水は心にもよい(サン=テグジュペリ) 


一条真也です。
今回の名言は、フランスの作家サン=テグジュぺリの言葉です。
飛行機の操縦士だったサン=テグジュペリは、サハラ砂漠に墜落し、水もない状態で何日も砂漠をさまようという極限状態を経験しています。そこから、水が生命の源であることを悟りました。そして、『星の王子さま』に「水は心にもよい」という有名な言葉を登場させたのです。


星の王子さま―オリジナル版

星の王子さま―オリジナル版

わたしは、『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)という本を書きました。
その中で、ブッダ孔子老子ソクラテスモーセ、イエスムハンマド聖徳太子といった偉大な聖人たちを「人類の教師たち」と名づけました。
彼らの生涯や教えを紹介するとともに、八人の共通思想のようなものを示しました。その最大のものは「水を大切にすること」、次が「思いやりを大切にすること」でした。


「思いやり」というのは、他者に心をかけること、つまり、キリスト教の「愛」であり、仏教の「慈悲」であり、儒教の「仁」です。そして、「花には水を、妻には愛を」というコピーがありましたが、水と愛の本質は同じではないかと、わたしは書きました。興味深いことに、思いやりの心とは、実際に水と関係が深いのです。『大漢和辞典』で有名な漢学者の諸橋徹次は、かつて『孔子老子・釈迦三聖会談』(講談社学術文庫)という著書で、孔子老子ブッダの思想を比較したことがあります。
そこで、孔子の「仁」、老子の「慈」、そしてブッダの「慈悲」という三人の最主要道徳は、いずれも草木に関する文字であるという興味深い指摘がなされています。すなわち、ブッダ老子の「慈」とは「玆の心」であり、「玆」は草木の滋(し)げることだし、一方、孔子の「仁」には草木の種子の意味があるというのです。そして、三人の着目した根源がいずれも草木を通じて天地化育の姿にあったのではないかというのです。


孔子・老子・釈迦「三聖会談」 (講談社学術文庫)

孔子・老子・釈迦「三聖会談」 (講談社学術文庫)

儒教の書でありながら道教の香りもする『易経』には、「天地の大徳を生と謂う」の一句があります。物を育む、それが天地の心だというのです。考えてみると、日本語には、やたらと「め」と発音する言葉が多いことに気づきます。愛することを「めずる」といい、物をほどこして人を喜ばせることを「めぐむ」といい、そうして、そういうことがうまくいったときは「めでたい」といい、そのようなことが生じるたびに「めずらしい」と言って喜ぶ。これらはすべて、芽を育てる、育てるようにすることからの言葉ではないかと諸橋徹次は推測しています。そして、「つめていえば、東洋では、育っていく草木の観察から道を体得したのではありますまいか」と述べています。



東洋思想は、「仁」「慈」「慈悲」を重んじました。すなわち、「思いやり」の心を重視したのです。そして、芽を育てることを心がけました。当然ながら、植物の芽を育てるものは水です。思いやりと水の両者は、芽を育てるという共通の役割があるのです。なお、今回のサン=テグジュぺリのエピソードは『涙は世界で一番小さな海』(三五館)にも登場します。


涙は世界で一番小さな海―「幸福」と「死」を考える、大人の童話の読み方

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2018年2月2日 一条真也