葬祭責任者会議  

一条真也です。
ブログ「『人生の修め方』講演」で紹介したイベントが終了すると、わたしは迎えの車に乗ってサンレー本社へと急ぎました。7日の午後から、 サンレーグループの葬祭責任者会議が行われたのです。師走で慌ただしい中、各地から「おくりびと」ならぬ、わが社の「きわめびと」たちが集結しました。


社長訓話前の一同礼!

サンレーグループ国葬祭責任者会議のようす



わたしは、16時半から、いつものように60分ほどの社長訓話をしました。
まずは、最近取材が殺到している「くさみ三礼庵」について話しました。紫雲閣とは別ブランドの古民家を改装した施設で、「三礼」とは「慎みの心」「敬いの心」「思いやりの心」という小笠原流礼法における3つの「礼」を意味しています。「くさみ三礼庵」に続いて、来年早々には別府に「三礼庵」がオープンします。「三礼庵」は「葬儀だけを行う」セレモニーホールではなく、「葬儀も行う」コミュニティハウス」です。普段は茶道教室や華道教室などを開き、葬儀のときにはスタッフが着物姿で抹茶をたて、生け花を飾ります。「三礼庵」は、これまでにない新業態なのです。もともと葬儀などの冠婚葬祭こそは日本文化の集大成ですが、そのことを広く示していきたいです。


三礼庵」について話しました



わが社は「セレモニーホールからコミュニティセンターへ」をスローガンに掲げています。従来の「葬儀をする施設」から「葬儀もする施設」への転換を目指しているのです。たとえば、各地の紫雲閣を「子ども110番の家」「赤ちゃんの駅」に登録したり、常備薬やAEDを設置したりしています。さらには、映画、演劇、音楽コンサートなども上演できる地域の文化の殿堂化をめざします。サンレーの本社のある北九州市は日本一の超高齢都市として知られています。その中には、「八幡紫雲閣」がある八幡東区の大蔵のように坂道が多い街もあります。そこには多くの高齢者が住んでおられ、日々の買い物やゴミ出しにも苦労をしておられます。こういった問題を解決する「買い物支援」「ゴミ出し支援」にも積極的に取り組みます。これらの取り組みは、「日本経済新聞」や「日経MJ」などでも紹介されました。


セレモニーホールからコミュニティセンターへ!



セレモニーホールをコミュニティセンターに進化させるというのは、ある意味で「紫雲閣の寺院化」とうことでもあります。かつての寺院は、葬儀が行われる舞台でありながらも、近隣住民のコミュニティセンター、カルチャーセンターでもありました。仏教伝来以来1500年ものあいだ、日本の寺院は生活文化における3つの機能を持っていました。「学び・癒し・楽しみ」です。「セレモニーホールからコミュニティセンターへ」というスローガンは、ある意味で寺院の本来の機能を蘇えらせる「お寺ルネッサンス」でもあるのです。そこでは、グリーフケアという「癒し」の機能を最重視します。思い起こせば、わが社は、2004年に高齢者複合施設「サンレーグランドホテル」を北九州市八幡西区に作りました。セレモニーホールと高齢者用のカルチャーセンターなどが合体した前代未聞の施設として大きな話題になりました。今では、「盆踊り」や「観月会」などの年中行事の舞台でもあります。


天皇陛下について



それから、わたしは「ここのところ毎日、天皇陛下と大相撲について考えています」と述べました。まずは「天皇制」について。1日に開催された皇室会議では、天皇陛下が2019年4月30日に退位される日程が固まりました。平成は再来年の4月末で終わります。翌5月1日から改元となります。じつに200年ぶりの天皇の退位となりますが、安倍晋三首相は会議を踏まえ「天皇陛下のご退位と皇太子殿下のご即位が国民の祝福の中でつつがなく行われるよう全力を尽くしていく」との談話を発表しました。政府は退位や即位の儀式のほか、新元号制定に関する準備を本格化します。


天皇陛下は神話的存在である!



わたしは、人間は神話と儀式を必要としていると考えています。
社会と人生が合理性のみになったら、人間の心は悲鳴を上げてしまうでしょう。そして、天皇陛下ほど「神話」と「儀式」をその存在で体現されている方はおられません。まず、天皇陛下は神話的存在です。日本人のアイデンティティの根拠は、神話と歴史がつながっていることです。神話により日本人は、現在の天皇家の祖先が天照大神につながることを知っています。『日本書紀』の一書によれば、天照大神は天を支配し、月読尊が海を支配し、須佐之男命が地を支配したことも知られています。天照大神はいまも伊勢神宮に祀られており、その子孫が皇室です。


天皇陛下は儀式的存在である!



また、天皇陛下は儀式的存在です。代々の天皇陛下は、自ら稲を栽培され、収穫が終わると新嘗祭神嘗祭で、今年の収穫のご報告をされます。新嘗は、新しくできた米を嘗(な)めるお祭。神嘗は、神々が新穀を嘗(な)めるお祭りです。天皇陛下が即位後初めて行う新嘗祭だけは、「大嘗祭(だいじょうさい)」と呼び、その儀式は遠く神代の昔から毎年続いています。ちなみに、伊勢神宮の20年に1度の式年遷宮は、20年に1度の周期で行う大神嘗(かんなめ)祭でもあるのです。まさに天皇陛下とは儀式的存在です。一連の皇位継承儀式によって、日本人が儀式の大切さを再確認することを切に願います。皇室儀礼には冠婚葬祭の未来がかかっています。


大相撲について吼えました



次は「大相撲」についてです。国技である大相撲が激震しています。九州場所の終了後、横綱日馬富士貴ノ岩への暴行事件の責任を取って引退を表明しました。しかしながら、わたしは、先の九州場所で40回目の優勝を果たした横綱白鵬も引退すべきと思います。
わたしは、白鵬ほど横綱にふさわしくない下品な力士はいないと思います。日馬富士暴行事件の現場に居合わせたこと、九州場所で1分半にわたって行司の判定に抗議をしたこと、優勝インタビューで暴行事件の当事者であるにもかかわらず「日馬富士関、貴ノ岩関を再び土俵に上げてあげたい」と発言したこと、その後あろうことか観客を巻き込んで万歳三唱をしたこと、そして全力士の前で「貴乃花親方を巡業部長から外してほしい」などと八角理事長に直訴したこと・・・すべてが礼儀と礼節を欠く行為です。


礼をしない横綱は言語道断!



日馬富士が引退会見で発言した「礼儀と礼節を大切にして生きてほしい」という貴ノ岩へのメッセージは、むしろ白鵬にこそ送られるべきでしょう。
特に問題なのが、九州場所11日目の22日、結びの一番で初黒星を喫した後、土俵下で右手を挙げて勝負審判に立ち合い不成立をアピールし、約1分半、勝負後の礼をしない前代未聞の振る舞いをしたことです。
長い大相撲の歴史でも、横綱の品格が最も損なわれた瞬間でした。相撲の原則は「礼に始まり礼に終わる」であり、礼をしないで横綱が土俵を下りるなど言語道断です。


懇親会で挨拶する佐久間会長

わたしも懇親会で挨拶しました

懇親会でカンパ〜イ!



大相撲は単なる格闘技ではありません。勝っても負けても相手に敬意を示す。白鵬は、対戦相手のみならず、土俵上の神にも礼をしなかったのです。 そもそも「横綱」とは、横綱だけが腰に締めることを許される綱の名称です。その綱は神社に飾る「注連縄」のことであり、そこには御幣が下がっています。つまり、横綱とは神聖な存在なのです。そのことを理解しない力士は横綱ではありません。わたしが「サンレーグループは、総力をあげて貴乃花親方を応援しよう!」と言うと、みんな「おう!」と雄叫びを上げました。大相撲の行方も冠婚葬祭の未来がかかっています。そう、冠婚葬祭とは日本人の「こころ」と「かたち」そのものなのです。なお、社長訓話後は、サンレー本社から松柏園ホテルに移動して、懇親会が開催されました。



2017年12月8日 一条真也