本と映画とグリーフケア

一条真也です。東京に来ています。
21日の朝は気温7度以下の寒さでした。
その日は早朝から議員会館で国会議員の先生方との朝食会、その後は西新橋で互助会保証の取締役会の事前打ち合わせ、全互協の正副会長会議と委員長会議に出席。そして、夜は客員教授を務める上智大学グリーフケア研究所で講義を行いました。この日は「朝日新聞」の取材が入りました。夜空には幻想的な月が輝いていました。

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早朝の東京

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上智大学を照らす月

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もうすぐクリスマス!

f:id:shins2m:20181121175806j:plain上智大学の正門前で

f:id:shins2m:20181121180409j:plain講義を行った6号館の外観

f:id:shins2m:20181121180847j:plain6号館の中で

 

先週、ブログ「グリーフケアと葬儀」で紹介した講義に続いての講義となります。テーマは「グリーフケアと読書・映画鑑賞」でした。当初は「グリーフケアと読書」の予定でしたが、島薗所長と鎌田副所長からブログ「上智大『グリーフケア映画』講義」で紹介した昨年の特別講義が非常に良かったので、「ぜひ今年もお願いしたい」というリクエストがあり、急遽、「読書」に「映画鑑賞」を追加した次第です。

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なんとかパワポを操作しました

 

2010年6月、わが社では念願であったグリーフケア・サポートのための自助グループを立ち上げました。愛する人を亡くされた、ご遺族の方々のための会です。月光を慈悲のシンボルととらえ、「月あかりの会」という名前にしました。同会で行っている読書会や映画鑑賞会の実例などについて話しました。事前に再生OKだった動画が再生できず焦りましたが、上智大で随一のIT通の学生さんに助けられて、なんとかパワポを操作しました。


なぜ、読書が悲しみを癒すのか?

 

まずは読書ですが、もともと読書という行為そのものにグリーフケアの機能があります。たとえば、わが子を失う悲しみについて、教育思想家の森信三は「地上における最大最深の悲痛事と言ってよいであろう」と述べています。じつは、彼自身も愛する子供を失った経験があるのですが、その深い悲しみの底から読書によって立ち直ったそうです。本を読めば、この地上には、わが子に先立たれた親がいかに多いかを知ります。自分が1人の子供を亡くしたのであれば、世間には何人もの子供を失った人がいることも知ります。これまでは自分こそこの世における最大の悲劇の主人公だと考えていても、読書によってそれが誤りであったことを悟るのです。

f:id:shins2m:20181121184400j:plain死が怖くなくなる読書』に沿って本を紹介

 

長い人類の歴史の中で死ななかった人間はいません。愛する人を亡くした人間も無数に存在します。その歴然とした事実を教えてくれる本というものがあります。それは宗教書かもしれませんし、童話かもしれません。いずれにせよ、その本を読めば、「おそれ」も「悲しみ」も消えてゆくでしょう。わたしは、そんな本を『死が怖くなくなる読書』(現代書林)で紹介しました。同書で紹介した50冊の本についても講義で1冊づつ紹介し、最新のおススメ本にも言及しました。 


「ハートフル・ファンタジー」とは何か 

 

さらに、わたしはグリーフケアに絶大な力を発揮する「ハートフル・ファンタジー」について話しました。わたしは、かつて『涙は世界で一番小さな海』(三五館)という本を書きました。そこで、『人魚姫』『マッチ売りの少女』『青い鳥』『銀河鉄道の夜』『星の王子さま』の5つの物語は、じつは1つにつながっていたと述べました。ファンタジーの世界にアンデルセンは初めて「死」を持ち込みました。メーテルリンクや賢治は「死後」を持ち込みました。そして、サン=テグジュペリは死後の「再会」を持ち込んだのです。


涙は世界で一番小さな海』(三五館)

 

一度でも関係をもち、つながった人間同士は、たとえ死が2人を分かつことがあろうとも、必ず再会できるのだという希望が、そして祈りが、5つの物語には込められています。「死」を説明するために、人は「医学」や「哲学」や「宗教」を頼りにしますが、他にも「物語」という方法があるのです。いや、物語こそが死の本質を語れるのかもしれません。


死が怖くなくなる読書』(現代書林)


死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

 

「読書」の次は「映画鑑賞」です。『死を乗り越える映画ガイド』をテキストとしましたが、同書のテーマは、そのものズバリ「映画で死を乗り越える」です。わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみましょう。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を封印する芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。


写真と映画の相違について

 

それは、わが子の運動会を必死でデジタルビデオで撮影する親たちの姿を見てもよくわかります。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのでしょう。


映画とは何か?

 

そして、時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないでしょうか。『唯葬論』(サンガ文庫)でも述べたように、わたしは、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思っています。そう、映画を観れば、わたしは大好きなヴィヴィアン・リーオードリー・ヘップバーングレース・ケリーにだって、三船敏郎高倉健菅原文太にだって会えるのです。


映画は総合芸術

 

古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説がありますが、洞窟も映画館も暗闇の世界です。暗闇の世界の中に入っていくためにはオープニング・ロゴという儀式、そして暗闇から出て現実世界に戻るにはエンドロールという儀式が必要とされるのかもしれません。そして、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。


映画館という「洞窟」の内部

 

闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかならないのです。つまり、映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得るのですが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているのでした。

 

 

 

 

 

 

その後は、個別の映画作品について語りました。
死を乗り越える映画ガイド』の章立てをもとに5つのテーマに分け、1「死を想う」では「サウルの息子」を、2「死者を見つめる」では「おみおくりの作法」と「おくりびと」を、3「悲しみを癒す」では「岸辺の旅」を、4「死を語る」では「エンディングノート」を、5「生きる力を得る」では「リメンバー・ミー」を取り上げました。


一条真也の読書館」TOPページ

一条真也の映画館」TOPページ

 

グリーフケア」にしろ、「修活(終活)」にしろ、一番重要なのは、死生観を持つことだと思います。死なない人はいませんし、死は万人に訪れるものですから、死の不安を乗り越え、死を穏やかに迎えられる死生観を持つことが大事だと思います。一般の方が、そのような死生観を持てるようにするには、読書と映画鑑賞が最適だと思います。本にしろ、映画にしろ、何もインプットせずに、自分1人の考えで死のことをあれこれ考えても、必ず悪い方向に行ってしまいます。ですから、死の不安を乗り越えるには、読書で死と向き合った過去の先人たちの言葉に触れたり、映画鑑賞で死に往く人の人生をシミュレーションすることが良いと思います。 この日は、そんなことを話しました。

 

過去のすべての講義を振り返っても、この日は受講生の方々の反応を最大級に感じました。多くの質問をお受けしましたし、最後はこれまでにない大きな拍手も受けて感動しました。講義後は、近くのレストランで「朝日新聞」の取材を受けました。記者の方にもお話しましたが、グリーフケアの研究と実践はわたしの天命だと思っています。これからも全身全霊で、この道を歩んで行く覚悟です。すべての愛する人を亡くした人に幸あれ!

 

愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙

愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙

 

 

2018年11月22日 一条真也