小倉から小笠原流を広める  

一条真也です。
21日、「サンデー毎日」2017年12月3日号が発売されます。
今週号の表紙の人物は、デビュー50周年を迎えた歌手の和田アキ子さん。わたしは、「あの鐘を鳴らすのはあなた」をよくカラオケで歌います。
さて、わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。第106回のタイトルは、「小倉から小笠原流を広める」です。


サンデー毎日」2017年12月3日号



父である佐久間進が新刊『礼道の「かたち」』(PHP研究所)を上梓しました。父は、わたしが社長を務める冠婚葬祭会社の会長であると同時に、礼法家でもあります。小笠原流礼法糾方的伝総師範にして、実践礼道小笠原流宗匠を名乗っています。父が礼法の師範であったことから、小笠原家ゆかりの小倉生まれのわたしは幼少期より小笠原流礼法第32代宗家の小笠原忠統先生に師事、後に免許皆伝を許されました。



小笠原流礼法の歴史は鎌倉時代にまでさかのぼり、武家作法として始まり、発展していきました。小笠原家では、弓馬の法を代々嫡子に伝えましたが、室町時代の7代貞宗のときに礼法が加えられ、弓・馬・礼の三法をもって小笠原の現代へとつながる伝統の基盤ができあがったのです。



貞宗南北朝時代後醍醐天皇に仕え、「小笠原は日本武士の定式たるべし」という御手判を賜り、併せて家紋として「王」の字の紋を賜りましたが、これが小笠原家の三階菱です。
また、18代の貞慶は、「三議一統」後に加えられた記述をし、武家礼法を「小笠原礼書七冊」としてまとめました。



貞慶の子である秀政は、大坂夏の陣にて長男と共に戦死しますが、次男の忠真がその功により、松本から播州明石11万石を経て、豊前小倉15万石の領主となりました。ここに小倉の地と小笠原家との深い縁が始まります。
小笠原流礼法は一日にして成ったものではありません。連綿とした歴史の流れの中で形づくられ、今日まで伝えられてきたものです。それは、多くの人々がその合理性を認めていたからではないでしょうか。



現代社会においても、人と人とのコミュニケーションを円滑に進めるためには「礼儀作法・マナー」は大切な心得となります。人々の「こころ」を「かたち」に表した礼儀作法は、わたしたち日本人の大切な文化のひとつです。この素晴らしい文化を絶やすことなく後世に伝えていくため、わたしは今後も小倉の地で小笠原流を広めていきたいと思います。


礼道の「かたち」

礼道の「かたち」


サンデー毎日」2017年12月3日号



2017年11月21日 一条真也