「シェイプ・オブ・ウォーター 」    

一条真也です。
映画「シェイプ・オブ・ウォーター」を観ました。
ブログ「パシフィック・リム」ブログ「クリムゾン・ピーク」で紹介した映画の監督である鬼才ギレルモ・デル・トロの最新作です。3月5日に発表される第90回アカデミー賞で最多の13部門にノミネートされている話題作です。すでに、第75回ゴールデン・グローブ賞の監督賞&作曲賞を受賞、2017年ベネチア国際映画祭の金獅子賞受賞を受賞しています。


ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。
「『パンズ・ラビリンス』などのギレルモ・デル・トロ監督が異種間の愛を描き、第74回ベネチア国際映画祭で金獅子賞に輝いたファンタジー。米ソ冷戦下のアメリカを舞台に、声を出せない女性が不思議な生き物と心を通わせる。『ハッピー・ゴー・ラッキー』などのサリー・ホーキンスが主演し、『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜』などのオクタヴィア・スペンサー、『扉をたたく人』などのリチャード・ジェンキンス、『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』などのマイケル・シャノンらが共演」



また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。
「1962年、米ソ冷戦時代のアメリカで、政府の極秘研究所の清掃員として働く孤独なイライザ(サリー・ホーキンス)は、同僚のゼルダオクタヴィア・スペンサー)と共に秘密の実験を目撃する。アマゾンで崇められていたという、人間ではない“彼”の特異な姿に心惹かれた彼女は、こっそり“彼”に会いにいくようになる。ところが“彼”は、もうすぐ実験の犠牲になることが決まっており・・・・・・」


映画のオープニングには、水中の部屋が登場します。主人公イライザが暮らすアパートの自室ですが、もともとこの部屋は常に水中にいるような青色で、壁紙には魚の鱗が描かれています。デル・トロによれば、葛飾北斎の浮世絵からイマジネーションを得て、この部屋をデザインしたそうです。
わたしが注目したのは、イライザがバスルームの浴槽の中で自慰に耽るシーンでした。彼女は湯を張ったバスタブの中で自慰をするのが習慣なのです。後に“彼”がイライザの部屋にやってきて、二人はバスタブの中で結ばれます。バスタブがベッドとして描かれているわけで、この映画はもう本質的に「水の世界の物語」なのだという感想を抱きました。


デル・トロといえば、これまで多くの不思議な生き物を作ってきました。「パンズ・ラビリンス」(2006年)のパンや「ヘルボーイ ゴールデン・アーミー」(2008年)の“死の天使”などが代表的ですが、彼はもともとラヴクラフトクトゥルフ神話を愛読し、「フランケンシュタイン」や「吸血鬼ドラキュラ」などの古典的なモンスターに魅せられてきました。彼の住処は「荒涼館」と呼ばれ、そこには古今東西、奇妙奇天烈なモンスターたちが蒐集されています。


「荒涼館」の全貌は『ギレルモ・デル・トロの怪物の館 映画・創作ノート・コレクションの内なる世界』ブリット・サルヴェセン&ジム・シェデン著、阿部清美訳(DU BOOKS)で知ることができますが、デル・トロの怪物への愛情がハンパではないことがよくわかります。これまでデル・トロは多くのモンスターやクリーチャーを創造してきました。その個性的なデザインは、特殊効果の神様レイ・ハリーハウゼンや、デル・トロの師匠でメイクアップ界の巨匠であるディック・スミスの強い影響を受けています。


シェイプ・オブ・ウォーター」のクリーチャーは美しいです。
その目はひたすら優しく、体つきはまるで水泳選手のようです。
「DVD&ブルーレイでーた」3月号に掲載されている来日インタビューによれば、「監督がクリーチャーを描くことにこだわり続ける理由は?」という質問に対して、デル・トロは「人間はガラスのようなものだと思う。僕は子供の頃、すごく変わった子供だった。物静かでスポーツもせず、ずっと映画を観たり本を読んだりしていた。そんな頃、現実世界に壊されたものを映画が金継ぎのように修復してくれたんだ。僕が映画に精神的な発見をさせてもらったことと同じことを僕はやっていきたい。だから欠点が多いクリーチャーを愛し、描き続けていく。そうすれば、人間は誰もが不完全な存在だと気づくことができるんじゃないかな」と語っています。


シェイプ・オブ・ウォーター」のクリーチャーは、アマゾンで神のような扱いを受けてきた両生類です。そのルーツがホラー映画の名作である「大アマゾンの半魚人」(1954年)であることは明らかです。この映画を、デル・トロは6歳のときに観たそうです。そして、デル・トロ少年は、探検隊に殺されてしまう半魚人ギルマンに共感し、「この怪物とヒロインを幸せにしたい」と思ったことが、「シェイプ・オブ・ウォーター」が誕生したきっかけだとか。


シェイプ・オブ・ウォーター」には、デル・トロの映画愛が溢れています。「大アマゾンの半魚人」はもちろん、さまざまな映画へのオマージュが散りばめられています。イライザとクリーチャーのミュージカル・シーンは「雨に唄えば」(1952年)などのミュージカル映画の黄金期を連想させますし。また、イライザの隣人である画家ジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)の人物像は、同性愛者だった「フランケンシュタイン」(1932年)のジェームズ・ホエール監督から構築され、役名は「ラブ&デス」(1997年)でジョン・バートが演じたゲイの作家に倣ったそうです。


往年の名作映画へのオマージュといえば、「砂漠の女王」(1960年)が重要な場面で登場します。イライザが暮らすアパートの階下は映画館となっていますが、そこで上映されている映画が「砂漠の女王」なのです。『旧約聖書』に登場する、ユダヤのボアズと婚してタビデ王の先祖となったモアブの美女ルツの物語です。捕らわれた異教徒の恋人を女性神官が救出する話ですが、捕らわれた“彼”ことクリーチャーをイライザが救い出すストーリーと見事に重なります。


シェイプ・オブ・ウォーター」は、基本的にデル・トロの最高傑作である「パンズ・ラビリンス」と同じ流れにあるファンタジーだと思います。「パンズ・ラビリンス」は、フランコ独裁政権下にある孤独な少女の非合理な夢想を紡いだ内容でした。「シェイプ・オブ・ウォーター」では、その寓話的な世界を冷戦下のアメリカに置き換えています。現実がキナ臭ければキナ臭いほど、幻想は美しくなるといったところでしょうか。


シェイプ・オブ・ウォーター」はマイノリティたちの物語でもあります。口のきけないイライザ、ゲイであるジャイルズ、黒人の同僚ゼルダなど、さまざまなマイノリテイが登場しますが、彼らはみな差別の対象となっています。この映画の舞台である1960年代のアメリカは障がい者や有色人種、ゲイへの偏見が横行していましたが、デル・トロは現在のアメリカも同じような状況にあると考えたのでしょう。差別の対象になっていたイライザやジャイルズが国家権力に立ち向かっていく姿は観客にカタルシスを与えてくれます。
マイノリティといえば、ブログ「グレイテスト・ショーマン」で紹介した現在公開中の映画を忘れることはできません。この映画には「フリークス」と呼ばれる圧倒的な社会的弱者が大量に登場します。人種、性別、体型、その他もろもろの差異をすべて取っ払って、あらゆる人々がサーカスの舞台に上がる光景はまさに「人類の祝祭」でした。


涙は世界で一番小さな海』(三五館)



そして、最大のマイノリティといえば、半魚人のようなクリーチャーにほかなりません。なにしろ、彼は人間ですらないのです。そして、彼は高度な知性を持っているにもかかわらず、実験動物として扱われ、最後は殺処分される運命にありました。このクリーチャーとイライザの「種族を超えた愛」こそが「シェイプ・オブ・ウォーター」のメイン・テーマです。わたしは、この映画を観ながら、拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)の内容を思い出していました。「童話の王様」と呼ばれたアンデルセンは、涙は「世界でいちばん小さな海」だといいました。そして、わたしたちは、自分で小さな海をつくることができます。その小さな海は大きな海につながって、人類の心も深海でつながります。たとえ人類が、宗教や民族や国家によって、その心を分断されていても、いつかは深海において混ざり合うのです。


まさに、その深海からアンデルセンの人魚姫はやって来ました。人類の心のもっとも深いところから人魚姫はやって来ました。
彼女は、人間の王子と結ばれたいと願いますが、その願いはかなわず、水の泡となって消えます。孤独な「人魚姫」のイメージは、サン=テグジュペリの「星の王子さま」へと変わっていきました。王子さまは、いろんな星をめぐりましたが、だれとも友だちになることはできませんでした。でも、本当は王子さまは友だちがほしかったのです。7番目にやって来た地球で出会った「ぼく」と友だちになりたかったのです。


星の王子さまとは何か。それは、異星人です。人間ではありません。人魚も人間ではありません。人間ではない彼らは一生懸命に人間と交わり、分かり合おうとしました。人間とのあいだにゆたかな関係を築こうとしたのです。
それなのに、人間が人間と仲良くできなくてどうするのか。戦争などして、どうするのか。殺し合って、どうするのか。わたしは、心からそう思います。


涙は世界で一番小さな海』では、アンデルセンの『人魚姫』『マッチ売りの少女』、メーテルリンクの『青い鳥』、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、サン=テグジュペリの『星の王子様』を取り上げ、それらのハートフル・ファンタジーがじつは繋がった1つの物語であることを説きました。
アンデルセンメーテルリンク宮沢賢治、サン=テグジュぺリ・・・・ハートフル・ファンタジー作家たちは「死」や「死後」や「再会」を描いて、わたしたちの心の不安をやさしく溶かしてくれます。それと同時に、生きているときによい人間関係をつくることの大切さを説いているように思います。


シェイプ・オブ・ウォーター」に登場するクリーチャーは半魚人です。半魚人には“彼”とは違うもう1つの形態があります。そう、人魚です。
人魚と人間の出会いをテーマにした物語はそれこそ数多くありますが、「シェイプ・オブ・ウォーター」のメッセージとは、別に「半魚人や人魚を愛せ」ということではなく、「マイノリティを愛せ」ということでもなく、ただ、「あなたの身近にいる人を大切にせよ」ということではないでしょうか。
わたしには、そう思えてなりません。



2018年3月4日 一条真也