誠実な人間に真の勇者が多い(加藤清正)

 

今回の名言は、戦国武将の加藤清正の言葉です。
清正は、「誠」というものを非常に重んじた人でした。
誠とは何か。四書のひとつである『中庸』には、「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」と説かれています。誠とは、天が定めた道なのです。
ですから、誠を身に備えることは、人としてのあるべき道だと言えるでしょう。

戦国人物伝 加藤清正 (コミック版日本の歴史)

戦国人物伝 加藤清正 (コミック版日本の歴史)



誠という字は「言」と「成」からできています。何かを志し、それを述べることを「言」といい、それを行なうことを「成」といいます。述べて行なわなければ誠ではありません。中国でも日本でも同じです。誠の道はこれによって向上するものであり、達すると誠の極みで、これを「至誠」と言うのです。人が誠に至れば神と感応し、万事ことごとくうまくいきます。吉田松陰は、「至誠」を座右の銘としました。

中庸 (講談社学術文庫)

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加藤清正は、誠の人でした。文禄四(1595)年に京都で大地震があり、秀吉の伏見城も壊れて、多くの死者も出ました。このとき、清正は秀吉の勘気を受け謹慎の身でありましたが、「たとえ後で罪を得ても座視しているわけにはいかない」と、ただちに家来を引き連れてかけつけ、秀吉の警護に当たりました。その誠実な働きには秀吉も感激し、怒りもとけて、再び重用されるようになったのです。


清正はその晩年に、「自分は一生のあいだ、人物の判断に心を尽くし、人相まで勉強した。でも、結局はよくわからなかった。ただ言えるのは、誠実な人間に真の勇者が多いということだ」と言ったそうです。これは彼自身が多くの部下を用いた経験上での結論でしょうが、同時に自分自身がまた、誠実を通した人でもあったのです。

 

秀吉の死後、天下の人心がみな家康になびく中で、清正は秀頼を守り続けました。
二条城での家康と秀頼の会見にも命がけで付き添っていくなど、終生、秀吉の恩顧を忘れず、ひたすら豊臣家の安泰のために尽くしたのです。その誠忠ぶりには、さすがの家康も感嘆を惜しまなかったといいます。

 

松下幸之助は、この清正の生き様について、「結局、誠実な人はありのままの自分というものをいつもさらけだしているから、心にやましいところがないのだ」と評価しています。さらに松下幸之助は「事業でも政治でも、指導者はつねに誠心誠意ということを心がけなくてはならない」と述べています。

 

すべてのビジネスにおいて、「顧客の創造」というものが非常に重要である。そして、創造された顧客に対しては徹底的に「誠実」であるしかありません。それは、とりもなおさず、顧客の期待どおりの、あるいは期待を上回る商品やサービスを提供することに他なりません。それが、経営者であるわたしにとっての「誠」だと思っています。
なお、今回の清正の名言は『龍馬とカエサル』(三五館)にも登場します。

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

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2018年11月20日 一条真也