グリーフケア対談

一条真也です。横浜に来ています。
28日の11時20分から、ブログ「グリーフケア対談のお知らせ」で紹介した特別対談がパシフィコ横浜で開催されました。


会場のパシフィコ横浜

超満員になりました!



第22回フューネラルビジネスフェア2018」のシンポジウム内のイベントですが、上智大学グリーフケア研究所の所長で東京大学名誉教授の島薗進先生とわたしが「グリーフケアの時代〜現代日本の葬儀と死生観」をテーマに大いに語り合いました。


登壇者紹介のようす



冒頭、進行役による本講座開設の趣旨と登壇者紹介がありました。それから、第1テーマ「葬儀の簡素化・簡略化に歯止めはかけられるのか?」が開始されました。まずは進行役から「一般葬の減少に対して家族葬に代表される小規模葬のニーズが高まるなか、そもそも葬儀の簡素化・簡略化に歯止めはかけられるのだろうか?」という問題提起があり、わたしに「小規模葬が増えているのか、会葬者数も激減しているのかといった、業界の現状について」の質問がありました。


葬儀の小規模化について述べました



わたしは、以下のように答えました。
「小規模葬」といわれるものが会葬者が少ない、来ないという葬儀のことであれば増えてきていると感じています。それは「家族葬」「直葬」という名称で増加しています。業界の現状としては「会葬者の減少」「単価の低下」「儀式の簡略化」などの問題がよく出てくるのですが、業界としては様々な対策を行っています。


発言する島薗先生



また、「小規模な葬儀を行うことへ歯止めをかけることができるのは、葬儀発生後、遺族が真っ先に頼る葬祭事業者ではないか。であるならば、葬儀の簡略化・簡素化に歯止めをかけられるのは葬祭事業者ではないか」との質問を受けました。わたしは「確かに亡くなってからご遺族とご葬儀の話を行うのは葬祭事業者となります。その時点でアドバイスを行い、亡くなった方やご遺族とご縁のある方に葬儀に参列していただく大切さを伝えています。ただし、『終活』という言葉が一般化していることもあり、亡くなる前から自分や家族の葬儀のかたちを考えている方がほとんどです。つまり、葬儀発生時にアドバイスすることも大切ですが、その前の段階で葬儀という儀式の大切さを伝えてゆくことが重要だと考えています」と答えました。


島薗先生の言葉をメモする      



第2テーマ「宗教離れはどこまで進むのか――宗教色を排除した葬送における『悼み』『偲ぶ』のあり方」では、進行役から「葬儀の簡略化という点でいえば、都市部を中心に無宗教葬の動きが垣間見られる。もともと、宗教心に長けた民族とはいえない日本人ではあるが、古来、仏壇に手を合わせるといったことはどの家庭でも見受けられるものだった。しかし、いま、そうした状況は多くみられず、菩提寺すら分からない。宗派すら分からない、といった状況にあるのが現状である」との発言がありました。その上で、わたしに「実際に無宗教葬は増えているのか、増えているとすればその背景にあるのは何か?」の質問がありました。


無宗教葬について述べました



わたしは、菩提寺に代表される寺の問題、核家族化が招いた血縁、住環境の変化による地縁、さらに社会構造変化による社縁といったものの崩壊といったことを踏まえながら、宗教色を排除した葬儀を望む遺族の声などを事例として挙げました。そして、「都市部と地方では進行度合いは違ってくると思いますが、『無宗教葬』という選択肢は増えてきているのではないかと感じます。ただし、それは『無宗教で葬儀を行いたい』という『積極的』な理由と菩提寺など寺院とのつながりがないために『無宗教で葬儀を行う』という『消極的』な理由の2つがあるのではと感じています。後者はもともと地域社会で存在していた寺院との関係性が現在では成立しなくなったことが無宗教葬を選ぶ背景ではないか、そしてそれも無宗教葬が増えた要因と考えられるのではないでしょうか? 言い換えれば今まであった寺院が地域で果たしていた役割を果たせなくなったということです」と答えました。


グリーフケア装置としての葬式仏教



さらに進行役は、「宗教離れはある意味、消費者ニーズとして受け入れなければならない面もあるが、一方で、葬送儀礼文化として捉えるのであれば、無宗教葬において故人を『悼み』『偲ぶ』というプロセスをどのように表現するのかが難しいのではないか?」といった質問を投げかけてきました。わたしは、「無宗教での葬儀においても故人とのお別れをして献花を行ったり、思い出を語ったりという故人を『悼み』『偲ぶ』ということは可能だと考えられます。好きな音楽をかけたり演奏したり、亡くなった方へお別れの言葉をかけたりとすることもプロセスの1つとして成り立っていくと考えられます」と語りました。そして、一連の年忌法要におけるグリーフケアの仕組みを説明し、葬式仏教の本質がグリーフケア宗教であると述べました。


葬儀のもつ役割



第3テーマ「形式化する葬儀における遺族ケアのあり方(誰が行なうのか、成り立つのか)」では、島薗先生から「死者を偲ぶ要素を(葬儀に)どのように組み込むのか?」の質問がありました。わたしは、こう述べました。
「葬儀のもつ役割として、(1)社会的対応、(2)遺体への対応、(3)霊魂への対応(宗教)、(4)悲しみへの対応〈グリーフケア〉の4つがあげられます。葬儀を行うことや葬儀の中で行われることがそれぞれに対応しているのですが、ご質問の死者を偲ぶ要素としては『悲しみをわかちあう場』としての葬儀があげられるのではないでしょうか。悲嘆にくれる方にとって悲しみを表す場は必要です。そのような場が存在しないと、深い悲しみが長引き、回復を妨げる思考・自責感・罪悪感・否定的な考えが回復を妨げる要因となってきます。死別で起こる悲嘆の反応は時には不眠や食欲不振あるいは『うつ』につながってゆくことも考えられます」


グリーフケアについて述べる島薗先生



第4テーマ「医療(病院)・宗教者・葬祭事業者の三者それぞれに『グリーフケア』の必要性が高まるいま、葬祭事業者ができることは?」では、進行役から「グリーフケアは、医療の世界ではもちろん、宗教者、葬祭事業者もその必要性を感じているという声が多い。医療の世界では『エンドオブライフ協会』などを筆頭に、在宅医療関係者からグリーフケアの重要性も問われている」との発言があり、こうした中において、グリーフケアの本質とは何かについて、まずは研究者の立場から島薗先生に問いかけ、島薗先生はグリーフケアについてのお考えを述べられました。


パワポで「月あかりの会」について説明

カウンセリング・ルーム

グリーフケア・ブック



その島薗先生の発言を受け、わたしに「葬祭事業者ができるグリーフケアとは?」という質問が投げかけられました。わたしは、葬祭事業者が行えるケアとして、葬儀前・葬儀・葬儀後に分けて事例を紹介しました。そして、わが社で行っていることとして自助グループ(Self Help Group)=「月あかりの会」の立ち上げと活動サポートについて説明しました。


月あかりの会」とは何か

趣味の発見(写経)

趣味の発見(絵画)

「笑いの会」について



ここでは「愛する人を喪失した対処から、愛する人のいない生活への適応のサポート」を行っていますが具体的には「人生の目標を見出せるサポート」「喜びや満足感を見出せるサポート」「自分自身をケアすることをすすめる」「他者との関わりや交わりをすすめ、自律感の回復を促す」ことをサポートするようにしています。ここでは「癒し」「集い」「学び」「遊び」というキーワードで様々な活動を行っています。その中でも、「笑来」とユーモアによる癒しという視点で活動を行っており、それを具体的に紹介しました。「笑い」とは「和来」という意味でもあり、悲嘆にくれる遺族に無理なく笑いを提供する場の創出を考え、毎月1回の「笑いの会」の開催と弊社の本社のある北九州だけで年間300回を越える見学会で落語会の開催などを行い、そこにご遺族をお招きしています。


セレモニーホールからコミュニティセンターへ!

会場がどよめきました  



その後、島薗先生から「ところで、直接的な葬儀の場面以外で、コミュニティケアに葬祭業社が関わっていく可能性はあるのか?」という問いかけがありました。わたしは「新たなコミュニティの創造とグリーフケア」についての考えを述べ、これからの葬祭会館は「葬儀をする」から「葬儀“も”できる」地域コミュニティの代替施設として多機能化すべきだと訴えました。
つまりは、「セレモニーホールからコミュニティセンターへ」ということです。そして、それは「セレモニーホールの寺院化」でもあります。


寺院の機能について



かつて寺院は、地域のコミュニティセンターの役割を担っていました。仏教が日本に入ってきて1500年くらい経っていますが、地域における寺院の機能としては、ここ「学び」と「癒し」と「楽しみ」の3つがありました。現代ではその寺院が減ってきており、そして寺院に足を運ばなくなってきている。そこで、寺院の機能を、わたしたちのセレモニーホールが担い、コミュニティセンターとして変化・進化していけるのではないかと考えています。また、寺院の機能として1つは葬儀、もう1つは、遺族の悲しみを癒すということがあります。まさに、グリーフケアです。これらの機能はもともとセレモニーホールにはあるわけですし、当社もグリーフケアについては重視しています。


具体的事例を紹介しました



第5テーマ「ケアの個別化・多様化にどう応えていくか」では、まず、「人々の死生観が多様化するなか、どのように対応すべきか」という問題が取り上げられました。進行役の「そもそもグリーフケアを行う場面は悲嘆にくれる人に対して、という認識を有しているが、一方で、いまの生者(生きている人、遺族にならんとしている人など)に対しても、グリーフケアの知識を少しでも伝えておくことは有益なことか?」という質問に対して、島薗先生の発言の後、わたしに「仮に有効だということであれば、葬祭事業者として、そういった場面提供の機会はあるのか?」と質問してきました。


特別対談のようす



わたしは、「業界として行えるケアの実践として『死』に対しての準備や心構えをする機会がそれではないかと思います。人生の終末ケアとして介護、保険、共済、後見人制度、遺言信託・相続の相談などのセミナーなどを開催しています。また生前に出来る準備として生前予約・契約、エンディングノート、互助会などもこれに含まれるのではないでしょうか。このようなことを考える機会を作り・参加してもらうことで『死』を考え、そして『死』の悲嘆を和らげることを考えることが出来るのではないでしょうか」


グリーフケアとしての読書

空席なし、熱気ムンムン!



また、わたしは、死の疑似体験(映画・読書)とその効果について説明し、「死」を描いた映画・音楽鑑賞などの場を提供し、「死は決して不幸な出来事ではない」と認識してもらえる事前相談&グリーフケア(アフター)機能の積極的な提案を行いました。映画に関しては北九州市小倉紫雲閣には800人規模の会場があるのですが会場にスクリーンを常備した「友引映画館」(仮)というイベントを行っていきたいと考えています。


特別対談のようす



これは映画を通して「死は不幸な出来事ではない」ことを認識していただくことと同時に前述のコミュニティセンター化のひとつとして考えています。コミュニティセンターのイベントの1つとしての館内見学会では、「湯灌」の実演や「入棺体験」などを行い「死」に対しての準備や心構えをする機会としています。当然そこでは1級葬祭ディレクターが事前の相談を受けたり、心理カウンセラーによりグリーフケアセミナーを行ったりと様々なことを行い、「死」を考えて行く機会として重要なことであると思っています。


グリーフケアの重要性と可能性を訴えました

終了時、盛大な拍手を頂戴しました


最終的には紫雲閣に来れば生前の不安の解消や新しい「縁」を作ることから、葬儀もできて、さらには死後のグリーフケアまで可能な地域の中心となれるコミュニティセンターとなることを目指しています。また、それは「なくてはならないもの」であると考えています。その後、「高齢者のケアに関わっていく可能性」についての質問もあり、わたしは、隣人館、買い物支援、ゴミ出し支援などについて話しました。
さらに、わが社が「音楽療法アートセラピーに関わっていく可能性」についての質問もあり、葬儀での楽器の演奏の演出などについてお話しました。そして、70分にわたる対談は終了し、盛大な拍手を頂戴しました。


終了後の名刺交換のようす

参加者と名刺交換しました

参加者と歓談しました

出版関係者とのランチのようす



現代日本を代表する宗教学者にして死生学の第一人者である島薗先生と「葬儀」「死生観」、そして「グリーフケア」について語り合える機会を与えていただき、まことに光栄でした。対談終了後は参加者のみなさんと名刺交換、歓談をさせていただきました。その後、この日参加して下さった出版関係者のみなさんと一緒にグランドインターコンチネンタルホテル横浜のレストランでランチをしました。食後はリムジンバスに乗って羽田空港へ。スターフライヤーで北九州へと戻りました。



2018年6月28日 一条真也