シェーンブルン宮殿  

一条真也です。
オーストリアの首都ウィーンに来ています。
10日、ハプスブルク王朝の歴代君主が主に離宮として使用したシェーンブルン宮殿を訪れました。レオポルト1世が狩猟用の別荘として建てたものを、マリア・テレジア離宮として完成させたものです。現在、同宮殿と庭園群は世界遺産に登録されています。


ハプスブルグ家のシンボルである鷲が乗った門柱

バスを降りて・・・

いざ、宮殿へ!

シェーンブルン宮殿


Wikipedia「シェーンブルン宮殿」の「概要」には、こう書かれています。
神聖ローマ皇帝マティアス(在位:1612年―1619年)が狩猟時に美しい(schön)泉(Brunn)を発見したためにシェーンブルンと命名したと伝えられている。シェーンブルン宮殿は、ウィーンの中心部シュテファン大聖堂から西に直線で約5kmの位置にある。市内からは地下鉄U4号線に乗りシェーンブルン駅下車。庭園は東西約1.2km、南北約1kmの規模で、1779年頃から公開されている」


シェーンブルン宮殿にて

馬車がいました

馬車を背に



また、Wikipedia「シェーンブルン宮殿」の「概要」には以下のようにも書かれています。
「建物は、あらゆる部屋を合計すると1441室あり、両翼の端から端まで180mあり、正面右側翼には宮廷劇場がある。また、広いフランス式庭園を挟んで宮殿に向かい合う丘の上にはグロリエッテ(ドイツ語版)という対プロイセン戦の勝利と戦没者の慰霊の為に立てたギリシャ建築の記念碑(未完成)があり、ここからは周囲が一望できる」


前庭のようす

前庭にて

テレジア・イエローを背に



シェーンブルン宮殿は、現在のオーストリアで一番重要な観光資源となっています。年間入場数150万人、さらに公園と動物園や行事での集客数520万人を合計すると年間には670万人が訪れます。外壁は金を塗ろうとしたところ、マリア・テレジアが財政の状況を考慮し、黄金に近い黄色にしています。これを「テレジア・イエロー」といいますが、彼女が好んでいた色というわけではないそうです。


中庭の噴水のオブジェ

中庭のようす

中庭にて



シェーンブルン宮殿には日本庭園があります。
1913年に皇位継承者フランツ・フェルディナント大公が日本訪問から帰国後、オーストリアの庭師たちが1913年のイギリスでの国際庭園展示会で日本庭園を見た感動をもとに、ジャポニズムの影響で造営させたものです。



2018年4月10日 一条真也