東日本大震災八周年追悼式   

一条真也です。
東京に来ています。今朝の関東地方は台風並みの低気圧で、いわゆる「春の嵐」でした。ブログ「東日本大震災8年」に書いたように、今日は、東日本大震災の発生から8年目の日です。14時半から東京の国立劇場内閣府主催の「東日本大震災八周年追悼式」が開催されます。平成最後の追悼式典となりますが、わたしも参列いたしました。

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国立劇場の前で

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身の引き締まる思いです

f:id:shins2m:20190311125103j:plain国立劇場の入口

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東日本大震災追悼式典」の案内状と受付票

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受付の列に並びました

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喪章には「八」と書かれていました

 

 

内閣府のHPに掲載されている開催趣旨は「東日本大震災は、被災地域が広範に及び、極めて多数の犠牲者を出すとともに、国民生活に多大な影響を及ぼした未曽有の大災害であったことから、発災8年を機に、国として、被災者を追悼する式典を開催するものです」とあります。ブログ「全互協新年行事」で紹介したように、今年1月22日、東京は亀戸の結婚式場「アンフェリシオン」で一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の歴代会長と正副会長等との懇談会が開かれました。そこで今回の「東日本大震災追悼式」に参列する全互協の代表にわたしが選ばれたのです。このような国家規模の追悼式典にぜひ参加したいと常々思っていましたので、大変名誉なことと、二つ返事でお引き受けしました。

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会場では喪章をつけました

f:id:shins2m:20190308162818j:plain御留意事項

 

なにしろ秋篠宮同妃両殿下、安倍内閣総理大臣をはじめ、衆参両院の議長、最高裁判所の長官など、国家の最重要VIPが参列されるということで、警備は厳重でした。SPの数がものすごかったです。カメラはもちろんNGですが、飲み物や手荷物などもすべて受付で預けなければなりません。携帯電話だけは電源OFFもしくはマナーモード設定ということで許可されました。事前に内閣府から「御留意事項」が届いていましたので、なんとか事なきをえました。

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厳粛な追悼式でした

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追悼式次第

 

式典はやはり荘厳そのものでしたが、「開式の辞」で追悼式実行副委員長の菅官房長官(実行委員長は安倍総理)が「ただ今より、東日本大震災記念式典を行います」と宣言したのには仰天しました。「追悼式典」を「記念式典」と言い間違えたわけで、あってはならないことでした。厳粛なセレモニーの冒頭で痛恨のミスでしたが、わたしは「八周年」という表現にも違和感があります。「周年」というのは創業とか結婚とか、お祝いのイメージがあるからです。原爆の日終戦の日に「周年」を使うのも違和感を感じます。悲劇の場合は「~周年」ではなく「~年」がふさわしいように思います。だから、わたしはブログ「東日本大震災8年」のように、「東日本大震災8年」と表現しています。もしかしたら「記念」ではなく「祈念」と言いたかったのかもしれませんが、「祈念」だけでは意味が通りません。「平和祈念」とか「治癒祈念」といったように祈念する対象を明らかにすることが必要です。

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「復興の現状について」の資料が配られました

 

 主催者である安倍総理はお辞儀は見事でしたが、式辞の内容が犠牲者への鎮魂や慰霊の言葉というよりも、残された被災者の方々への復興の現状の説明が多かったです。なんだか政策アピールのように感じられました。もっと、死者への言葉が聞きたかったです。
一方で、遺族や被災者の方々の「ことば」はいずれも死者へのメッセージで、非常にリアルであり、亡くなった家族への情愛がこもっており、聴いていて涙が出てきました。退場時に福島県代表の遺族の高齢男性が階段につまずいて転びそうになったとき、同じく福島県の被災者の女性がさりげなく支えてあげた姿に感動しました。極限の経験をされた方の心の優しさを見せていただいた思いでした。

 

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

 

 

わたしは、犠牲者の方々の御冥福を心から祈りました。
それにしても、このような追悼式を行うことは素晴らしいことです。この日は150を超える諸外国の関係者も参列されていましたが、オリンピックが「人類の祭典」なら、このような追悼式も「人類の典礼」であると思いました。世界中の多くの人々が犠牲者のために献花する姿を見て、『唯葬論』(サンガ文庫)で訴えた「生者は死者とともに生きている」「人間とは死者を弔う存在である」という考えが間違っていないことを改めて痛感しました。

 

儀式論

儀式論

 

 

秋篠宮同妃両殿下が御退席された後は、献花が行われました。安倍内閣総理大臣にはじまって、衆議院議長参議院議長、最高裁判所長官の3人、それから岩手県宮城県福島県の被災者および遺族、続いて政党代表(共産党の志位委員長の姿もありました)、続いて各国代表、その後で首相経験者、両院の副議長、国務大臣官房長官含む)、官房副長官および副大臣政務官内閣総理大臣補佐官、両院常任委員長および特別委員長、その他の国会議員および最高裁判所判事、都道府県知事・・・・・・と延々と続きました。わたしたちの順番は政令指定都市市長などの後でしたが、開始からずいぶん時間が経過しました。なんだか人間として低いクラスに扱われたようでけっして良い気分はしませんが、でもこれが儀式なのです。なによりも「礼」とは順番を重んじます。拙著『『儀式論』(弘文堂)に書いたように、良きにつけ悪きにつけ、このような儀式を行うから人間なのだと思います。

 
さて、今回の追悼式では、あの「平成の玉音放送」を思い出しました。東日本大震災の発生当日、天皇陛下皇學館大学の学生ボランティアによる皇居勤労奉仕団が皇居などで奉仕作業を行っておられました。地震発生による交通マヒで勤労奉仕団が帰路に就くことが出来なくなってしまいましたが、そのことを耳にした陛下の指示により、皇學館大学皇居勤労奉仕団参加者全員を皇居内の施設である窓明館に宿泊させたそうです。
天皇皇后両陛下は、地震発生の翌日となる3月12日に地震津波被害に対するお悔やみと見舞いの気持ちを示し、宮内庁長官を通して菅首相に、災害対策に全力を尽くしている関係者一同の努力を深く労う旨を伝えられました。

 

東日本大震災による電力危機により3月15日から東京電力が実施した管内における計画停電は皇居・御所がある千代田区は対象外でしたが、皇居・御所では東京電力が発表した計画停電スケジュールの「第1グループ」地域における停電時間(1回約2時間)に合わせて電気の使用をほぼ全て控える「自主停電」を行われました。自主停電は、東京電力から計画停電のスケジュールが発表されなくなった4月30日まで続けられました。
また、3月14日以降の一部儀式の簡略化、園遊会の中止が決定され、電力消費の大きい宮殿の使用は認証官任命式と新駐日大使の信任状捧呈に限定し、他の宮殿行事は御所で実施されました。

 

夏の電力使用を抑えるため、7月5日の平野達男震災復興担当大臣の認証官任命式、7月25日の韓国とモナコの新任駐日大使の信任状捧呈式も、御所で行われました。震災当時、天皇陛下侍従長からシェルター「特別室」への避難を進言されましたが、「その必要はない」と返答されたそうです。
そして、天皇皇后両陛下が3月30日に東京武道館に避難している被災者のもとを訪れ、慰問したのを皮切りに、天皇や皇族は各地の被災地や避難所を歴訪し、被災者を慰問されています。不遜を承知で申し上げれば、天皇陛下は日本における「グリーフケア・キング」であると思います。

 

もうすぐ平成が終わりますが、30年におよぶ平成の歴史の中で、最大の出来事はやはり東日本大震災ではないでしょうか。わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれます。大震災の被災者の方々は、いくつものものを喪失した、いわば多重喪失者です。家を失い、さまざまな財産を失い、仕事を失い、家族や友人を失いました。しかし、数ある悲嘆の中でも、愛する人の喪失による悲嘆の大きさは特別です。

 

グリーフケアとは、この大きな悲しみを少しでも小さくするためにあるのです。わたしはサンレーの社長として、また、上智大学グリーフケア研究所客員教授として、グリーフケアの研究と実践と普及に尽力したいと思います。
今日は儀式とグリーフケアを考えるうえで非常に勉強になりました。献花を終えた後は、国立劇場の花道を歩いて退場しましたが、これも良い思い出になりました。わたしを参列させて下さった関係者の皆様に感謝を申し上げます。改元まで、あと51日です。

 

2019年3月11日 一条真也