ヤマトタケル尊像

一条真也です。
世界各地、そして日本各地に建立されている聖人や偉人の銅像
わたしは銅像を観るのが三度の飯より好きです。名所旧跡を訪れて銅像を見つけると狂喜乱舞し、一緒に記念撮影をせずにはおれません。銅像が「どーぞー、一緒にお写り下さい!」と誘いかけてくるのです。
わたしはさまざまな銅像と対峙しながら、そこに建立せずにはおられなかった先人を慕う人々の熱い想いを感じてしまいます。


兼六園の桂坂口で

雪の兼六園にて



今年の1月、石川県金沢市を訪れました。
この地には日本三大名園として名高い兼六園があります。この名園の中に、なぜかヤマトタケルの尊像が建立されています。しかも、日本最古の銅像であるというではありませんか!!


あ、あれは!

ヤマトタケル様ではないか!



高岡銅像物語」というサイトに、この尊像について「日本最古の銅像 日本武尊像」というタイトルで、詳細な記述があります。
「高岡の銅像を語るときに、まずお話したいのは金沢兼六園の真ん中に建っている『明治紀念之標(めいじきねんのひょう)』通称日本武尊像(やまとたけるのみことまたの名を金仏(かねぶつ)様です。『明治紀念之標』は、明治10年(1877)の西南戦争で戦没した石川県の兵士400名を慰霊するために建てられました。日本武尊天皇の血を引く人物であったためか、戦時中の金属供出を免れ、戦後は進駐軍に『軍国主義的だ』と撤去の指示を受けましたが、金仏様は仏であると言って食い止め今日に至っています。誠に運のいい銅像といわねばなりません。
この像は、世に『日本第一号の銅像』として知られています。九段の大村益次郎像が明治21年(1888)、上野の西郷どんが明治30年の完成ですが、日本武尊像はそれよりさらに早く、明治13年(1880)に高岡の鋳物職人たちの手によって鋳造されました。金屋町の喜多万右衛門(きたまんうえもん)家工場(今の釜万鋳造所)で鋳造され、千保川から船で金沢に運ばれたとも、倶利伽羅(くりから)峠を越えて運ばれたとも、頭・手・足は高岡で鋳造して金沢に運び胴体は、出吹き職人が出張し現地に吹き場を築いて鋳造したとも言い伝わっています。日本武尊像の完成を深謝した鋳物職人たちは、翌年、同像の小型木造原型を日本武尊の分霊として高岡市横田町の有礒正八幡宮に祀りました」


日本武尊尊像



人に歴史ありですが、銅像にも歴史あり、です。
しかも、かけまくもかしこき日本武尊が日本最古の銅像であり、さらに現存しているのですから凄いことです。「高岡銅像物語」の説明は次のように続きます。
「この日本武尊像は最初金沢の鋳物師たちが請け負うことになっていたそうです。ところが、高岡鋳物師たちは、幕末の頃から蝦夷(えぞ・北海道)へのニシン釜の移出でますます勢いを得て販路を拡大し、全国屈指の総勢と圧倒的な技術力の高さを誇っていたので、われらが領分とばかりにこの日本武尊像の鋳造を後から名乗りを上げて請け負ったのです。高岡鋳物師たちは、互いに知恵を持ち寄り大変な苦心と研究とを重ねながら銅像の完成に至ったことは、先祖たちの武勇伝、後輩たちへの教訓譚として地元鋳物業界に今もなお語り継がれているところです。
当時の鋳物産地といえば、鍋・釜・鋤などの日常的な生活道具づくりが主な生業でした。その中にあって高岡が、銅像産業の分野に新たな活路を開き、その生産を発展させたことは大きな特色です。日本武尊像は、その最も初歩的作品として歴史的画期性を持つものと言えます。
しかしながら、この日本武尊像、金沢では、『顔がでかすぎてバランスが悪い』『前田文化の象徴、兼六園に合っていない』『草薙の剣の形や日本武尊の装束が歴史考証に合わない』などと悪評を買いました。金沢鋳物師から横取りしたような形で、高岡鋳物師が鋳造を請け負ったのですから、金沢で悪く言われるのも仕方のないことかも知れません。一方、高岡近隣の村では兼六園日本武尊像に倣ってミニチュア版も作られました。砺波市栴檀野(せんだんの)城址公園(現存)と福岡町赤丸(あかまる)浅井神社(供出)の日本武尊像がそれです」


銅像の上空を旋回する鳥



さて、銅像の天敵といえばハト。そう、白い糞害でせっかくの銅像の尊顔もトホホな状態になってしまいます。しかし、この日本武尊像は、なぜか糞害に遭わないのです。
その理由を研究し、独創的でユニークな研究などに贈られる「イグ・ノーベル賞」を受賞された方がいます。金沢大学教授の広瀬幸雄氏その人です。
広瀬教授が受賞した研究タイトルは「ハトに嫌われた銅像の化学的考察」というもの。広瀬教授は金沢大学の学生時代、兼六園にある多くの銅像の中で「日本武尊」の像にだけ全くハトが寄りつかなかったことに気づきます。昭和63年から改修のための調査が始まり、平成2年には111年ぶりに高岡に里帰りして着色などの補修が行われたそうです。修理のために銅像が解体されたとき、広瀬教授は銅像の合金の成分にヒ素が大量に含まれていることを突きとめました。この研究は権威ある科学雑誌『ネイチャー』にも掲載され、それが今回の受賞につながったのです。


まことに畏れ多くも、真似をば・・・



ちなみに、解体修理の際、腐食が激しく行政側には撤去止む無しとの意見もあったようですが、金沢の人々の日本武尊像への愛着は強く、市民をあげて保存が望まれたので撤去は回避されたそうです。銅像とは何かを物語る秘話ですが、近年は観光を目的に安易な構想で銅像が適当に建てられています。たかが銅像、されど銅像
やはり、銅像も地元の人々から敬われる存在であって欲しいものです。


神様の真似をするのは緊張します


2018年4月26日 一条真也