『証言UWF』   

証言UWF 最後の真実


一条真也です。
『証言UWF』前田日明藤原喜明山崎一夫船木誠勝鈴木みのる他著(宝島社)を読みました。「最後の真実」というサブタイトルがついており、新間寿が1984年3月に創立、85年9月に活動休止した第1次UWF(ユニバーサル・レスリング連盟)、そして前田日明が88年5月に旗揚げし、90年12月に崩壊した新生UWFに所属、関係したレスラーおよび関係者による証言集です。ブログ『1984年のUWF』で紹介した本への対抗本のようなスタイルになっています。ものすごく面白いので、プロレス・ファンの方はぜひ、お買い求めの上、ご一読下さい! 


本書の帯



本書のカバー表紙には前田日明佐山聡が向かい合って語り合う写真が使われ、赤い帯には「17人のレスラー、関係者による禁断の告白!」「プロレスと格闘技の間を漂流し続けた男たちの葛藤、内紛・・・・・・全内幕!」「『1984年のUWF』への前田日明の反論」と書かれています。


本書の帯の裏



本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに」
第1章 「前田日明」の苦悩と怒り
前田日明
「メシが食えるのなら、間違いなく佐山さんの言う通りにやった」

第2章 「U」創成期の真実
更級四郎、杉山頴男ターザン山本
3人の“黒幕”が語る「UWFと『週刊プロレス』」全内幕

第3章 「U」に賭けた男たち
藤原喜明
組長が語る「天才・佐山聡」の功罪と「メガネスーパー
山崎一夫
「前田さんの“暴言"をフロント陣はこっそり録音していた」

第4章「U」に翻弄された男たち
新間寿
「猪木、タイガー、ホーガン」招聘計画はどこで狂ったのか
上井文彦
「『海外UWF』と書かれた水色の給料袋を忘れたことがない」

第5章 「新弟子」たちの叫び
中野巽耀
「前田さんは力任せ、スパーリングで一番だったのは高田延彦
宮戸優光
「前田さんと若手の分断を画策していた神社長が許せなかった」
安生洋二
「前田さんが宮戸さんを『新弟子』と呼び続けたことがすべて」

第6章 「新生」を生き抜いた男たち
船木誠勝
「『なんでやっちゃわないんだ?』と言われたが、できなかった」
鈴木みのる
「前田さんへの確執はあったが存続させるためにウソをついた」
田村潔司
「選手全員が神社長から興行の売り上げデータを見せられている」
垣原賢人
「道場の練習をそのまま出してはいけないのか?」という葛藤

第7章 「崩壊」の目撃者たち
川崎浩市
「前田さんには伝えず、神社長は自分の給料を上げ続けていた」
尾崎允実
「“解散宣言"直後に前田は涙声で『俺、どうしたらええんやろ』」
1983−1991 History of「UWF」


これだけのレスラーや関係者の証言を集めたのは圧巻です。
まあ、佐山聡と髙田延彦の証言がないのが残念ではありますが・・・・・・。
「はじめに」には、以下のように書かれています。
「UWFが現在も語られる最大の理由は、そのプロレススタイルにある。
『打撃に始まり、組み合い、投げ、極める』――。
佐山聡は、プロレス団体であるUWFを格闘技団体に変貌させようとしていた。その過程で生まれたのが『シューティングプロレス』といわれる格闘技色の濃いプロレスだった。
『ロープに振らない』『場外乱闘がない』『凶器攻撃も流血もない』
キックと関節技を主体としたUWFの試合は、それまでのプロレスとは異質なものだった。既成のプロレスを否定するかのようなスタイルは、“真剣勝負”“格闘技”という『幻想』をファンに抱かせることで伝説化した。そして2017年現在、日本の格闘技界を俯瞰して言えることは、UWFという“プロレス団体”が日本の格闘技の創成において、非常に重要な役割を果たしていたという事実だ」


17人もいれば、いろいろな発言が飛び出します。
中には互いに矛盾した発言をする者もいます。それぞれが正直に述べてはいるのでしょうが、芥川龍之介の『藪の中』のように、人間の記憶というのは都合の良いように変わります。実際、本書が刊行された後で、「KAMINOGEvol.67」において、前田日明は更級四郎をはじめとした人の発言がデタラメであると言い、船木誠勝安生洋二は、山崎一夫の発言に疑義を唱えています。本書の「はじめに」の最後には「同じ事象、出来事、事件に関する見解・評価は人それぞれだ。その“ズレ”から滲み出る『真実』をぜひ読み取ってほしい」と書かれていますが、たしかに何が真実かを読者が判断しなければなりません。


細かい話を追ってはキリがないので、まずは各選手の「強さ」に関する発言をピックアップしたいと思います。たとえば、前田日明佐山聡の実力について語っています。
「1つ言えることは、佐山さんのガチンコの実力ですよ。当時はもうだいぶ落ちちゃってたもんね。スパーリングでも3日やらなかったら感覚がだいぶ落ちるんだけど、あの人は全然やってなかったし、正直言ってユニバーサルに入った頃から俺は負ける気がしなかったから。真剣勝負うんぬんについても『どこまで本気で言っているのかな?』という部分もあったんですよ」
その前田の実力について、中野巽耀はこう語っています。
「前田さんの場合、力任せなんだよ。あの身体があるから、小さい相手には力任せでも極まるけど、本当のやり方じゃない。力任せにやってよく相手をケガさせてたから、藤原さんが前田さんのこと怒ってたもんな。『お前はヘタクソで、力任せにやるからみんなケガするんだ。技術で極めなくちゃダメなんだ』とね。そういう意味でも、スパーリングでは高田延彦が一番だった」


藤原喜明はUWFについて、「UWF? あれは、新日本プロレスの道場にあったものだよ」「UWFのレスラーというのは、みんなあの道場で(カール・)ゴッチさんに習った連中だからな。あそこでやってた練習をお客さんの前でやったのがUWFだよ」と語っています。
1970年代から80年代の新日の道場では、関節を取り合うスパーリングが欠かせませんでした。そこで誰よりも深く関節技にのめり込み、道場で無敵の強さを誇ったのが藤原でした。佐山や前田の実力に疑問を示しても、藤原の実力を疑う者は皆無だと言えます。


じつは、当時は早稲田の学生だったわたしも、このイベントに参加していました。「藤原組がやってくる!」というイベント名で、藤原、佐山、前田、高田、山崎の5人が出演しました。わたしは会場となった教室の最前列に座っていたのですが、くだんの佐山がしゃべり続けた場面もよく記憶しています。発言を遮られた形の前田は苦笑いをしていました。藤原は一升瓶に入った日本酒を飲み続け、学生相手にヘッドバットを見舞っていました。それを横で見ていた高田は「あちゃ〜」という顔をしていました。
今でもよく憶えているのは、5人の選手それぞれに「ライバルは誰ですか?」という質問があったことです。最初に訊ねられた山崎は高田の名を、高田は山崎の名を挙げました。前田は「UWFの全員です」と答え、佐山は「藤原さんです」と答え、最後の藤原は「スーパー・タイガー」と答えたのでした。1人だけ名前が上がらなかった前田がなんだか可哀そうでした。前田が「全員です」と答えたことにも、彼の孤独を感じました。あの頃、藤原と佐山、高田と山崎の新旧両世代の間に挟まれて宙ぶらりんのような存在だった前田は、その後もずっと孤独だったように思います。


日経トレンディ」1990年4月号


新生UWFが全盛期の頃、わたしは「日経トレンディ」に「平成異界Watching」という連載を持っていました。同誌の1990年4月号で、新生UWFの正月興行を取り上げたことがあります。日本武道館高田延彦前田日明を裏アキレス腱固めで破った試合でした。お互いに関節を完全に決め合ったはずなのに何度も外したり、エスケープし合う展開に、柔道の経験のあるわたしは違和感を覚えました。そして、「UWFも、結局はプロレスではないのか」と書いたところ、大きな反響があったことを記憶しています。


新生UWFが分裂した後は、前田が「リングス」、高田が「UWFインターナショナル」、そして船木誠勝が「パンクラス」を旗揚げし、それぞれ限りなくリアルファイトをイメージさせるプロレスを行いました。それとは別に旧UWFに参加した初代タイガーマスク佐山聡は「修斗」という総合格闘技を創設しました。その後、衝撃的な「UFC」の登場、日本でも「RRIDE」「K−1ダイナマイト」などの総合格闘技の興行が隆盛となり、衰退していきました。
UWFはガチンコの格闘技ではありませんでしたが、日本における総合格闘技の母体となったことは疑いのようのない事実です。


いつの日か、藤原、佐山、前田、髙田、山崎、船木、鈴木らが一同に会して、「UWF同窓会」を開いてくれることを夢見てしまいます。
いや、その前に猪木、坂口、藤波、長州、木村健吾が加わっての「新日本プロレス同窓会」を開いてほしいですね。藤原も明言しているように、UWFの原点が新日本プロレスであったことは事実ですから・・・・・・。
新日本プロレス同窓会」といえば、今年の4月20日に後楽園ホールで開催された「藤波辰爾45周年記念大会」には猪木、藤波、長州、木村、藤原、前田らが集結してまさに「同窓会」でした。彼らが一同に会した姿を見て、わたしは温かい気持ちになりました。新日本プロレスもUWFも、わたしの青春の1ページを飾ってくれました。青春は遠くなりにけり・・・です。


証言UWF 最後の真実

証言UWF 最後の真実

2017年9月14日 一条真也