一条真也です。
ブログ「西郷隆盛宿陣跡資料館」で紹介した施設の裏には、天孫降臨の神話で語られる天孫ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)の終焉地として伝えられる御陵参考地があります。パワースポットを超えた神話スポットとして人気です。
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ニニギノミコト御陵参考地(北川陵墓参考地)
参考地のご由緒
可愛山陵の説明板
ニニギノミコト御陵参考地は、正式には「北川陵墓参考地」といいます。陵墓参考地とは、古記録・地域伝承・墳丘の形態や規模・出土品などにより、宮内庁によって皇族の墳墓とされたものの、被葬者を特定する資料に欠ける陵墓のことです。2府16県に46箇所が所在。宮崎県延岡市北川町の可愛山陵(えのさんりょう)の麓にある塚は、宮内庁からご陵墓参考地として認定されています。可愛岳の鉾岩をめぐる登山も人気を集めています。
北川陵墓参考地は、アマテラスオオミカミ(天照大神)の孫であるニニギノミコトの陵墓です。ニニギノミコトは、アマテラスオオミカミの命によって葦原の中つ国を統治するため、三種の神器ととも高天原から日向の高千穂峰に天降ったとされます。コノハナサクヤヒメ(木花開耶姫)を妻とし、「海幸山幸)」の説話に登場する山幸彦として知られるヒコホホデミノミコト(彦火火出見尊)を生みましたが、一緒に奉られた姉のイワナガヒメ(磐長姫)は醜かったので嫌って妻にしませんでした。
まことに畏れ多くも、真似をば・・・
神様を真似るのは生まれて初めてです!
すると、姉妹の父であるオオヤマツミ(大山祇神)が激怒して、「イワナガヒメをお召しになれば、生まれてくる御子の命は岩のように永遠のものとなる。コノハナサクヤヒメをお召しになれば、生まれてくる御子の命は、花が咲きやがて散るように、限りあるものとなるだろう」と呪いをかけました。そのため、代々の天皇の寿命が、岩のように永久ではなく、花のように短くなるようになってしまったといいます。
参考地には白い門があって、そこから先は立ち入り禁止でした。
わたしは、門の外から瓊瓊杵尊をお参りいたしました。
お参りを終えると、なんだか清々しい気分になりました。
すると、帰りの列車の中で、サンガの編集者である川島栄作さんからメールが届きました。なんと、台湾の出版社から『唯葬論』(サンガ文庫)を中国語で翻訳出版させてほしいという問い合わせがあったというのです。いやあ、嬉しいですね。わたしの本は3冊がハングル語版になっていますが、中国語版は初めてです。しかも、「美しき礼の島」である台湾で出版されるかもしれないとは! やはり墓参をすると良いことがあります。
ニニギノミコト様、ありがとうございます!
2018年1月11日 一条真也拝