「半分、青い。」の最終回を観て

一条真也です。
29日、台風24号が沖縄に接近しました。
沖縄県内が大停電するなど被害が大きいようで、大変心配しています。
ところで、今朝はNHKで台風関連のニュースを見ていたら、その流れで連続テレビ小説(朝ドラ)の「半分、青い。」の最終回を観ました。

f:id:shins2m:20180929174026j:plainNHKオンライン」より


ブログ「ひよっこ」で紹介した作品以来、朝ドラは観ていなかったのですが、「半分、青い。」は視聴率も好調で、SNSでも盛り上がったとか。わたしも「あらすじ」ぐらいはネットを通して知っていましたが、初めて観た最終回では鈴愛(永野芽郁)と律(佐藤健)がお互いの気持ちを伝え合い、それから抱き合う感動的なシーンがありました。詳しい経緯を知らなくても、ハッピー・エンドに心が温かくなりました。

f:id:shins2m:20180929081141j:plainNHK「半分、青い。」より


半分、青い。」は、楡野鈴愛という左耳が聞こえない女性の物語です。
彼女が生まれた1971年から40年後の2011年までが描かれています。
2011年7月7日、鈴愛と律の誕生日に2人が開発した扇風機「そよ風ファン」の発売決定記念パーティーがつくし食堂で催されます。鈴愛の同級生である新聞記者からの取材で「そよ風ファン」制作のきっかけについて聞かれた鈴愛は、パーティの準備に勤しむ母の晴(松雪泰子)の横顔を見て、「そよ風ファン」の商品名を「マザー」と改めることを律に提案します。

f:id:shins2m:20180929080738j:plainNHK「半分、青い。」より


律も賛成して「マザー」と改名された新型扇風機はついに発表されたのでした。その発売決定記念パーティーでマイクを握った律は、亡くなった人たちの名前をあげて「マザーの風を感じてほしかった」と言います。律からマイクを渡された鈴愛は「ここにいる人たちと、ここにいない人たちのために・・・」と言いますが、それを聞いていた鈴愛の母・晴は「みんな、おるよ。亡くなった人たちも、みんなここにおるよ」と言うのでした。わたしは、その言葉を聞いて、とても感動しました。

f:id:shins2m:20180929080813j:plainNHK「半分、青い。」より


そして最近、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生とメールでやりとりした内容を思い出しました。じつは先月開催された儀式文化についてのシンポジウムで、ある宗教学者が「儀礼とは集団に帰属するものである。無縁社会で、あらゆる共同体が崩壊しつつある状況の中で、冠婚葬祭の存続も厳しいと言える」といった発言をしました。その発言に違和感を抱いたわたしは、その人は宗教学者ではなく社会学者ではないかと思いました。というのも、たしかに儀礼や儀式は集団に属するものでしょうが、同時に個人に属するものと考えるからです。心理学者の河合隼雄先生は「人間の心に水路を作るのが儀式の役割」と言い、鎌田先生のように儀式を「身心変容のワザ」と見る方もおられます。


わたしは、鎌田先生に対して、以下のようなメールを送りました。
無人島に2人だけ取り残された男女が結婚式を挙げる・・・。地球最後の人間が、愛する人を亡くしたとき、葬儀を行う・・・。そこには集団としての世間ではなく、神や仏への視線があります。冠婚葬祭は『世俗性』だけでなく、『宗教性』を伴うもの。無縁社会による共同体の衰退、聖職者のオーラの消滅・・・『世俗』と『宗教』への逆風というダブルパンチで、冠婚葬祭が軽視されている。つまりは、そういうことなのではないでしょうか。冠婚葬祭の再生には『俗』と『聖』の両面からのアプローチが必要ですね」


そのメールを読まれた鎌田先生から返信が届き、そこには「究極の2件、心に沁みます。仮に一人であっても、そこに死者や神々や諸霊がいるかぎり、その儀式・儀礼は集団です。可視的には一人でも、不可視的には複数です」と書かれていました。
そう、儀式や儀礼を目に見える(生きている)人間たちだけのためのものととらえるのは、あまりにも視野が狭く、見識が低いと言えます。儀式が行われる場には、目に見えないサムシング・グレートや死者たちもいるのです。「マザー」の発売決定を記念するセレモニーの場にも、鈴愛や律に縁のある死者たちがいたのです。「半分、青い。」の最終回を観て、そんな大切なことに気づかされました。

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)


文明の発展は、科学技術の発明と深く関わっています。
拙著『唯葬論』(サンガ文庫)にも書きましたが、わたしは人類のすべての文明や文化の根底には「死者への想い」があり、また死者のサポートがあったのではないかと推測しています。芸術でいえば音楽や絵画の発生にも、科学技術でいえば写真や映画といったメディアの発明にも、そのような秘密があったのではないかと思います。「マザー」という新型扇風機も、今は亡き愛する人たちへの想いから、またそれらの死者たちに支えられて開発されたのかもしれませんね。
ともあれ、早く沖縄に「全部、青い。」空が戻りますように・・・・・・。


2018年9月29日 一条真也