決算報告ラッシュで、ハードな1日となりました。明日19日から東京に出張します。改元まで、あと44日です。

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最後は、もちろん一同礼!

 

2019年3月18日 一条真也