大学で何を学ぶか  

一条真也です。東京に来ています。
13日、「サンデー毎日」3月25日号が発売されます。
表紙の写真は、東大の安田講堂。大学合格速報号です。
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第121回のタイトルは、「大学で何を学ぶか」です。
この連載も残すところ、あと2回になりました。


サンデー毎日」2018年3月25日号



大学の合格発表の季節です。「サンデー毎日」も合格発表特集号が1年で最もよく売れるそうです。合格した本人はもちろん嬉しいでしょうが、親御さんの喜びも大きいに違いありません。
他人事ではありません。わたしの次女も、おかげさまで第1志望の東京の私大に合格し、この春から大学生となります。わたし自身も、次女の大学とは違う東京の私大の客員教授に就任することになっています。
改めて、「大学とは何か」と考える機会が多いです。



大学とは、もちろん学ぶ場所です。では、何を学ぶのか。よく言われるのが「リベラルアーツ」です。わたしは、これまで北陸大や九州国際大客員教授として、約10年間、リベラルアーツを教えてきました。
リベラルアーツとはヨーロッパ中世にできた自由七科(文法学、修辞学、論理学、算術、幾何、天文学、音楽)を指します。しかし、哲学者の内田樹氏は、孔子の「六芸」(礼、楽、射、御、書、数)のほうが日本人にとってはリベラルアーツの本旨に近いと、能楽師の安田登氏との対談本『変調「日本の古典」講義』で述べています。



古代中国で士以上の者が修めるべき六つの教科が六芸である。現在の学校教育では、もっぱら書と数(読み書き算盤)ばかりが重視され、最初の四科は主要教科とされていません。内田氏によれば、六芸とは「意を通じ難い他者といかにしてコミュニケーションを成り立たせるか」に尽きるといいます。他者は完全に厄介払いすることもできませんし、完全に受容することもできません。それとどう折り合いをつけるかという実践的な技術が孔子のいう「六芸」なのです。



そして、他者には死者も含まれます。他者のほとんどは死者だとも言えるわけで、死者たちと関わる方法こそがリベラルアーツの本質なのです。
六芸は「礼」から始まります。礼こそ、死者と関わり、他者と関わる技術です。日本の大学教育における「理系」偏重と「文系」軽視の傾向は相変わらずですが、学部を問わず、大学生にはぜひ「礼」を学んでほしいものです。


サンデー毎日」2018年3月25日号



2018年3月13日 一条真也