都萬神社  

一条真也です。
宮崎に来ています。
今回は、どうしても行きたい場所がありました。日本で初めて結婚式が行われたとされる「都萬神社(つまじんじゃ、都万神社)」です。


都萬神社

都萬神社を背に

記紀の道

都萬神社について



都萬神社は宮崎県西都市にある神社ですが、式内社で、日向国総社論社、日向国二宮論社となっています。
宮崎県は「神話の国」として知られます。県内には『古事記』『日本書紀』」に描かれる舞台の地が多くあります。都萬神社こそは、日本最古の書である『古事記』の中で、邇邇芸命ニニギノミコト)とその妻・木花開耶姫命コノハナサクヤヒメ)の日本初の婚礼儀式(結婚式)の場所なのです。


手水場で手を清めました

「千年楠の洞洞木」の案内板

これが「千年楠の洞洞木」だ!!

くぐりました!



日本初の結婚式が行われた場所である都萬神社は、「恋愛がうまくいく」「良縁にめぐりあえる」神社として有名で、多くの女性が訪れています。「更衣祭(こういさい)」という嫁入りをそのまま再現する神事が毎年7月7日に行われています。社名の「都万」は「妻」のことであり、祭神の木花開耶姫命瓊々杵尊の妻であることによるといいます。「都万」の社名については、「妻万」とする説が古くからあります。
都萬神社にが願いごとをしてくぐる「千年楠の洞洞木」もありました。わたしは「夫婦円満」と「娘の良縁」を願いながら洞洞木をくぐりました。


日本清酒発祥の地」です

都萬神社の由来



Wikipedia「都萬神社」の「歴史(創建)」にこう書かれています。
「創建の年代は不詳。当社周辺には、木花開耶姫命瓊々杵尊が新婚生活を送ったという伝承地が残っている。当社近くには全国屈指の大古墳群である西都原古墳群があるほか、屯倉設置の推定地や日向国府跡もあり、日向の中心地であったことがうかがわれる。
なお本居宣長以来古くから、当地の地名『妻(つま)』を『魏志倭人伝』に見える『投馬国』に比定する説がある(確証はされていない)」


本殿を参拝しました

本殿には大きな杉玉が・・・



また、Wikipedia「都萬神社」の「歴史(概史)」にこう書かれています。
国史の初見は、『続日本後紀』の承和4年(837年)8月1日条の『日向国子湯郡子都濃神。妻神。宮埼郡江田神。諸県郡霧島岑神。並預官社(都農神社・都萬神社・江田神社・霧島岑神社を官社に預かる)』という記事である。その後、神階は天安2年(858年)に従四位下まで昇進した。『延喜式神名帳では日向国児湯郡に『都万神社』と記載され、式内社に列している。日向国府は当社近くに設けられており、また『五社明神』という別称から日向国の有力社を合祀していたと見られることから、当社は日向国の総社の機能を担ったとする説がある。また、都農神社(日向国一宮)に次ぐ二宮として崇敬されたとする説もある」


鳥居を背に

妻のクス

生産河

お乳の神様のいわれ



わが社の「サンレー」という社名には「産霊(むすび)」という意味があります。新郎新婦つまり男女の魂が結魂を果たし、息子(むすこ)や娘(むすめ)といった新しい生命を想像することが産霊です。日本最大の国難とは人口減少であり、少子化に対する方策が求められています。子どもを増やすには、その前に結婚の数を増やさなければいけません。というわけで、わが社は「婚活」を救国の事業として推進しています。都萬神社は「婚活のテーマパーク」のような場所で、「千年楠の洞洞木」の他にも、「妻のクス」や「生産河」などもありました。今日は、日本における「結婚」のルーツともいうべき都萬神社で多くのヒントやインスピレーションを得ることができました。


相撲の土俵もありました!



2018年月日 一条真也