FB特別インタビュー

一条真也です。
本日は、皇太子殿下の58歳のお誕生日です。心よりお祝い申し上げます。皇太子殿下はちょうど60歳のときに新天皇となられます。
さて、ブログ「WJロングインタビュー」で紹介したように、ブライダル業界のリーディング・マガジンとして知られる「ウェディングジャーナル(WJ)」の2017年12月号にわたしのインタビュー記事が掲載されました。
今度は、フューネラル業界のリーディング・マガジンとして知られる「フューネラルビジネス(FB)」の2018年3月号にインタビュー記事が掲載されました。両方を併せて読んでいただければ、冠婚事業および葬祭事業に対するサンレーのビジョンがおわかりいただけると思います。


FB2018年3月号の表紙



6ページにわたる記事は「特別インタビュー」として「葬祭サービス企業からコミュニティサポート企業へのパラダイムシフト」という大見出しがついています。リード文として、以下のように書かれています。
「1966(昭和41)年創業の冠婚葬祭互助会企業の(株)サンレー代表取締役社長を務める佐久間庸和氏は、『天下布礼』の旗を掲げ、一条真也ペンネームで執筆活動も行なう才人。『葬儀』『結婚式』という人生の二大儀式の重要性を訴えるため、数々の試みを実施。今後は葬祭会館が寺院の役割の一部を担う時代が到来すると説き、葬祭会館のコミュニティセンター化を目指す佐久間社長に今後の進むべき針路について伺った」


FB2018年3月号より



まずは「“葬儀”が重要な儀式であることを再認識すべき」として、以下のように書かれています。
――2030年に1870万人が単身者世帯になるという状況のなかで、今後、葬祭企業はエンディングサポート企業に変わらなければならないと思いますが、どうお考えでしょうか。
【佐久間】葬儀は人間が人間であるためのいちばん重要な儀式です。これを失ったら終わりだと思うのですが、世の中の流れを見ると簡素化の傾向にある。ご存知のように、ネアンデルタール人の時代から人は死を悼むことをしているわけです。お隣の中国、韓国でも葬儀は厳粛に行なわれている。世界中の国をみても、どこも葬儀をしっかりと行なっている。なんで日本だけが葬儀をしなくなったのか。これは葬儀がなぜ必要かということをお客様に伝えきれておらず、単価を上げるとか祭壇を立派にするとか、オプションを付けるとか、商売に走りすぎた反動がきているのではないでしょうか。
――“礼”を失ってはいけないということですね。
【佐久間】おっしゃるように、お客様に対して礼を失っているのではないかと思います。私は「天下布礼」といいまして、人間尊重の思想としての「礼」の重要性を各方面で訴え続けています。葬儀ほど大事なことはありませんから、この仕事に携わっていることに誇りをもたなければならない。商売だけで考えてはいけないと思っています。


インタビュー取材のようす



――業界にも問題があるということですね。
【佐久間】そうですね。それともう1つは親が亡くなっても知人に知らせない方が多い。「身内で済ませました」と。古今東西、親が亡くなって葬儀をしない、周囲に知らせなかったという民族はない。由々しき事態です。
私は孔子を尊敬しているのですが、孔子のあとを継ぐ人物として孟子という方がいます。孟子儒教を大成した人ですが、人の営みには食べたり飲んだり仕事したりと、いろいろなことがあるなかで、この世でいちばん重要なこととして、「親が死んだら葬儀をあげること」だと言っている。これがいちばんの「人の道」だと。儒教は面白いことに人の営みにランキングをつけているのですが、2番が「いい相手を見つけて結婚する」ということ。3番目が「子どもをいっぱいつくる」ということ。
――いまはどれもやっていません。
【佐久間】人の道からはずれていますね。カントの後継者でドイツにヘーゲルという哲学者が普遍思想として「いろいろな思想や考えはあるでしょうが、親が死んだら埋葬するということは人類共通でいいですよね」と述べている。これは孟子が言ったことと同じで、人の道です。人の道というと、仕事をする、税金を納める、子どもの教育をする、親の介護をするとかありますが、親が亡くなったら葬儀をするというのがいちばんなのです。そういった啓蒙活動を、互助会などの業界がやっていく必要があると思います。
昨年、私は『論語』の小学生のための入門書(『みんなで学ぶ はじめての「論語」 しあわせに生きる知恵』三冬社)を出し(2017年7月)、400校以上ある北九州市の市立小学校に寄贈しました。いずれ論語の作文コンクールなどをやろうかと思っていますし、寺子屋のような場所で公開講座もします。それと合わせて『般若心経』も自分の解釈で書きました(『般若心経 自由訳』現代書林、17年8月)。これを老人ホームに寄贈しています。わが社はこういう活動をやっています。「お葬式は大事」ということを浸透させるためのインフラづくりといえますね。


インタビュー取材のようす



――いまこそこういうことが大切なのでしょうね。
【佐久間】倫理ですね。仏教界も問題で、威厳や品格がなくなり、信頼を失ってしまいました。廃寺がふえ、寺院の数が減ってきている。そこで、葬祭会館が寺院の機能の一部を担っていくべきであると考えています。
――寺院の機能を葬祭会館が果たすと。
【佐久間】仏教が日本に入ってきて1500年くらい経っているのですが、寺院は地域のコミュニティセンターの役割を担っていた。機能としては、「学び」と「癒し」と「楽しみ」の3つがあった。
その寺院が減ってきている、そして寺院に足を運ばなくなってきている。そこで、寺院の機能を、私たちの葬祭会館がコミュニティセンターとして変化、進化していけるのではないかと思っております。
また、寺院の機能として1つは葬儀、もう1つは、遺族の悲しみを癒すということがあります。グリーフケアですね。これらの機能はもともと葬祭会館にはあるわけですし、当社もグリーフケアについては重視しています。
いま当社で1級葬祭ディレクターが247人、カウンセラーが105人おり、セレモニーとグリーフケアの専門家の集団をつくってきたと自負しています。



――そういう意味で御社は儀礼サービス産業といえる企業です。
【佐久間】葬儀社も「高い単価で葬儀を行なったらそれで終わり」ではだめ。ビフォアとアフターの2つのサービスが必要だと思う。ビフォアのほうは当社では「隣人祭り」や独居老人を集めていろいろなイベントをやっている。アフターはグリーフケアですね。カウンセラーについては、今後東日本大震災とか熊本地震などの大きな災害があったら現地に派遣しようと思っています。こうしたことを続けていき、「サンレーはこの地域にあったほうがいい、あってくれないと困る」となればいいと思っています。
そして、当社の葬祭会館である「紫雲閣」を社会的インフラの1つにしたい。東日本大震災のとき、インフラが一時ストップした。水が出ない、ガスが使えない、電気が使えない。あのときにいちばん困ったのは水がないということと、火葬場が壊れたこと。いちばん大切な葬儀があげられない、弔いができない。あのとき、全互協でも棺を集めて現地に送りました。すると、棺が来るとみなさん喜んでくださいました。棺がきて喜ぶことなんて普通は考えられない、それだけ葬儀は必要なことだと思った。人間だから棺に納めたい、亡くなった方を癒したいという想いはなくなっていないのだと確認しました。あとで、普通にご遺体があって、普通に葬儀ができることは幸せなことだと日本人は痛感したのではないでしょうか。


FB2018年3月号より



また、「“縁づくり”を仲介し、会葬の必要性を訴求」として、以下のように書かれています。
――直葬がますますふえてくるとどうなってしまうのでしょうか。
【佐久間】ある火葬場で見た光景ですが、80歳くらいのニコニコ笑っているおばあちゃんのご遺影があったのですが、会場には誰もいない。この人は生まれたときにはご両親がいて、兄弟もいただろうし、友だちや仲間、同級生、仕事をしたら仕事仲間がいて、結婚して、子どもがいて、孫もいたかもしれません。数知れぬ多くの人の縁があって生きてきただろうに、なんでこのおばあちゃんが死んで1人も参列者が来ないのかと思った。その次に、その方が亡くなったということをみんな知らないのかなと思いました。ということは、この人は実は最初からこの世にいなかったのと同じことじゃないかとゾッとしたのです。いわば実存的な恐怖です。



――誰も見送らない直葬ですね。
【佐久間】そう考えると家族葬であればまだいいですよね。誰も来ないと、生きた痕跡がない。遺骨も引取り手がいないわけですよ。すると、本当にその人がいた証がなくなってしまう、怖いですよ。
――そういう流れは、少子高齢化社会が急速に進行していますので、ますますそうなりますね。
【佐久間】「家族に迷惑をかけるから私の葬儀はしなくていい」とよく聞きますが、あれは本音ではないでしょう。ただ、生き残った人が面倒というのはあるでしょうが・・・・・・。そこで、当社では1人暮らしの人に友人や知り合いをつくる運動をしているのです。
――個の社会になっているなかで、絆づくりをやられているのですね。
【佐久間】そうです。私どもは「好縁」と呼んでいるのですが、カラオケなど趣味の縁ですね。いまからは血縁と地縁が減ってきたら、お茶の会、お花の会、和歌の会、俳句の会といった好縁をひろげていただきたい。そうすれば参列者も減らずに済むのではないか。


インタビュー取材のようす



――縁をつくるきっかけを与えるというのは、大切なことです。
【佐久間】人間にとっていちばん怖いことは死ですよね。おひとりさまで誰も話し相手がいなくてこのまま死んだらどうなるのだろうと思うことは怖いですよ。人間は古今東西、死がいちばん最後の関門で、死をどう迎えるかがテーマだった。それで宗教が生まれ、哲学や文学が発展してきた。
私は人間が死の不安を減らす方法が2つあると思っている。1つは、長寿祝いをすること。みんなに祝ってもらって、最後は人生を卒業したときに、集まってもらう。もう1つは、他人の葬儀にできるだけ参加することですね。人間いつかは亡くなるということを、寂しいながらにも、これが摂理で自分もいつかは・・・・・・、と思えるようになる。
そして、セレモニー企業のオーナーはビフォアとアフターを勉強しなければいけない。勉強しないで単価の高い葬儀をやっていてはだめですね。
それと葬儀は悪いことではないのに、人が亡くなると「不幸があった」と言う。死なない人がいるとしたら、亡くなった場合は不幸と言ってもいいと思いますが、人は必ず亡くなるのだから、この世に生まれた人は、全員最後は不幸になってしまうことになる。それでは必ず負ける「負け戦」に出るのと同じことです。それはおかしいと思ったので、私は不幸と言わないことにしているし、社員にも徹底させています。



――疑問に思ったのはいつごろですか。
【佐久間】それは中学生くらいです。わたしは世界各国に行っていますが、日本人のように死を不幸だと言っている国はありません。キリスト教文化圏もイスラムも中国も韓国も。悲しいことではありますが、不幸という言葉は使っていないのです。
――なんと言えばいいのですか。
【佐久間】「死」とは、人生を卒業すること、人生の卒業式が葬儀です、と。そして人が亡くなっても「不幸があった」と言わない社会づくりのお手伝いをしたいなと思ってこういう仕事をしている。
――誇りがなかったらできないですね。
【佐久間】自分で卑しい仕事だと思っていて、売上げのためだけにやっていたらそれはさみしい人生ですよ。だって葬儀は本当に価値のある大事な仕事ですから。私はこの世に「賤業」はないと思っているのですが、強いて言えば覚醒剤を売るとか、人身売買などの反社会的な仕事は「賤業」ではないかと思う。「賤業」の反対が「聖業」。葬祭業は一部の社会的偏見があったものが「聖業」に一気に変わる可能性を秘めていると思っています。



――スタッフの人たちはその誇り高い仕事の聖職者だということですね。
【佐久間】葬祭業界には葬祭ディレクターという厚生労働省の認定資格がありますので、当社の社員には取得を奨励しています。
私はドラッカーを信奉しているのですが、ドラッカーはあらゆる産業が知識化すると言っています。知識産業の仕事でどういうものが浮かぶかというと、大学教授、医師、弁護士・・・・・・。そして一流の大学とは何かといったら、大学の立地がいいとか、駅の近くだとか、建物が立派だとかではないですよね。一流の教授がいて、今後一流になる人が勉強しているのが一流の大学。病院も駅前にあるとか、ロビーが大理石ということが一流の病院ではない。一流の医師を揃えているところが一流の病院。法律事務所だってそう。ハードや立地は関係ない、一流の弁護士を揃えているところ。そうなると、葬祭業界というのも、人間が人間に対してする仕事ですから、一流のディレクターを揃えているところがいい葬儀社ということになりますよね。
――なるほど。立派な葬祭会館があるより、優秀な人材がいることが重要になりますね。
【佐久間】そこで当社は1級葬祭ディレクターに合格したら賞状を渡して表彰するのですが、それは自覚をもってほしいとの思いからです。それから宗教のことや医療、法律のことも深く勉強してほしい。さらにカウンセラーの資格取得も奨励しています。加えて、茶道(小笠原家茶道古流)なども熱心にやっています。


FB2018年3月号より



また、「葬儀のインフラ整備が葬祭事業者の務め」として、以下のように書かれています。
――今後さらなる多死化が進むとお墓難民がふえてくると予想されています。何か解決策はございますか。
【佐久間】私も団塊の世代の方が亡くなるときに、その問題は大きくクローズアップされると思っています。団塊の世代は、ひと言で言うと、個性を発揮したい世代で、ビートルズが好きで、ジーンズ履いて、時代を切り開いてきた世代です。そこで、天空葬や月面葬などの新時代の「葬」を団塊の世代に勧めてみようと思っております。それから海洋散骨、樹木葬などを団塊の世代向けに考えていきます。



――先ほど葬祭ディレクターやカウンセラーの資格取得を奨励されているとうかがいましたが、葬祭事業者すべてがそのような方向に向かうと、業界の社会的地位が上がりますね。
【佐久間】社会的地位が上がると、いい人材が入ってきます。私は、互助会や葬儀社の経営者の方は最高の教養人であってほしいと思っています。葬儀ほど教養が必要なことはないわけですね。私は、死生観というのは最高の教養だと思うのです。自分の最期、そしてこういう葬儀をしてほしいというはっきりとしたビジョンをもつことです。それを。葬儀の勉強会・セミナーなどでお客様にも伝えていただきたい。
――葬祭業界がいろいろな啓蒙活動をやるべきですね。なかなかすぐに売上げに結びつかないからやりたがらないでしょうが・・・・・・。
【佐久間】全国の葬祭会館でやったらいいですよね。畑だって耕しているときは1銭にもなりませんからね。『論語』の精神といえますね。インフラづくりが重要です。まさにビフォアとアフターで、グリーフケアをやったりして畑を耕していけば、豊かな作物が育つのではないでしょうか。


インタビュー取材のようす



さらに、「葬祭会館のコミュニティセンター化」として、以下のように書かれています。
――佐久間社長はたくさんの書籍を出されています。
【佐久間】本をたくさん読み、インプットをたくさんしているのでアウトプットもしやすいのでしょう。それとすべては先ほどお話しした、中学生のときに感じた、「人が死んだら不幸になる」という言葉への違和感をどう解消していって、日本人が、人が死んでも不幸になると言わなくなるかという問題意識を常にもっています。



――“葬儀も行なえる施設”という「くさみ三礼庵」(2017年10月開業)について詳しくご説明いただけますか。
【佐久間】日本人は葬祭会館で葬儀をしますが、亡くなってはじめてそこに行くわけです。昔は自宅で葬儀をしていました。ずっと生活していた場所、思い出のある場所から旅立つ。それが普通なんじゃないかと。そこで古民家を買い取って、「三礼庵」としました。この「三礼」とは、小笠原流礼法の「思いやりの心」「うやまいの心」「つつしみの心」という3つの礼の心を表わしています。礼法とは「人間関係の潤滑油」にして「最強の護身術」です。また「もてなし」の気持ちを大切にし、取り組んでいます。「もてなし」とは、わざわざ足を運んでいただいたお客様に、できるだけ満足して帰っていただくための迎える側の心構えです。また、「しつらい」とは。季節や趣向に合わせて、部屋を調度や花などの飾り付けで整えることで、「室礼」とも書きます。そして、「ふるまい」とは、TPOや趣向にふさわしい身のこなしをすることです。古民家ですので和室ですから、そこでお茶やお花などのカルチャー教室のようなことをやっています。日常的に利用していただく施設で、スタッフは和服で応対します。また、紫雲閣と同様に「子ども110番の家」「赤ちゃんの駅」への登録や、常備薬、AEDの設置もしております。今後は映画を上映したり、演劇をやってみたり、コンサートなど、何度も足を運んでいただけるコミュニティセンターという位置づけです。そこで葬儀も行なうわけです。新業態、新ブランドとして地域になくてはならない存在を目指します。



――ところで、北九州の人口動態はいかがですか。
【佐久間】人口は横ばいですね。市長に提言しているのですが、高齢者特区にして、全国の1人暮らしの方を北九州市に集めようということができないかと思っています。それからもうひとつ市に提案し、検討されているのが、介護の支援、ごみ出しや買い物などの生活支援。当社の社員がごみを回収し、買い物の介助をすることができないかと思っています。北九州市の高齢化率は高いのですが、民生委員が少なくて困っています。安否確認などを当社に委託していただければ、うちの営業スタッフを動かします。
――民生委員は、現在はなり手がいないので、大切なことですね。
【佐久間】なぜ民生委員のなり手がいないのかというと、報酬が低いですからね。戦前は天皇陛下の命を受けてやるからたいへんな名誉職だった。戦後になると単なるボランティアになってしまった。
――葬祭事業者は地域密着ですから、うってつけですね。
【佐久間】それに互助会なら、地域の高齢者の所在地をしっかり把握しています。当社ができるとなれば、ほかの互助会にも加わってもらい、それこそ全国をカバーできますからね。そもそも行政が対応できなくなったら、民間の出番なのです。郵便局に対するヤマト運輸、警察に対するセコムなどのケースと同じですよ。


インタビュー取材のようす



そして、「儀式を続けるため人間尊重の精神を広める」として、以下のように書かれています。
【佐久間】たとえ海外旅行に何度も行ったり、リッチな外食ができたりすることで、豊かな生活を送れていると思っている人がいても、親の葬式もしっかりあげられないようでは心が豊かではないと思います。
――何か間違っていますね。なぜ個の社会に収斂されてしまったのでしょうか。
【佐久間】互助会には多くの会員様がいらっしゃいますから、これからは会員様同士を引き合わせて、新しい「縁」や「絆」をつくらなければいけない。それが互助会にとって最大の使命ではないかと思います。先ほどお話しした好縁もそういった一環といえます。
それと人間尊重の精神を広めるため、小学生を集めて模擬披露宴をやっています。昔は小学生の女の子などは「大きくなったら花嫁さんになりたい」と、将来の夢を語っていたものですが、あれは親戚の披露宴に出席して素敵だなと思ったことがきっかけでした。しかし、いまは少子化で披露宴に出席することが少なくなってきている。葬儀も同様だと思うのです。そこで、小学生を集めて摸擬葬儀をやろうと考えているところです。



――葬儀に出たことない小学生は多いでしょうからね。
【佐久間】まさに「こころ」のインフラづくりです。将来、親が亡くなられた際、葬儀を当たり前のようにやっていただければ・・・・・・。
私はいつも言っているのですが、たとえサンレーという企業や互助会業界がなくなったとしても、日本人に結婚式と葬儀だけは続けてほしいと思います。どちらも人間として大切なことですから。そのために今後もいろいろなことにチャレンジして、儀式の重要性を訴えていきます。
――ありがとうございました。



2018年2月23日 一条真也